皆さま、おはようございます!
今日は「交流電化発祥の地」としてもお馴染みの、
仙山線・作並(さくなみ)駅です!
仙山線(当時は仙山東線)の終着駅として、昭和6年に開業した駅でした。
現在は仙台市郊外の温泉地である作並温泉の玄関口の駅として、
観光客で賑わっているのは周知の通りですよ。
一見古めかしい感じの駅舎に見えますが、
これは平成20年末の宮城ディスティネーション・キャンペーンの際に
建て替えられた新駅舎でした。
バリアフリーにも対応、観光案内所や売店も併設されて
山形駅方向を見た作並駅全景と…
作並駅は、列車の行き違いが可能な
相対式&島式ホームによる複合2面3線構造でした。
2本のホームは構内踏切で結ばれておりますよ。
さて、ここからが本題。
作並駅といえば忘れちゃいけないのが、
上にも書いた「交流電化発祥の地」であることです。
現在では新幹線や北海道・東北、北陸や九州など
地方電化線などでは当たり前となった交流電化方式ですが、
実用化されたのは昭和30年代前半と歴史は浅く、
そのための実験線として選定されたのが、
作並駅の構内にある案内と碑です。
ちなみに「ED44-1」は「ED44 1」の間違い。
本来国鉄型電機には、形式と番号の間に「ハイフン」は入らないはずです。
駅舎が改築される以前まではこの案内、「ハイフン」は入ってなかったんですけどね。
北側に車庫や数本の側線が見えますが、
こここそが、古くはED14やC58、直流電化後のED44やED45で賑わった
作並機関区の跡なのでした。
左の黄色い部材が置いてある一帯には転車台の跡が残っております。
現在は土で埋もれてしまったのが惜しいところ。
作並駅が仙山東線の終点駅として開業したのは昭和6年のこと。
昭和12年の作並-山寺駅間開通によって、仙山線は全線開通しました。
作並-山寺駅間には全長5,3キロの仙山トンネルがあるために
開業当初から直流電化されていた区間です。
古くはED19、後にED14・ED17型電気機関車が投入され、
交流電化切替直前には、
阪和線で最後の活躍を見せたED60も使用されたのですよね。
昭和32年に仙台-作並駅間が交流電化されると、
作並駅には交流電気機関車であるED44・ED45も姿を見せ、
大変な賑わいを見せたようですが、
昭和43 年のダイヤ改正を機に仙山線が全線交流電化に切り替えられると
作並機関区もその役目を終えて、
現在のような保線車両庫に変わってしまいました。
古い仙山線の写真を見ると、
現存する車両庫の中で休むED14やED45の写真を見かけます。
ちなみにこれらの車両、
昭和初期に仙山線で活躍したED19は長野県の箕輪町郷土博物館で、
ED14は近江鉄道ミュージアムで、現在もその姿を見ることが出来るのは
嬉しい話ですよね。
来週は所用があって大阪に向います。
おみやげ代を稼ぐために、今日も1日がんばりまっせ!
☆追 記☆
その後ですが、掘り起こされて保存された作並駅の転車台を見てみましたよ。
・作並駅の転車台見学会に行ってきました。(平成27年11月5日)
↑(仙台駅方面)
作並駅(平成21年11月1日)
↓(羽前千歳駅方面)