無駄
唐突だけど、、、
合理的に効率化を突き進めて行くと、
結局、
どこに辿り着くのだろうか?
無駄のない世界?
仮に、
この無駄のない世界に辿り着くと
したならば、
その世界とは、
いったい、どんな「無駄」が、
削ぎ落とされているのだろうか?
「ひま」か?
「ゆとり」か?
「あそび」か?
もちろん、
更なる「無駄」もだろう。。。
その逆で、合理的に効率化される
ことによって、有り余るものとは、
いったい何なのか?
「時間」か?
ならば、無駄のない世界で、時間が
有り余るようになった人たちは、、、
いったい何をすれば良いのだろうか?
そもそも、人は皆、
日々、何のために、誰のために
「無駄」を省こうとしているのだろう?!
最近、
若き命が、「有り余る時間」の重圧に
押し潰されて、命を落としてしまった
ニュースを見た。
余りある才能が無駄になったことを
心底もったいないと思った。
心より、ご冥福をお祈りします。
好き嫌い
唐突だけど、、、
例えば、、、
音楽とかで、誰でも、好きな
アーティストの一人や二人ぐらいは
いるでしょ?!
もちろん、それが好きな理由なんて
皆、色々あるのだろうけど。。。
これって、要するに、
自分の「好き・嫌い」で、純粋に
選んでいる訳だよね。
うん。
ここまでは、違和感の無い話なのだが!
たまに、、、
これを「良い・悪い」で判断する人がいる。
このアーティストは、良い!
とか、
このアーティストは、悪い!
とか、、、
はて?
あなたは何か音楽を判断する特別な
能力をお持ちの方なのでしょうか?
それは、あなたの「好き・嫌い」の
価値判断と比べて、厳密に何の違い
があって、「良い・悪い」と、
そう言い切れるのでしょうか?
と、
さて、
ここからが、今日の本題で…
仕事も同様で、
仕事について、良いとか、悪いとか
平気で言う人がいる。
何を持って、良いのか?
何を持って、悪いのか?
「好き・嫌い」とは、いったい何が
違って、そう言い切れているのか?!
もし、
それが本気で「良い・悪い」の判断が
ついているのなら、それは、それで良い!
しかし、
知らず知らずのうちに、
「好き・嫌い」で判断している自分を
誤魔化す為に、「良い・悪い」を使って
いるときがあるとしたら、、、
これは、「好き・嫌い」の判断か?
それとも「良い・悪い」の判断か?
今一度、深呼吸して、自分自身に
問いかけてほしい。
だってさ、
その価値判断を超えたところに、
仕事の面白さってあるのだから!
そう思う今日この頃である。
どこにもどる
他愛ないことだが、、、
「原点に戻る」と言う言葉!
そもそも、
至らぬところを治す為に、原点に
戻るのか?
それとも、
良いところを伸ばす為に、原点に
戻るのか?
いったい、
どちらのために戻るのだろうか?!
と、何となく気になった。
なになに、、、
※1【原点】(ゲンテン)
根源の地点。基準になる点。
※2【根源】(コンゲン)
物事のおおもと。こんぽん。
と、記されている。
なるほど、、、
原点とは、
ある基準を決めて、そこに立ち戻る
そのものを指すのね。
と言うことは、その基準を全員が
共有できていないといけない訳か。
と、言うことは、
最初の問いであった…
「原点に戻る」とは、
至らぬところを治す為に、原点に
戻るのか?
それとも、
良いところを伸ばす為に、原点に
戻るのか?
のいずれも、基準がしっかり共有
できてさえいれば、どちらの意図で
立ち戻ってみても、正解と言うことに
なる訳ね。
ん?!
この解釈で、あってる?!
(※引用:広辞苑第5版 岩波書店)