皆さま、おばんです!
鉄道の電化方式に直流電化と交流電化があることは、
ファンの間では広く知られていることです。
電化が遅れていた東北地方では、
昭和32年に実用化された交流電化方式によって
広く電化工事が進められていくことになりますが、
昭和12年に開通した仙山線・作並駅‐山寺駅はそれ以前に、
直流方式によって電化された時代があるのですよ。
この区間は昭和12年に開通しましたが、
総延長5キロ超の長大な仙山トンネルを含んでいたために
噴煙を排出する蒸気機関車による運行が出来ず、
開通当初から電化されたことが理由でしたの。
昭和43年には仙山線の全線交流電化が完成しますが、
それまで直流電力を送電していた変電所が
奥新川駅に500メートル西側にあるのです。
先週の月曜日、
そんな変電所跡地にハイキング気分で行ってきましたぜ☆
まずはこちら、
最寄りの仙山線・奥新川駅
からスタートしますよ。
奥新川駅の辺りには民家は1軒もありません。
故にこの時も下車したのは自分ひとりだけ。
誰にも邪魔されずに変電所ウォッチングが出来そうです。
奥新川食堂 から延びる1本道を進みます。
この未舗装道路、実は昭和35年に廃止になった、
新川森林鉄道の廃線跡なんですって。
そう言われてみると、カーブの雰囲気がなんとも怪し気ですね。
途中、仙山線のガーター橋の下を2回ばかし潜ります。
左手側に奥新川神社の鳥居が見えてきたら
そうです、この構造物こそが今回の目的地、
本来はコンクリート壁で囲まれた建物でしたが、
老朽化により平成20年に撤去されてしまったんだそう。
だから今は鋼鉄製の骨組みだけのお姿。
でもでも、これはこれで精悍な佇まいですよね。
なお、昭和43年の閉所後、
手付かずの状態で放置され続けた変電所ですが、
建物の撤去に合せて同じ敷地に資料室が設置され、
誰もいないことをいいことに、
変電所跡を舐めまわすように、じっくりと眺めておりました。
で、何とな~く眺めていたら、あることに気付いたんですよ。
この変電所の骨組み、
古レールで出来てるじゃないの!
骨組みに近寄ってチェックすると、
なんと、19世紀の終盤に東北本線の前身である日本鉄道が輸入した、
それだけじゃありません。
奥新川直流変電所、すごすぎるぞ!
外壁が撤去されるまで雨風に晒されることなく、
今日まで生き延びてきたこれらの古レール、
駅の構造物のような厚めのペイントは施されておりませんので、
かならハッキリした状態で刻印を読み取ることが出来ました。
現在はこんな状態で放置されておりますけど、
これ、相当に貴重な代物のような気が…
変電所は仙山線のすぐ脇にあるのですが、
この付近の架線柱は直流電化時代からの流用品でして、
交流電化発祥の地として有名な仙山線ですが、
そんなことで、奥新川駅から歩いて15分、
この夏に鉄ちゃんにはおすすめのスポット、
奥新川直流変電所跡でした。
ただし霊感のない人限定!
↑(仙台駅方面)
↓(羽前千歳駅方面)