皆さま、おばんです!
まるで昨日の出来事のように書いちゃいますけど
ここを訪れたのは3年半も前のことでした。
そんなことなど気にせずにUPしちゃうのは
このブログの仕様ですのでお許しを。
しかし、この3年半の間に駅の環境は大きく変わってしまったようで…。
今晩はこちらの駅の訪問記でした。
北陸本線・石動(いするぎ)駅です!
この3年半の間に石動駅がどのように変わったか?
改めて説明する必要はないかもしれませんが、
2年半前の平成27年3月のダイヤ改正で北陸新幹線が営業を開始し
北陸本線の金沢駅-直江津間はJR西日本より経営分離、
現在は第三セクター化されてあいの風とやま鉄道線の駅に変わったのです。
自分が訪れた時はJR西日本の521系電車が走ってましたが
現在はあいの風とやま鉄道やIRいしかわ鉄道の電車に
代わってしまったみたいですね。
ホームにぶら下がっていた特急列車のドア位置案内。
ここを通過する特急列車も新幹線の開通により消滅しました。
細かな話ですけど、
駅舎内で営業していたJR西日本系のコンビニ「CHAO」も
地元の民間企業が経営する売店に変わったそうで。
そしてこの先の話ですが、
再来年の春に南北自由通路を併設した新駅舎が竣工予定だそうで、
つい先頃、駅舎の建て替え工事が始まったそうです。
自分が次に石動駅を訪れることが出来るのはいつになるやら?
もう二度とこの駅舎を見ることは出来ないのかなぁ?
…ということで、以下は北陸本線時代に訪れた石動駅の様子でした。
それでは駅舎に入ります。
石動駅は旧・西礪波郡石動町
(昭和37年に砺中町と合併し現在は小矢部市に変更)の玄関口として、
明治31年に開業した駅でした。
小矢部市誕生の際に「小矢部駅」に改称予定だったそうですけど
反対運動が起こり、改称されぬまま現在に至っているそうで。
町の中心駅らしく、「みどりの窓口」が設けられてました。
駅構内は相対式&島式hホームによる複合2面3線構造です。
2本のホームの間に中線が設けられてますが、
蒸気機関車の時代、倶利伽羅峠越えの補助機関車の付け替えが
ここ石動駅で行われていたそうで、
おそらくはその時代に着回しで使用していた線路ではないかと。
石動駅構内には見て面白いものがいろいろとあるのですが、
個人的に注目したのがコチラでした。
平成27年3月の北陸新幹線の開通によって
金沢駅-新潟駅間を結ぶ特急「北越」が廃止されましたが、
その他に、平成23年に特急サンダーバードに統合された「雷鳥」や
「白山(平成9年廃止)」などの列車名が
薄っすらですけど残っているのですよ!
こういうのって見てるだけでワクワクしてきません?
そしてもうひとつは駅の南側にあるコチラの敷地です。
奥に見える開業間近の北陸新幹線の高架橋や
構内に留置されてるモーターカーを、
この日はぼ~っと眺めていた自分。
この時は、この敷地のが存在する理由など
まったく考えていなかったのですけど、
実はここに昭和47年まで、私鉄の駅があったらしいのです。
総延長19,5キロの加越能鉄道加越線。
加越線はここ石動駅が起点駅で、
この敷地に加越線のホームがあったんですって。
上は国土地理院のサイトより転載した昭和38年撮影の航空写真です。
現在の石動駅の駅舎が竣工(昭和43年)する以前の
木造駅舎時代の石動駅が写る写真ですが、
加越線ホームとは、跨線橋で結ばれていたみたいですね。
こちらが石動駅の跨線橋。
レール支柱の古い跨線橋ですが、
加越線のホームはこの延長上にあったっぽく。
写真の奥に除雪用のモーターカーが留置されてる車庫が見えますが、
更にその奥が加越線ホームがあった場所だそうですよ。
石動駅のことを下調べをせずに訪れたために、そんな情報など知らず…。
加越線の廃線跡には橋梁や駅舎など数多くの遺構が残っているらしい。
…って、加越線のことを知れば知るほど
下調べしなかったことへの大きな後悔が押し寄せてくるのですけど。
これもこのブログの仕様ですから、ふんだ!
今年のお正月は自宅でじっと過ごす予定でした。
溜め込んでいた駅ネタ、お正月に一気に放出しよっと!
訪問駅リスト(第三セクター 私鉄線 ほか)
あいの風とやま鉄道線
↑(倶利伽羅駅方面)
石動駅(平成26年6月6日)
福岡駅
高岡駅
越中大門駅
小杉駅
呉羽駅
富山駅
東富山駅
水橋駅
滑川駅
魚津駅
黒部駅
生地駅
泊駅
↓(市振駅)
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