2007 拝啓 尾崎豊様
彼の旅立った日のことを、
思い出してしまうと、
何だか、
心が寂しくなってしまうから…
僕は、、、
彼がこの世に生まれた日のことを、
いつまでも、覚えている。
11月29日、誕生日おめでとう。
そして、、、
いつも僕を支えてくれて、ありがとう。
今年は、この歌を捧げます。
【群衆の中の猫】 作詞作曲:尾崎豊
悲しみの色に 塗りつぶされて行く
黄昏の街 家路を辿る人込みの中
愛だけ頼りに 雑踏の中に君を探している
時々君を見失いそうになる
きらびやかな街に 君は目を奪われている
上手に笑っても 君の瞳に僕が映らないから
誰も少しずつ 生き方を変えて行くけど
求める愛の姿は変らないから
輝きを失わぬ様
君らしく 生きて欲しいから
やさしく肩を抱き寄せよう
君が悲しみにくれてしまわぬ様に
やさしく肩を抱き寄せよう
群衆にまぎれ込んだ 子猫の様に
傷ついて路頭 さまよい続けているなら
ねえここへおいでよ 笑顔で僕が守ってあげるから
突然降りだした雨から 君をつつむ時
僕のせいで 君が泣くこともあるだろう
僕の胸で泣いてよ
何もかも わかちあって行きたいから
やさしく肩を抱き寄せよう
君が悲しみにくれてしまわぬ様に
やさしく肩を抱き寄せよう
何を求めて人はさまようのだろうか
君も僕もこの街の中で
もう怯えないで 君らしく輝いて欲しいから
やさしく肩を抱き寄せよう
君が悲しみにくれてしまわぬ様に
やさしく肩を抱き寄せよう
(引用:尾崎豊『回帰線』Sony Music Records 1985)
ギリギリセーフ
普段、全く意識していなかったこと
なんだけど、、、
最近、ふと、
自分の行動パターンが変化している
ことに気付いた。
実は、、、
小生、これまでは、結構細かく賞味
期限を確認して食品など買っていた。
こう、
牛乳とかダッ~と並べられていると
必ず、奥の方に手を突っ込んでは、
先入れ先出し法、やぶれたり!!
と、勝手にほくそ笑んでいた訳だが、、
なぜか、この頃、、、
コンビニ、スーパーとかで、買物を
するとき、
賞味期限を見ず、目の前にあるモノを
サクッと買うようになった。
小生にとってみれば、これは、結構
大きな変化であって、、、
不思議に思ったので、
何でだろう?と、改めて自身に問い
かけてみたところ、
こう何ちゅうか・・・
そんな努力をしても無駄っちゅうか、
どうせ、本当の日付は分らない訳だし、
謙(ヘリクダ)って考えれば、、
それを、買わねばならない自分が
悪い訳だし、、、
う~ん、、、
諦めっちゅうか・・・
イヤイヤ((><))
そんなネガティブな発想にならずとも、
こう、もっと、前向きに考えれば、
『怪我の功名』※
最近の食品業界の偽装事件が多発
することで、
自分がものを買う時に、できるだけ
新鮮なものを買いたい!という、
人間のあさましき欲望に対して、
タイミングよく、これら事件が水を
さしてくれたっちゅうか、
過剰に成り過ぎた鮮度管理基準に、
「それじゃ、もったいないよ!」
と気付かせてくれた、とっても
良い事件だったのかな・・・
と、
この感覚が、本当に社会現象とかまで
なっていけば、
テレビの番組内容も、
「大食い選手権」から、
食中毒ギリギリ!
「まだ食えるのか選手権」
とかに、企画が変わっていくかもね?!
自分の行動変化を通じて、何となく
そう思った次第である。
【怪我の功名】(ケガノコウミョウ)
過失が重いがけなくもよい結果を生む
こと。また、何気なしにやったことが
偶然に好結果を得ること。
(※引用:広辞苑第5版 岩波書店)
二択の世界
どうでも良い話だけど、
仮に
「0」と「1」しか存在しない
二人だけの世界があったとして、
何故か、
お互いにライバル心が強く、
積年の想い、今日こそ決着つけようと、
どちらが先に「1」になるかを競い合う、
始めに「0」からスタートする、引き分けの
存在しない戦いを始めてしまった場合、
まず、両者を①、②に分けて、競わせた
場合、
①「0」→「0」
②「0」→「1」
の結果で終えてしまったなら、まず、、、
どちらが、勝ったと言えるのか?
もちろん、
ルール上、②の勝ち!である。
では、
次の結果だったら、どちらが勝ったと
言えるのか?
①’「0」→「0」→「0」
②’「0」→「1」→「0」
う~ん、、、
確かに、お互い、「0」で終っているので、
常識で考えると引き分けと言う結果に
なるのだが、、、
前提として、引き分けの存在しない
世界で競い合っている訳だから、、、
どちらか、必ず決着をつけねばならい。
う~ん、、、
う~ん、、、、
何だか、、、
①'の方が勝っているように思えるのは
小生だけか?!
だってさ、
①、②の戦いだと
②の方が、①に対して、純粋に優っている
訳だから、素直に②の勝ちで良いよね?!
だけど、、、
①’、②’の戦いって、
もともと、①’は何もしていないのに、
②’が、プロセスにおいて、
「0」→「1」→「0」
と、「1」→「0」という下降曲線を辿った
部分がある為、感覚的に不安定さを
強調させてしまう。
その一方で、
漁夫の利もいい所で、②’のおかげで、
①’は、何もしていないのに、、、
「0」→「0」→「0」
と、結果的には、安定している風に
見えてしまう。
だから、何だ?!
と、改めて問われてしまうと、正直
困るのだが、、、
まあ、「0」と「1」、
すなわち「イエス」と「ノ-」しか存在
しない世界では、判断に気を付けろ!
と言いたかっただけである。
本日、まとまり無しm(_ _)m