皆さま、おはようございます!
今朝は豊肥本線・宮地(みやじ)駅の訪問記です。
自分がここを訪れたのは今から2年前の平成27年7月のことで、
この日は人生初の、豊肥本線の駅巡りを楽しみました。
豊肥本線の沿線は翌年2月にも再訪して
全駅の駅巡り(ほとんどがクルマでの移動ですが)を終えたのですけど、
まさかその2か月後に熊本地震が起きて
長期間に亘る不通区間が生じることになるとは…
旅するタイミングってホントに大切だと思います。
宮地駅も地震が発生してから3カ月間は不通だったみたいですね。
そんな宮地駅ですけど真っ赤な屋根が特徴の駅。
大正7年に開設された駅で、駅舎は昭和18年に建てられたそうです。
本年1月には開業100周年のイベントも催されたみたい。
社殿風の駅舎は、宮地駅から徒歩15分の場所にある
阿蘇神社の拝殿を模したモノとのことですけど…
駅舎の入口にしめ縄が飾られてたのは、そんな理由があったんすか。
しめ縄の写真だけ見たら、ここが駅だなんてとても思えません。
駅に居るだけでご利益がありそうと感じるのは自分だけかしら?
豊肥本線は阿蘇山のカルデラ付近を抜ける
急勾配が続く区間を含んでるために
昭和3年に宮地駅-玉来駅間が開通することによって全通しましたが、
宮地駅が開業してからの10年間はここが終着駅だったとのこと。
熊本地震が発生する前は
豊肥本線の多くの列車がここで折り返す主要駅で
この日も待合室の中には列車待ちのお客さんがおりましたけど…
今はどうなっちゃったのでしょ?
注目なのは、待合室の奥に見えるブースです。
ここには「豊肥本線災害復旧資料館」があるのでした。
自分はこの災害のことを知らなかった(気に留めてなかった)のですが、
平成24年に発生した九州北部豪雨によって約1年、
豊肥本線の宮地駅-豊後竹田駅間が不通になってたんですって。
その時の復旧の様子を記した資料が展示されてたのですよ。
それにしても、このレールの曲がり具合の酷さときたら…
確かにレールって曲がりやすく出来てるモノですけど、
こんな針金みたくグニャグニャになってるのには驚きました。
今までこうして幾度も発生した災害を乗り越えてきた豊肥本線…
今回の地震の被害からも無事に復旧することを願ってます。
待合室には他にも、こんな展示がありましたよ。
SL「あそBOY」の牽引機であるハチロクのナンバープレートでした。
表札には「平成17年8月に運転終了」とありますけど、
その後にハチロクはボイラーや台枠を新調して奇跡の復活、
現在は「SL人吉」で活躍中であることは周知の通りです。
SL「あそBOY」時代はここ、宮地駅で折り返し運転されてたとのこと。
SLの復活話もスゴイですけど、宮地駅の存在もすごく感じてきた!
ホームには構内踏切を渡って進入出来ます。
宮地駅は列車の行き違いが可能な島式ホーム1面2線構造でした。
ここで注目なのは構内の熊本駅寄りにある転車台です。
SL「あそBOY」が宮地駅で折り返していた理由…
コレがあったからみたいですね。
ではなぜ宮地駅に転車台があるのか?
戦後間もなくの昭和20年に、宮地駅から東の急勾配区間対策として
蒸気機関車を停泊させるための宮地機関区が設けられたとのこと。
転車台はここで使われていたモノだそうです。
下は昭和23年に撮影された航空写真ですが、
転車台が写り込んでいるのがわかりますかね?
数多く敷かれていた側線は大部分が整理されてしまいましたが、
機関庫時代の広い敷地はそのまま残されてました。
国鉄末期頃には転車台のほかに赤茶けた給水塔も残っていたようで。
そんな時代に宮地駅を訪れたかったですけど、
仙台からここはめっちゃ遠いのです。無理無理。
駅名標にも蒸気機関車が描かれてましたが…
「いこいの村駅」が平成元年に開業したのはわかりますけど、
そのガムテ、白いビニールテープの方が良かったのでは?
余計なひと言かしら?
最後は列車の行き違うシーンで〆。
現在は不定期運行の特急も含めて7往復の列車しか運行されてないので、
こんなシーンもしばらくはお預けみたいです。
そんなことで豊肥本線の一日も早い全線復旧を願っております。
それと、資料館の展示物がこれ以上増えぬこともね。
↑(熊本駅方面)
平成駅
南熊本駅
新水前寺駅
水前寺駅
東海学園前駅
竜田口駅
光の森駅
三里木駅
原津駅
肥後大津駅
瀬田駅
阿蘇駅
宮地駅(平成27年7月29日)
豊後竹田駅
朝地駅
緒方駅
豊後清川駅
三重町駅
菅尾駅
犬飼駅
竹中駅
中判田駅
大分大学前駅
敷戸駅
滝尾駅
↓(大分駅方面)
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