子どもの発達特性のグレーな子
という表現。かなり一般化しましたよね。
そう表現する人にどれだけ会ってきたか分かりません。
あえてこういう言い方をしますが
知的障害がなく進学校に通う我が子は
グレーな子のど真ん中を生きてきました。
その言葉に過剰反応した私の経験値はたまっています。
会話の流れで
今って…いわゆるグレーな子が
増えてるって言うよね?
とか
私が担任をしているクラスに
◯人、グレーな子がいてさ…
そんなグレーな子談義をされたことは数知れず。
自分の話などできず、会話を取り繕ってきました。
なぜなら、その手の会話に挙がるグレーな子は
ほぼ100%よい意味で語られないからです。
「確実な障害じゃないから支援にも結びつきにくくて。面倒臭いんだよね」
そんな空気感をまとわれることも、よくあったんですよね
私がカミングアウトしたら、話し手も気まずいやつです。
学校の先生も平気で使う印象があります。
年齢は関係ありません。
60代でも20代でも使う人は使います。
私は使わない人が好きです
ただ、一方で感じるのは
子どもを「グレーな子」と説明するおうちの方も多いなと。
抵抗を感じる人ばかりではないのですよね。
この言葉について、10年以上考えてきました。
私は編集の仕事をしてきたので、
差別につながりかねない言葉等には細心の注意を払います。
「グレー」という言葉自体に、善悪の意味は乗っていません。
ただ、グレーゾーンは、グレーゾーン金利のイメージがあります。
他の使われ方が浮かばない
私があえてネガティブな意図を乗せているのだろうか?
「グレーな子」への違和感。
そこに偉大な先生が寄り添ってくれます。
こちらへ続きます。
学校関係の方も、特別支援教育に
かかわるおうちのかたもお話ししてみませんか?