神を試してはいけない | arisionのブログ

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思いついたことを書いています。
思いつかないと書かないので、更新は不定期です。

かなり前に、新約聖書を、物語風にやさしく噛み砕いた本を読みました。
その中で印象に残った言葉が、「神を試してはいけない」です。
因みに、私はキリスト教徒ではありませんし、宗教全般に特別な造詣はありません。
それを踏まえて、お読みください。

で、何故、印象に残ったかというと、「パラドックスだ」と思ったからです。
神を信じるには、その存在を信じなくてはなりません。
神の存在を信じるには、存在を示す証拠を得るのが、手っ取り早いと思います。
神の存在を示す証拠を得るには、自分が救われる経験をすることが、これまた手っ取り早いです。
例えば、危ないところから飛び降りて、怪我をしなかったら、神に助けられたとか。
でも、神を試してはいけないということは、そういう証拠を得ようとする手段を、禁じていることになります。
これでは結局、信じることができないのではないかと、本を読んだときに思いました。
神なんていないということを、うまく隠したなあと思いました。
今思えば、浅はかでした。

最近、経験を通して気付いたのですが、そういうことではない気がします。
「信じる」ということは、「疑わない」ということです。
身近な例ですと、「妻を信じる」ということは、「妻を疑わない」ということです。
「子供を信じる」ということは、「子供を疑わない」ということです。
相手を疑わないのであれば、試す必要がありません。
例えば、口では「信じている」と言いながら、相手の行動を確認するということは、つまり「信じていない」ということなのです。

同様に、「神を信じる」のであれば、神を疑わないことになります。
神を疑わないのであれば、そもそも試す必要がありません。
「神を試してはいけない」という言葉を平たく置き換えると「あなたが、神を心から信じるのであれば、神を疑わないのだから、試す必要はないよね」ということになります。

この考えに思い至ったとき、長年の胸のつかえがとれた気がしました。
誰かに確認したわけでもないし、もしかしたら違っているかもしれません。
あくまで、半端な知識しか持たない私が至った結論です。
でも、とてもすっきり、腑に落ちました。