ふとしたきっかけで
ちょこっと語った私のアメリカよもやま話
『過去に車を2台廃車にしているって聞いたら驚きますか?~1台目』
『過去に車を2台廃車にしているって聞いたら驚きますか?~2台目』
そして「アメリカに数年住んでた」
というと必ず聞かれる「なんで?」
『「なんでアメリカ行ったの?」ってよく聞かれるんですけども、、、』
このアメリカ行きの続きです。
さて、留学のための学生ビザも無事に取得し、
次はアメリカ行きのチケット手配。
学校探し&やり取りと同じく、
ネット検索など夢のまた夢な90年代当時です。
航空券も旅行会社で購入するのが当たり前でした。
当時勤めていた会社は、
年に一度社員旅行があるところでした。
それで丁度お世話になった旅行会社の担当さんに相談し、
アメリカ行きのチケット手配をお願いしました。
確か出発は8月。
今思えば少し時期をずらせばよかったのですが、
航空券が一番高い時期でした。
いくらだったのかもう覚えてないのですが、
この時でも一番安い航空会社で
確かノースウェスト航空だったかな。
後に旅行会社に勤めて、
ここの航空券を売りまくることになるとは
知る由もなく
(当時の写真が無いので、手持ちの航空機の写真をば!)
私はただ「やっとアメリカに行ける」と
浮かれまくってましたが、
福岡の片田舎で育った田舎娘を心配した両親が
東京までついてくるというので、
福岡<=>東京の往復もお願いしました。
同日乗り継ぎで福岡から羽田へ飛び、
電車などで成田まで移動。
短大時代に団体旅行で
「アメリカ西海岸とハワイの旅」
なんてものに参加したことがあるとはいえ、
個人で行くのは初の海外。
とにかく浮かれて、
ボケ~っとしてたんでしょうね。
羽田でちょっとお茶とかしたような
なんか、ゆっくりと過ごしちゃったんですよね。
で、
「○○時発のノースウエスト航空○○○便に
ご登場予定の○○紀子様~、
○○紀子様~。
いらっしゃいましたらお近くの係員に、、、」
成田に着いたら、
名前がアナウンスされておりました
今でこそ海外へ行くときは
「最低でも2時間前にチェックインを済ませる」
なんて常識だと思いますが、
当時はまったくそんな感覚がなく。
どのくらい前に成田に着いたのかも
正直覚えてないくらいのボケボケっぷり
慌てて近くにいる係員さんに
「今アナウンスされた○○ですが」と声をかけたら、
ほんとにギリギリの時間だったんでしょうね。
係のお姉さんも大慌てで、
両親とのお別れもそこそこに、
そこからお姉さんと一緒に猛ダッシュ
イミグレーションで並んでる人に事情を説明し、
先頭に入れてもらって出国手続きを済ませ、
予定の便に滑り込みセーフ
そんなこんなで最後バタバタでしたが、
アメリカ留学への第一歩を
踏み出したのでありました。
この後、
私の強運っぷりが垣間見える出来事がありましたが、
それはまた次回。
『やっぱり私って強運の持ち主!?アメリカ行きの飛行機で隣に座ったのは、、、』
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