2022年7月。安倍元総理の事件後に

書いた記事を再構成しました。



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新興宗教の話題で持ち切りのメディア。

 

信仰二世の苦悩に見る宗教は

・今まで触れにくかったタブーを公にできる

・視聴者に善悪構造を示しやすい

 

私にはそんな風に映りました。

 

 

ですが宗教=ヤバいのような禁忌となり

思考停止を招いてはもったいないと感じます。

 

 

私も含めた日本人が

宗教について考える機会が極端に少ない。

 

そのことも、そういうものが付け入る隙を生む一因でしょう。

 

 

 

宗教にすがるしかないような状況は、

誰にでも訪れる可能性があると思います。

 


 

横田めぐみさんのお母様の早紀江さんが

言葉には尽くしがたい苦しみの中で、

クリスチャンになっていく手記を

読んだことがあります。




私は「宗教」と聞くと、この話が思い浮かびます。


 



私の叔母もとても辛い経験をしたときに

信仰とは何かを深く考えたと言います。

 

 

千羽鶴を折り続けた体験をこう話してくれました。

 

「千羽鶴は患者のために折るのではないんだよ

患者家族のために折るんだよ

 

鶴でも折らなきゃ、やってられないんだよ

 

千羽鶴は家族のためにあるって分かったよ」

 

 

祈るしかないような絶望や悲しみは

ある日突然、訪れるかもしれません。

 

ですが日本は欧米と違い、

死に対する教育は進んではいないです。

 

(力を入れているのは命の教育ですね)

 



私も詳しくないですが

死生観には宗教観が大きく影響します。

 

 

 

興味深いのは、

日本人には信仰心がないわけではなく

世界に類を見ない精神性を国民全体が持つこと。

 

自然の中に神が宿ると考え、

山や大地に神を抱きます。


宗教の教えに頼らずとも社会秩序が

守られています。

 

 



 

中学の公民で「信仰の自由」を学びますが

他人事の場合が多いかもしれません。

 

高校・大学で、もっと能動的に

宗教を学問として学ぶ機会があればと思います。

 


 

私は浅学ながら大学で

「キリスト教学」を学べたのはよかったです。

 

面白い先生の授業で、

アンパンマンは徹底的な自己犠牲

その視点からキリスト教を学びました。

 

 

 

 

 

私は教育心理の領域でカウンセリングを学び、

それは命に向き合う人の心に添うものである

と受け止めてきました。

 

 

生死に及ばない領域にまで話を広げると

カウンセリングや思考の型化は、いくつもあります。


ライトなところでは「あなたらしく生きる」を

謳うセラピストやコーチも多いですよね。




そういう哲学的な答えを求める動きは

どこから生まれるんだろう?



表面的には

 

・精神的な豊かさを追い求められるほど平和

(多くの人は飢えることはない)

 

・日本人女性の社会進出が進まず、労働に余白が多い

 

・自己解決や効率が求められる風潮

 

そのあたりが関係しているのかなと思います。

 

 

 

ですが根本には

 

・日本人が信仰を持たないこと


が生み出す需要なのかな?と感じています。

 



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