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arisionのブログ

思いついたことを書いています。
思いつかないと書かないので、更新は不定期です。

家電量販店の福袋を購入しようと思い、朝6時半頃に某店へ行きました。
既に、大勢、並んでいました。
番号券を貰ったら、240番台でした。
前の方の人は、徹夜だなと思いました。

番号券を貰ってから、待っている間、寒かったです。
スマホで電子書籍を読みたいのですが、ページをめくるためには手袋を外さなければなりません。
片方だけ手袋を外してポケットに入れ、手袋をしている方の手でスマホを持って読みました。
せめて、カイロを持ってくればよかったと、後悔しました。

7時頃に、福袋の整理券の配付が始まりました。
福袋は、パソコンとかカメラとか電化製品とか、何種類かあります。
私が欲しかったパソコンは、早々に無くなってしまいました。
徹夜しないと、パソコンは買えないようです。
8時近くに、ようやく福袋の整理券を貰う順番になりました。
パソコン関係で残っていたのは、アンドロイドタブレットだけでした。
仕方ないので、アンドロイドタブレットの整理券を貰いました。

8時半頃になって、店内に入れました。
寒さから解放され、生き返った気がしました。
寒いところにいるだけで、どんなに辛かったか、よく分かりました。
店内でも、レジに着くまで並びましたが、外よりもずっと楽でした。

9時頃に、自分の会計の順番となりました。
1万円で、アンドロイドタブレットセットを購入しました。

さて、気になるのは、何が入っているかです。
箱を開けると、エイサー社製のタブレットに加え、ブルーライト削減ソフトとウェットティッシュタイプの画面クリーナーが入っていました。
タブレットの値段をアマゾンで調べると、約1万7千円で売っていました。
お買い得かなと思います。
ブルーライト削減ソフトというのは、画面を見るときに目が疲れないようにするソフトのようです。
私はこれまで目が疲れると思ったことがありませんので、ソフトは中古屋さんにでも売ることにします。

早起きと、約2時間の寒さを我慢して得た成果として、納得できました。

寒さを考えると、来年は徹夜してパソコンを買いたいとは、思えません。
防寒対策をしっかりしたとしても、辛そうに思います。
かつて、NHKの教育放送を見ていて、感動したことがあります。
「英語であそぼ」という番組です。
何年かおきにメインキャラクターが交代するのですが、羽生未来さんがメインキャラクターの時でした。
この番組は、小さい子供が英語に親しむことがテーマだと思います。
私はすでに、小さい子供ではなかったのですが、小さい子供向けの番組が結構好きで、この番組もたまたまやっていれば見る程度に好きでした。
他にも、同じく教育放送で「うたっておどろんぱ!」とか、民放の「ポンキッキ」も好きでした。

当時の、メインキャラクターだった羽生未来さんですが、同じ時期にテレビ朝日でCNNのニュースを流す番組のキャスターをやっていました。
普通に英語で話せる方だからでしょうが、英語力前提の番組を二つやっていました。
CNNニュースの番組を見ると「英語であそぼ」のおねえさんがこんなところにも出ていると、嬉しく思っていました。

あるとき見ていた「英語であそぼ」で、驚きました。
画面の中で羽生未来さんが腰かけているのですが、その椅子と座っている姿勢が、CNNニュースのキャスターの時と、そっくりなのです。
加えて、撮影するカメラの角度から、画面に映る大きさまで、そのままなのです。
「教育放送のスタッフが意図してやったな」と思いました。
私は、感動しました。

CNNニュースを見る人は多かったと思いますし、「英語であそぼ」も多くの子供たちが見ていたものともいます。
しかし、ターゲット層がまるで違いますから、両方を見る人はかなり限定されています。
多くの視聴者には分からないことだから、できたのかもしれません。
かなり人を選ぶジョークです。
大多数の人に分からないジョークを理解したことに、嬉しくなりました。
まるっきり方向性の違う番組を両方見て、なおかつ、そのいたずらに気付いた人に、自分がなったのです。
そういう人に、自分が選ばれたと思い、感動しました。

教育放送の現場の人がいたずら心を起こして、羽生未来さんもそれに乗って、やったものだと思います。
「一部の人にしか分からないいたずら心」を理解する人に自分がなるって、それだけで嬉しいと思います。
その理解する可能性が低ければ低いほど、理解したときの感動も大きいものだと思いました。
家の近所のホームセンターに、ペットショップが併設されています。
そのホームセンターへ行ったついでに、ペットショップの動物を見ると、暫し和んだ気分になれます。
ただ、ペットショップの動物には自由がないなあと思うと、複雑な気分です。

ペットショップの動物は、ある日突然、買い手が現れて、買われてゆきます。
動物の意思に関係なく、飼い主が交代します。
売られるのが目的だった立場から、愛玩動物になります。
同時に、住む環境も激変します。
人間でいうと、職業選択の自由と居住地を選ぶ自由が無いということかと思います。
買い手が、この動物に子供を産ませたいと思うと、雌雄ペアで買われてゆきます。
何匹かいる中から、体の模様や元気さなどにより、買い手がペアを選びます。
人間でいうと、結婚相手を選ぶ自由がない状態です。

ペットショップに居るにしろ、家庭で飼われるにしろ、食べ物は飼い主が与えるものに限定されます。
放射能で汚染されたものは嫌だとか、遺伝子組み換え作物は嫌だとか、主張できません。
与えられたものから選ばざるを得ません。
食品選択の自由が、無いに等しい状態です。

つまり、ペットショップで売られている動物には、職業選択の自由も、居住地を選ぶ自由も、結婚相手を選ぶ自由も、食物を選ぶ自由もありません。
これで、幸せなのだろうかと、考えてしまいます。
人間がこの状態だったら、とても耐えられないと思います。

そんなことを考えると和んだ気分はどこかへ行ってしまい、人権って大切だなあと考えさせられてしまう、ペットショップでした。
私は、最近、テレビをほとんど見ません。
テレビでやっている内容と、私の嗜好が合わないということもありますし、ニュースやドキュメンタリーなどでも、製作側の主張を押し付けられるようで、見ていて面白くありません。
こんな私ですが、十年くらい前までは、テレビ大好きでした。
家にいるときは、テレビがついていてほしいと思っていました。
でも、NHKだけは、昔から大嫌いでした。
会長が気に入らないとかいう話ではなく、番組内容が嫌いでした。

朝の連続ドラマは、いかにも室内で撮影しているという不自然な雰囲気に興ざめでした。
登場人物がまた、「不自然なくらいにいい人」ばかりなので、着いてゆけませんでした。

バラエティは、型に嵌った内容ばかりで、堅苦しくて嫌いでした。。
絶対に脱線しない雰囲気で、伸び伸びとした感じがなく、冗談も上品なものばかりで、返って肩が凝る気がしました。

大河ドラマは、堅苦しい雰囲気が大嫌いでした。
民放の、「遠山の金さん」や「銭形平次」は、謎が解けたり人情があったりして、楽しく思います。
NHKの大河ドラマは、不自然に真面目な顔をした役者が重い話を演じるので、楽しいと思いませんでした。

ニュースや天気予報も、民放と比べると分かり易くしようとする工夫がなく、見る気がしませんでした。

そんなことを思いつつ、嫌いな理由を整理すると、次のようになりました。

1.
世の中の人はこうあってほしいというような、「押し付け感」がある気がします。
2.
人々の感情や生活を排除した、架空の世の中を表現している気がします。
3.
NHKの方から視聴者に近付くという姿勢がほとんどなく、視聴者の方がNHKに合わせろというような、冷たい意思を感じます。

もっと整理すると、結局「人間の感情」を無視している気がします。
だから、私は、NHKの番組が嫌いです。




ただし、同じNHKでも教育放送には好きな番組が時々ありました。
その話は、別の機会に書きたいと思います。
最近、自分が読む本を買うときは、古書で購入します。
(子供に頼まれた本は、新品で購入します。)
主に、Amazonとブッ○オ○で、買っています。
一般的に、Amamzonの場合は最低258円、ブッ○オ○の場合は最低108円で購入できます。
とても助かります。

ブッ○オ○で購入する場合、価格シールが貼ってあります。
気分の問題ですが、本を読むときにはシールのない状態で読みたいので、爪で引っ掻いて剥がします。
きれいに剥がれることもありますが、手こずることもあります。

そんな人のためだと思いますが、ブッ○オ○の店舗によっては、シール剥がし剤を売っています。
「これを使えば、価格シールがきれいに剥がせて、気分良く読めるなあ」と思わせたいのかもしれませんが、でも、絶対に買いません。
「そんなものを売るくらいなら、剥がしにくい価格シールを貼らなければいいのに」と思います。
顧客に親切というより、顧客を侮っている気がします。

低コストでの運営を考えた結果、価格シールを貼っているのだと思います。
シール剥がし剤まで売って二重に儲けようとするのは、やり過ぎだと思います。
ブッ○オ○の都合で貼っているシールなのだから、シールを剥がすところで儲けようとするのは、顧客として納得できません。
希望者には、無料でシール剥がし剤を使わせてほしいです。
例が悪くて恐縮ですが、悪の組織が毒薬を散布して、「解毒剤がありますよ」と宣伝するのに似ている気がします。

だから、シール剥がし剤は、絶対に買いません。
爪で引っ掻いて、苦労してシールを剥がします。

何か月か前に、アマゾンで、電子書籍を無料で入手できることを知りました。
最近は通勤電車の中で、電子書籍を読んでいます。
無料のものには古い作品が多いですが、自分の好みに近いものを探して、読んでいます。
昔の作品なので、仮名遣いや表現が分かり難かったりします。
その反面、書かれた当時の雰囲気が、色濃く出ています。

現在読んでいる小説の中に、進化論の話が出てきます。
読んでいて、ふと、生物の進化は人類が終着点ではないのではないかと、思いました。

現在の地球は、人類が我が物顔で、支配しています。
もともと動物が住んでいた土地を、動物に断りなく占領し、それどころか所有者まで決めています。
動物を飼ったり、食べたりしています。
地下や海底の、エネルギー源となる物質の、所有者を決めて使い放題しています。
勿論、私も使っています。

小説を読みながら、いずれ、人類よりさらに進化した種族が現れるのではないかと、思いました。
そのときに、人類が動物に対してしてきたことを、より進化した種族からされるかもしれません。
すなわち、家を壊され、土地を追われ、挙句の果てに食糧にされたり、家畜として飼われたりするのです。
人類が、強いライオンと弱いライオンをほとんど区別しないように、より進化した種族にとっては、金持ちの人間も貧乏な人間も関係ありません。

もしかしたら、より進化した種族は、既に地球上に現れているのかもしれません。
いずれは、進化した種族として、定着するのかもしれません。
より進化した種族は、人類から派生するとは限らず、別の動物の末裔かもしれません。

そんなことを考えてしまう、通勤電車の読書です。

かなり前に、新約聖書を、物語風にやさしく噛み砕いた本を読みました。
その中で印象に残った言葉が、「神を試してはいけない」です。
因みに、私はキリスト教徒ではありませんし、宗教全般に特別な造詣はありません。
それを踏まえて、お読みください。

で、何故、印象に残ったかというと、「パラドックスだ」と思ったからです。
神を信じるには、その存在を信じなくてはなりません。
神の存在を信じるには、存在を示す証拠を得るのが、手っ取り早いと思います。
神の存在を示す証拠を得るには、自分が救われる経験をすることが、これまた手っ取り早いです。
例えば、危ないところから飛び降りて、怪我をしなかったら、神に助けられたとか。
でも、神を試してはいけないということは、そういう証拠を得ようとする手段を、禁じていることになります。
これでは結局、信じることができないのではないかと、本を読んだときに思いました。
神なんていないということを、うまく隠したなあと思いました。
今思えば、浅はかでした。

最近、経験を通して気付いたのですが、そういうことではない気がします。
「信じる」ということは、「疑わない」ということです。
身近な例ですと、「妻を信じる」ということは、「妻を疑わない」ということです。
「子供を信じる」ということは、「子供を疑わない」ということです。
相手を疑わないのであれば、試す必要がありません。
例えば、口では「信じている」と言いながら、相手の行動を確認するということは、つまり「信じていない」ということなのです。

同様に、「神を信じる」のであれば、神を疑わないことになります。
神を疑わないのであれば、そもそも試す必要がありません。
「神を試してはいけない」という言葉を平たく置き換えると「あなたが、神を心から信じるのであれば、神を疑わないのだから、試す必要はないよね」ということになります。

この考えに思い至ったとき、長年の胸のつかえがとれた気がしました。
誰かに確認したわけでもないし、もしかしたら違っているかもしれません。
あくまで、半端な知識しか持たない私が至った結論です。
でも、とてもすっきり、腑に落ちました。


電車に乗っていると、何らかの理由によって遅れることが、しばしばあります。
完全に止まっている場合は別ですが、停車時間を長くしたり、駅と駅の間で停車したりして、進行を遅らせることがあります。
その時の理由が、二通りあります。
前の電車との間隔が詰まり過ぎてしまった場合と、後ろの電車との間隔が開き過ぎてしまった場合です。
どちらも、目的地への到着が遅れることは同じです。
でも、後者の場合、理由はうなずけないことはないのですが、「面白くない」という気持ちになります。

前の電車との間隔が詰まり過ぎていたら、物理的に進めないことは分かりますので、諦める気持ちになります。
しかし、後ろの電車との間隔が開き過ぎている場合、割り切れない思いがします。
恐らく、特定の電車だけに乗客が集中しないようにとの配慮なのだと思います。
でも、前に進むことができるのに、あえて進まないというところが、どうしても心に引っ掛かります。
急いでいるときは、特にです。
理屈の問題ではなく、感情の問題です。
駅と駅の間で止められて箱詰め状態のときは、手も足も出ない、やりきれない気分です。

あれこれ思いつつも、騒いだり非常停止レバーを入れたりすると、他の乗客に迷惑だろうと思い、じっと電車が動くのを待ちます。

でも、割り切れない。

私は、JRで職場に通っています。
SUICAの定期券を使っています。
ときどき、自動改札を出るときに、改札が開かないことがあります。
そんな時は、人が居る通路へ行きます。
人が居る通路へ行って、SUICA定期券を差し出すと、必ず問われます。

「どこから乗りましたか?」

これを聞かれると、イラッとした気分になります。
だって、どの駅から乗ったかは、SUICAの中に記録されているのですから。

記録されていることを問いかけるということは、相手を信用していないということです。
正常に入場しているのに、出場できないということは、JR側に原因があるはずです。
それなのに、どこから乗ったか問われるなんて、
真犯人にアリバイを訊かれている容疑者
の気分です。

私は、入場時に、できる限りSUICA残高の表示を見て、自分のSUICAで改札が開いたことを確認しています。
ましてや、改札が開かないのに、強行突破したりしません。
それなのに、自動改札から出場できないということは、JR側の問題であると、私の主観で思います。
改札にいる、おじさんやおばさんは、恐らく何も考えずにマニュアル通りに問いかけているのだと思います。
だって、客の気持を考えて仕事をしているようには、見えませんから。
そもそも、客の気持を考えるという意識もないし、余裕もないものと思います。
一番悪いのは、「必ず乗車駅を問いただす」というマニュアルを作った、JRの社員だと思います。

今後、SUICAを渡した後に、「どこから乗りました
か?」と、問われたら、「SUICAの記録通りです。」と答えます。

真犯人に問いかけられる容疑者の話に置き換えると、つぎのような意味になります。
真犯人:あなたが犯人ですか?
容疑者(自分):私が犯人でない証拠は、あなたに渡したSUICAに記録されています。






STAP細胞騒動で、思っていることを書きます。

1.責任逃れをする上司
 個人でやる仕事なら別ですが、大勢が集まった組織では、組織で仕事を進めます。
 そこには、所属や階級により、権利と義務があります。
 論文に齟齬が見つかった場合、著者として名を連ねた人たち全員の責任になるはずです。
 その中でも、一番責任が重いのは、組織の最上位者です。
 また、著者に名を連ねていなくても、属する組織の責任者にも当然責任があります。
 それが、「組織で仕事をする」ということです。
 しかし、現実には、副センター長なる人が大々的に会見し、「自分はこの論文のこの部分に関わっただけだから、責められる余地は少ないよね」という内容の話をしました。
 これでは、部下たる人は、救われません。
 梯子を外された思いが、したことと想像します。
 責任は全面的に自分にあると言って、部下を守るのが、上司のあるべき姿だと思います。
 真逆です。
 部下の起こした不祥事と思っても、その部下を指導している人にも、当然責任はあります。
 それが、組織で仕事をする、ということです。
 副センター長の対応は、責任逃れをする悪い上司の典型と、いえると思います。

 余談ですが、私が学生の頃、研究室で事故がありました。
 学生が勝手に、実験設備を改造した上での事故と、聞いています。
 私たちの指導教授は、「事故の責任は全面的に私にある」と内外で公言しました。
 これこそ、指導者のあるべき姿だと、今になって思います。

2.小保方さん かわいそう
 彼女は、科学論文を書く上での、基本的なことができていないと責められているようです。
 善意の間違いを、悪意ある間違いであると解釈されているようで、かわいそうになります。
 社会に出て、いきなり完成度の高い仕事ができる人は、稀です。
 一般的には、試行錯誤しながら、周囲の指導を受けながら、成長し、完成度の高い仕事ができるようになります。
 報道などから知る範囲では、小保方さんの場合、いままでの研究で周囲から褒められていたものと思います。
 苦言を呈したり、厳しい指導をする人は、周囲に少なかったものと想像します。
 周囲から褒められれば、「今、自分がやっているやり方でいいんだ」と思うのは、当然のことです。
 それが、今回いきなり、「そのやり方ではだめだ」という、嵐に巻き込まれてしまいました。
 これまで信じていた人や自分を認めてくれていると思っていた人から、いきなり自分を否定されたら、頭の中がパニックになってしまいます。
 何を信じていいのか分からなくなります。
 自分が立っていた足場が、急に崩れた思いではないかと推測します。
 彼女には、悪意を感じません。
 それよりも、褒める立場から急に、否定する立場に回った人に、むしろ悪意を感じます。
 小保方さんは、かわいそうと思います。
 彼女が、もう一度、信じられる足場を作るのは大変だと思いますが、負けないでほしいと思います。
 今後についての本人の意向は知りませんが、科学以外の道でもいいんじゃないという気もします。

 私からすると、悪いのは、責任逃れをする上司です。
 小保方さんは、上司から守られる立場のはずです。
 それなのに、守ってもらえないなんて、小保方さんかわいそう。