ことばだけじゃない


あなたのそんざいが


わたしのこころをやわらかくする


してくれることなんかもとめていない


あなたのまわりの


そのくうきが


わたしをつつみこみ


こころをつつみこみ


なにかをうみだしていく


やさしくて

あったかくて

ここちよい


そんなあなたに


であえてよかった


ありがとう




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くもりのないあおぞらのように


こころもきれいでいれたら


どんなにいいだろう


あおあおとしたたけのように


こころもすっぱりとわりきれたら


どんなにすっきりするだろう


こころのなかの

もやもやや

くろいぶぶん


これがあるから


なやみ


おちこんで


まえにすすむことができる


それでいいんだよ



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はなしをするのは


じぶんをわかってもらいたいから


あいてのはなしをきくのは


じぶんのはなしもきいてほしいから


わかってくれる


うけいれてくれる


そうおもったときに


いっぱいはなしができる


きいてくれないとおもったら


はなしたいこともはなせない


はなしたくないわけじゃないんだよ


だれか


わたしのはなしをきいて


こころから




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ゆめはゆめなのに


みたいとおもってみれるものではないのに


ゆめはきもちをつよくする


きもちがゆめになるのかもしれないけどね


こころのなかのおもいが


いきばをうしなって


ゆめになってあらわれるのかも


ゆめはゆめじゃない


じぶんのこころのなかなんだ


そうおもったら


きもちがつよくなるのがわかったよ


しらせてくれてありがとう



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あなたは自分の限界が分かりますか?それはどうやって?

私達は何故か自分の限界を定めてしまうところがあります。【限界】というとかしこまってしまいますが、「ここから先は分からないから出来ない」とか、「これは今まで失敗してきたから無理に違いない」とか思うことってあるでしょう。

周りの目や評価。自分の中で「やっぱりできなかった」という失望感。こういったものから、「このあたりで止めておいたほうが自分が傷つかないですむ」と考えちゃう。できたときの嬉しさはすごく大きいのに、それよりもできないときのショックを防ごうとする。そう、私達はどちらかというとネガティブな方に敏感になりがちだから。

人は無限の可能性を持っています。子供がちょっとしたきっかけですごい才能を開花させることってよくあるよね。「子供のほうが吸収力に優れている」とか、「柔軟性がある」とか思うかもしれないけど、子供も大人も人であることには違いはない。大人だって同じなんだと思います。

じゃあ何が違うのか。「世間体」「周りの評価」「過去の自分のトラウマ」、そういったものなんじゃないかな。いずれも【できたとき】にはすぐにでも解消できることばかりかもね。

そう考えると、【自分の限界】って誰にも分からない。他者はもちろん、自分自身でもね。やりたいことはしてみればいい。だめだったら方法や見方を変えてみればいい。それは何歳になっても同じこと。

生きている限り、何かをする機会はそこらじゅうに転がっている。昔見たどんな遠くにありそうなことだって、いつか思わぬ近くに来ていることもあるんだよ。限界は自分が作り出した妄想かもしれないよ。


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私事も含まれています。

昨日は宇都宮に行ってきました。母のお見舞いです。母は末期の胃がんです。昨年8月にがんと分かりましたが、そのときから転移が早いため手術ができずに、その際に「余命数ヶ月」と診断されました。腎不全も併発していたため抗がん剤も使えず、どうにもならないという状態でした。

父親も姉も私も足しげく病院に通っていました。正直、いつまで一緒にいることができるかわからないという不安感を常に抱きながら。そして【奇蹟】が起きてくれることを願いながら。

【奇蹟】は起きました。腎不全が治りました。それは、お医者さんも首をかしげてしまうほど。そして抗がん剤治療をすることができるようになりました。進行が早すぎるから手術はできないといわれていたけれど、本人は至って元気なまま、年を越すことができました。皆が心から待ち望んでいたこと。

その後もずっと元気な状態が続いていました。【余命数ヶ月】というショックも薄らいできたところに、【再入院】の連絡が父親から来ました。進行が進んでしまって、【数週間単位】といわれたということです。それで昨日、急遽宇都宮に行きました。

病室に入って母親の顔を見た瞬間のことはたぶん絶対に忘れないでしょう。顔色が真っ白で、【気】がすごく弱くなっているのを本能的に感じました。覚悟はしていたものの、固まりました。何も言うことができない。

数時間家族、親類含めていっしょにいました。驚くべきは、徐々に顔色がよくなって、声に張りが出てきたこと。食事がほとんど取れないといっていたのに、いっしょにアイスやフルーツを食べたこと。二人の息子に似顔絵を描かせていったのですが、それを見た瞬間からだったように思います。

これが【生きる力】なんだと思いました。【生きるための執念や気力】が何かを変えることができるんだと改めて確信しました。もちろん、この先どうなるかは分かりません。抗がん剤ができなくなっている今、容体が急変することもあるかもしれない。でも、【生きようとする】気持ちが人の顔色や気も変えることができること、それを誰もが大切にしなきゃいけないんだと強く思いました。

私達は【生きること】に慣れてしまっているところがある。でも、きっと【生きていること】自体にすごいパワーを使っているのでしょう。【生きること】そのものがすごいこと。それ以外に必要なことなど、本当はないのかもしれません。【自分のために生きる】、【誰かのために生きる】。それだけでいいのかもしれません。

私がこの日記を書いたのは、それを伝えたかったからです。読んでくださってありがとう。


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【待つこと】と【逃げること】。なにかちょっとネガティブな響きに聞こえるこの二つの言葉。【前に進んでいない】って思われて、なんだか居心地が悪い。


【前に進むこと=成長】というイメージがありませんか?だから【待つこと】や【逃げること】に対して罪悪感を持ったりする。前に進まないと周りから取り残されてしまうような気持ちがしませんか。自分の居場所がなくなってしまうような感覚も。


【熟成】という言葉があります。ワインなんかそうですね。すぐにできたワインはあっさりさっぱりしていてコクや風味に欠ける。それを部屋でじっくり置き続けると、知らぬうちに味に深みがでてくる。ああ、納豆もそうでしたね。それが【熟成】。


実際には、ただ置いているようでも、菌や果実が生き続けて動いている。それは目に見えないから気づかないけどね。


こころの中だって同じことかもしれないよ。止まっているようでこころの中ではいろんな想いが動いている。時間が立って弱ってしまう想いもあれば、形を変えていき続ける想いもある。今まで一番の悩みの種だった想いが弱って、それに隠れてしまっていた想いが顔を出してくることもある。それもまた【熟成】。


【逃げること】だって、いわば「答えを先延ばしにすること」。だからやっぱりこころの中でいろんな想いが熟成される。熟成された結果、それまで悩んでいた「答え」が出てくることがある。きっと「答え」も熟成されたのかもしれないね。


答えが出ないことはいっぱいあります。割り切れないものもいっぱいあります。その多くは、いつかは答えを出さなくてはならないでしょう。でも、あえて今それを出す必要はないのかもしれないよ。逃げてもいいんじゃないかな。正確には、それは【逃げる】んじゃなくて、【熟成させる】ってことなんだから。


忘れちゃいけないことは、【いつかは答えを出さなくてはいけない】ってこと。それさえ忘れなければ、【待つこと】と【逃げること】は前に進むための準備になる。


どうしても答えのでないとき、逃げてみてはいかがですか?



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いまはただ

いちにちでもながく
いきてくれればいい

いつかわかれがくるのは
わかってる

いつでも
かなしいのも
わかってる

だからこそ

いちにちでもながく

おなじくうきを
すっていたい

まずはきょういちにち
きょうがおわれば
あしたがくるのを

まっています

よわいところをみせたとき


こころのなかでなにかがかわる


くずれるかもとおもっていたけど


ちがっていた


うけいれてくれることで


じぶんがもっとつよくなる


だれにでもみせられるわけじゃない


うけいれてくれることで


じぶんがまたすきになる


じぶんをみつめなおすことは


きっと


ひとりでするだけじゃない


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私達はどうしても人に期待をしてしまいます。こころの中にぽっかり穴が空いているときは特に、その相手にその穴を埋めてもらおうと思いがち。そして、そうした期待は自分も気づかぬうちにどんどん大きくなったりする。そう、こころの穴がおっきくなったり形が変わったりするのと併せて相手に対する期待が変わってくるからね。


そんなときは、相手に対する喜びよりも期待に応えてくれないことに対する失望感や不信感のほうが大きくなることが多いように思います。相手からすると築き上げてきたものが一瞬で崩れてしまうことに対して理解ができなくて苦しんだりする。


こころに空いた穴というのは、人の力では決して埋まりません。人ができることは、それを埋めるためのセメントや、のりや、補修テープを与えるぐらいなもの。それを使うことができるのは自分だけ。一方で、こころに穴が空いているときに相手に求める期待感は【それを使って相手に埋めてもらう】ところまできちゃっている。もしそうなら、相手があなたの期待感を満たしてくれることはきっとないよね。


相手に期待をすることをやめてみてはいかがですか?何かこう言うと、【相手に何も期待をしないで相手といっしょにいる必要があるのか】ってコメントが返ってきそうですね。僕が言いたいのは、【期待をしなくても相手といる意味はある】ということ。


そもそも何が一番大切でしょうか。相手が生きていて、そばにいることがそもそも大切なんじゃないかな。【そばにいる】ってのは物理的なものばかりじゃない。こころの中にしっかりと根付いている相手に対する気持ちがあれば、相手はあなたのそばにずっといる。そして、こころの中にいるからこそ、セメントやのりや補修テープがこころの中にありつづけているんだよ。その意味では、たったひとつだけ相手に対して期待することはあってもいいかもしれないね。それは、【相手がどこかにいてくれること】。


こころの中を埋める期待を自分の中で取り去ったとき、明らかに相手に対する気持ちが変わってくるよ。いえることはただひとつ;


【そばにいてくれてありがとう】


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