皆さん、【空】見てますか?

この前の天気のいい日に、何気なく【空】をみました。太陽はなかったけど、青が広がっていて、白い雲がちらりほらりと。そんなのをみてたら、何だか心がすっきりしました。いつもあるはずなのに、こうやってまじまじと【空】を見ることって最近なかったなと思いました。

人はあまりに大きな、自分にかなわないものの前では、無力になります。これは人に限らず、動物も瞬時に自分が対抗できるかどうかを判断するようです。おそらく本能的なものなのでしょう。人は普段は理性に覆われた生活をしていますが、こうした【本能】の部分は残っているんですね。【空】とか【海】とか、自然を前にすると自分がすごくちっぽけなものに見えてしまうのは、そんなことがあるんだと思います。

でもそれとは別に、すごく単純に、気分転換ということもあるのでしょう。気を張り詰めているときというのは、目の前のことにいっぱいいっぱいで、遠くを見ることをしない。そんなときにふと空を見ると、吸い込まれてしまいそうなぐらい深くて、一瞬心の殻がなくなった感覚がします。

もちろん、それで問題が解決するわけではありません。またすぐに日常に戻っていかなくてはなりません。でも、そうして一度心の殻をなくすことで、悩んでいる問題にくっついている、余計な【もやもや】はとれてしまったりします。問題は深かったりするけど、ずっとそれを考えていると何が問題かすら自分ではわからなくなってくる。カウンセラーというのはそれを解きほぐす役割ではあるのですが、もっとシンプルな方法もあるんだ、と【空】を見てふと思いました。

というわけで、今日はかなり普通の日記でした。
【ジキルとハイド】とは、善良で温厚なジキル博士と粗野で凶暴なハイド氏という、一人の人間が相反する人格を持った、【二重人格】をテーマにした小説の題名。でも、現実的にも、人は皆【無償のやさしさ】と【無慈悲な残酷さ】の二つの面を併せ持っています。

子供の頃、特に生まれてから数年の間は【やさしさ】とか【思いやり】の人格はあまりなくて、むしろ【残酷さ】の側面が多くでているように思います。親や先生が自分の愛情を子供に浴びせながら、【人には優しく】ということを教えていき、子供に社会性がでてくるにつれて、人に対する【思いやり】、【やさしさ】が心の中に育まれてくる。そこから考えると、人は【残酷さ】を先天的に持っているのではないかと思います。

この二つの相反する人格は心の中に共存しています。ただし、それらは自分の力で心の外にでることはなくて、心の中で生まれる、ある【感情】が、いずれかの人格を外に押し出します。例えば;
愛情、喜び、共感、同情 → 優しさ
怒り、嫉妬、不信、余裕のなさ(パニック) → 残酷さ

ただし、大人になり、社会性が高まるほど、自分の心の中にある【残酷さ】を表面的には出さないようにするため、怒りや嫉妬といった感情を心の中で抑えつけ、できるだけ【優しさ】を外に出そうとする。でも、感情というのは時に抑えられないから、ふとしたときに【残酷さ】が出てしまうのだと思います。

この【無慈悲な残酷さ】に対して人は悩みます。自分はなんてひどい人間なのだと自己嫌悪に陥ることもしばしば。そして、その人格に直面した相手も大きなショックを受けたりします。
でもこれって実は全ての人が持っている部分で、普段は外にでないだけ。自分が【残酷さ】を人に対して出してしまったとき、反省はしなければいけないけど、その分その人に【優しさ】で償う努力をすればいい。そして、受け手からすれば、残酷な部分だけでその人が冷たい人間であるとも言い切れない。逆に、優しい部分だけで、その人が暖かい人間であるとも言えない。
その人の【ジキルとハイド】の両面を知り、それを自分が許せると思ったとき、それでもその人に対して愛情を感じることができたとき、その人のことをかなり深く理解したと言えるだろうし、その人はあなたにとって本当に大事な人なんだと思いますよ。

余談です。【エス】という映画があります。心理学の臨床実験で、模擬刑務所を舞台に、ボランティアで集められた人を『看守』と『服役者』に分けて、一ヶ月を過ごすという話。だんだん『看守』役の人が心の中の【残酷さ】を表に出していき、『服役者』を痛めつけていきます。そのきっかけとなったのはある人物の【怒り】。実話だそうです。興味があったら見てみてください。
ちょっとした日常の悩みに対して、77の解決法を項目別に書いてあります。「症状」→「ココロの魔法薬」→「処方箋」→「解説」というように。なんだか昔に流行った「HOW TO本」のよう。でも実は作家は心理カウンセラー。ココロの悩みに対して、心理学的な見方を含めながら書いています。薬の名前は「ちょっと・・・」というのが結構あるのですが、説明がすごくわかりやすい。さらさらっと読めてしまって、でも心理学の勉強もなる、そんな本です。

【止まり木】のテーマにも似た雰囲気があって、結構すきです。

ゆうきゆうさんはこれ以外にもいくつか本を出しています。『相手の心を絶対に見抜く心理術』とか。これはもっとくだけていて、読みやすい本です。

『えーっ、こんなにうまくいくの?』と思うかもしれませんが、考え方はいいですよ。
あなたにとって【大事なもの】は何ですか?

【仕事】?【両親】?【恋人】?【家族】?【友人】??

あるひとつの【大事なもの】のために、他の【大事なもの】を失ってしまったことはありませんか?

人のこころの許容度は人それぞれだけど、【今の自分の許容度】というのは決まっている。コップの水が一杯になるように、心の許容度が一杯になったときは、人は【そのときに一番大事なもの】だけを守り、ほかのものを捨てようとする心理が働きます。不思議なことに、残すものと匹敵するぐらい大事なことをまずは捨てようとします。それってなぜ?

ささいなことというのは、あまり神経を使わなくてすみます。適当にあしらっておくことができる。事務的に行動することも可能。でも、【大事なもの】に対してはそうはいかない。軽はずみな行動はしたくないし、できれば自分の思いをこめて扱っていたいと思う。だから、どうしても自分のパワーをそこに割くことになる。

でも、コップの水はすでにいっぱいいっぱいだから、ふとするとあふれてしまうし、もうひとつの【大事なもの】に対する配慮がその分おろそかになってしまう。最初は悩むけれど、悩むこと自体のパワーを使うことすらできなくなってくる。そんな心の葛藤を経た結果、ひとつの【大事なもの】を守るためにそれと匹敵する【大事なもの】から捨ててしまうことになるのでしょう。

共存できないからこその行動ではあるけれど、結果的に本人の心の傷になってしまいがち。【大事なもの】に対する想いは、決してこころの中から消えることはありません。捨てる前に、一人で悩んでいないで誰かに話してみるのがいいですよ。本人に対してが一番。自分の今の想いを真剣に真正面から伝えてみましょうよ。お互いにお互いが【大事なもの】と思っていれば、それは伝わるはず。それを相手が受け入れてくれたとき、あなたがいっぱいいっぱいになったコップの水をあふれさせないようにがんばっているうちに、【心の許容度】が広がっていくんだと想いますよ。
例えば人のことを好きになったとき、なんらかの現実的な状況があって、先が見えないことがあります。冷静に考えれば考えるほど、状況を変えることはできなくて、出口がない。出口がないから、不安になってくるし、このまま続けていていいのかと思ったりします。そんなときは、先の見えない恋愛にやがて疲れてしまって、自ら離れてしまいがち。理性的には割り切れても、感情的にそれができない自分との心の葛藤はストレスになり、自分を消耗させてしまうから。

これは恋愛に限らず、人というのは、出口のないものに対しては不安になります。受験もそうですし、就職もそうでしょう。自分がやった仕事の成果がでないときもそんな心理状態になります。もっと単純に言えば、迷路で外に出られないときだって。人は出口に向かってこそモチベーションが維持できる、そんなものなのかもしれません。

でも、出口というのは実は一つじゃありません。それが自分にとって本当に大事なこともしくは大事な人であれば、何かの出口が必ずあるはず。それは時間がかかるかもしれません。すごく細くて今は見えないかもしれません。結論を急いではいけません。そんなときは、失ったときにその大事さを身にしみて感じることになる。そして、その想いは、決して心の中から消えることはなく、心の片隅に残りつづけます。いくらその上に殻を覆って普段は見えなくしたとしても、それはふとした拍子に出てきてしまいます。

とはいえ、他に迷惑をかけるかもしれない、どれぐらいの時間がかかるかわからなくて耐えられないかもしれない、そんな気持ちがあるかもしれません。だから、自分にとって本当にそれが大事なのか、それは何で大事なのか、それがないときに自分はどうなるのか、そういったことを自分と向き合ってじっくり考えてみること。そして自分の中で確信がもてたとき、自分はまた強くなっていると思いますよ。
【依存】という言葉はどうも世間的にはあまりいい意味で使われていませんね。何かこう、人やものにすがって生きていて自分がないみたいな。そのイメージは、小さい頃から、なにかと周囲に【もっとしっかりしなさい】とか、【人に頼らずに自分でやりなさい】と言われることから作りだされているかもしれません。

人に対して【依存】をすることにすごい抵抗をもっている人がいます。自分は【自立】しなくてはいけない、そのためには人に【依存】してはいけないという意識が強い人。親からそうした教育を強く受けたり、人に裏切られたり、自分がしっかりしなくてはいけない状況に追い込まれたりといった体験をしている人に多いように思います。そんな人は悩みがあっても人に相談せずに自分で抱え込みがち。時々とはいえ人を頼ってしまうと、自己嫌悪に陥ってまた【自立】した自分を周囲に示したりします。これまで話している【殻】の視点で見ると、これもまたすごく殻を厚くして本当の自分を見せないようにしている状態。

しかし、【依存】と【自立】は対極にあるのではなくて、実は共存できるもの。例えば、信頼のできる人に自分の悩みを包み隠さず相談する。それは心のボールを相手に渡しているから、相手に対して【依存】している状態。でも、大体は自分の心の中にすでに答が潜んでいて、会話を繰り返すうちに自分の心の中からでてきたりする。それって結局は自分で答を見つけ出しているからすごく【自立】した状態。何でそんなことが起きるかというと、一つには、【依存】をすることで殻が薄くなって自分の心の中にもともとある答が外に出やすくなるから。そしてもう一つには、相手が自分を受け止めてくれているという【安心感】が、自分の心のなかにあるものを出しやすくするから。そう考えると、殻の厚さと【自立】はあまり関係がないように思います。

生まれたばかりの子供はすべてを【依存】した状態で世にでてきますよね。やがて成長の過程で【依存】はしている中でも【自立】する気持ちが芽生えてくる。子供はもともと殻が薄いから自分の心の中のものは素直に出せますが、何よりも【依存している安心感】があるから自分で考える、行動する勇気が育まれていくのだと思います。それって大人も変わらないと思いますよ。
近々映画化されるようです。ほのぼのとしてるけど切ないラブ・ストーリーです。

主人公は「たっくん」と、息子の佑司。妻の澪は1年前に死んでしまった。たっくんはちょっとパニック障害なのか、遠くに行ったり、プレッシャーのかかることをすることができない。佑司は小学生になったばかりで、なんだかちょっと間が抜けていてかわいい。そんな二人で日常を過ごしていた。

ある雨の日に、突然澪が帰ってくる。【二人が心配だから、1年後の雨の日に帰ってくる】という言葉は本当だったんだ。でも記憶を失っている。たっくんは、二人の出会いから、お互いが好きになって、結婚して、佑司ができたころの話を少しずつ澪に話していく。こんな日がずっと続けばいいなとみんなは思っていたけれど・・・。

澪がどうやって戻ってきたのかという話は、最後のほうで出てきますがちょっとびっくり。そして、佑司が最後に澪に言う言葉にはしんみり。そのときに言えなかったことというのは、ずっと心の中に残り続けるから、それを言うことができてよかったなと思いました。何を言ったかは読んだときのおたのしみ。

テーマは【妻の死】なんだけど、全体的にすごくほんわかしていて、読んでいる自分もほのぼのとしてくる。それだけにすごく別れの悲しさや、せつなさが伝わってくる、そんな本です。すごくいい本だと思います。

映画化されたときに、その【ほんわか感】がどこまででるか、楽しみです。
人との付き合いは気の合う人、合わない人がいて難しいですね。日常の中では合わない人を遠ざけて、合う人とだけ付き合うということができるけど、特に仕事ではなかなかそうはいきません。特に社内。どうしても合わない上司がいるけど仕事はその人から下りてくる。何かと嫌味を言われたり苛められたりする。そのうちその人の存在自体が苦痛になってくる。でも会社を辞めるわけにはいかないから我慢してしまう。そんな経験はありませんか。気をつけなければいけないのは、そのストレスによって会社に行きたくなくなるだけでなく、会社に行こうとすると頭痛、めまい、激しい動悸が起きて会社に行けなくなる【出社拒否症】や、まったくやる気が起きずかつ自分に対して自信が持てなくなる【うつ病】等になる可能性を秘めているということです。

人がストレスを感じたとき、心と体は3つのステップを踏んでいきます。まず、ストレスに対して、身体は抵抗しようと身を構えます。心臓がどきどきしたり、汗をかいたり、鳥肌が立ったり、呼吸が激しくなったり。これを専門的には【警告反応期】と言います。これはまさに動物が何かに襲われそうになったときに、逃げるか戦うかを判断するために身体が準備をしている状態と同じ。心の中で生まれたストレスに対して戦おうと身体中が頑張っている状態です。

でも、ストレスを受けつづけていると、身体は何とかそのストレスに耐えようとしていきます。それまでにあったドキドキ感や、呼吸の乱れがなくなって、一見落ち着いた状態。これは【抵抗期】と言います。このとき、人は【ああ、なんだかストレスにも慣れたし、自分が強くなったのかな】と思いがち。でも、これが前の【ストレス】のテーマで書いた、ストレスを心の中に閉じ込めてしまおうとする、【心の殻が厚くなった状態】。状況がよくなっているわけではなくて、心の中は自分では気づかないうちに傷ついています。これはむしろ危険信号。

やがては、ストレスの矢がどんどん大きく太くなって、心の中を飛び出していき体中を暴れまわる、【疲憊期(ひはいき)】がやってきます。冒頭の体の調子が悪くなったり、心が疲れきってしまったりという状態。こうなると、仕事を続けられる状況ではなくなってしまいます。

仕事の場合、継続的にストレスを受けるため、この3つのステップを踏んでしまいがちだし、それを退治するのが難しい。気分転換【リラクゼーション】や、自分の意識を変える方法もあるけれど、自分が相手に対して行動することがいずれは必要。自分が受けているストレスを相手にしっかりと伝える、嫌なことにはNOと言う、これはすごく勇気のいることだし、行動しても解決するか分からない上にかえって仕事がしづらくなるのではと不安になるけど、自分の心を傷つけて、結果的に身体を壊してしまったらもっと大変なこと。言い方にもいろいろあるから、それは信頼できる人に相談していいと思いますよ。
その人がどういう人かを見るときに、あるいはその人の悩みがどこから来ているのかを見るときに、どんな子供だったのかを聞くことをよくします。そうすると、子供の頃にあったことをベースに今の自分が形成されていて、そこが悩みの根本であることが多いように思います。

子供の頃の心の中の状態は、いろいろな世界を見てきた大人ほど複雑ではありません。だから本来は感情がストレートに表に出やすい。感情を表にすぐに出すからストレスもたまりにくい。でも、中にはその感情が両親やその他の環境によって封じ込められてしまう場合があります。すごく両親が厳しかったり、暴力的であったり、学校の規則や先生が厳しかったりして。そうすると表に出ることのできない感情が心の中にとどまり、たまっていき、子供の小さな心の中をすぐにいっぱいにしてしまいます。そうなると、子供といえども『これをしたい』『これはしたくない』という感情がいつしか『こういうものなんだ』という考え方に変わっていきます。それは両親や環境等外部が作った殻が自分の殻になってしまって、【弓矢の先が丸くなっている】状態。一度心の中がいっぱいになってしまったものを、いろんな刺激が増えてきて心の許容度が広がってきてもなくすことはそうそう簡単なことではありません。だから、子供の頃のことを紐解いていくと、その人のことがよく分かったりするのです。

従って、それを解きほぐすのは時間が必要になります。心の殻を薄くして、穴を開けて、そこからすこしずつ自分一人では出せない【先の丸くなった弓矢】を取り出す助けをするのですから。でも、それは時間をかけたほうがいいなとも思います。良くも悪くもその弓矢にあなたの今の考え方や性格がくっついているのですから。一挙にとってしまうと、心の中がからっぽになってしまいます。時間をかけて、ゆっくりとその弓矢から離していき、新しいものを心の中に入れていきながら取り出していかないと。それができるのは、恋人であり、心から信頼できる友人であり、夫であり、カウンセラーだと思いますよ。
7つの短編小説です。テーマはいずれも、大切な人をなくした人、なくそうとしている人のこころの動きを追っています。子供が多くでてくるのも特徴です。大切な人をなくしたことをきっかけにうつ病になったり、ひきこもりになったり、その人の影をずっと追い続けていたり、いわゆる【こころの病】になっています。ですから、読んでいると、どの話もなんだか悲しい。すごく身近に起こりそうな気がして、せつなくなります。

でも、物語の多くは、そうした【喪失感】を乗り越えて、また立ち直っていく過程を書いていて、その過程は涙なしには読めない。子供が主人公の物語では、立ち直るまでの辛さが伝わってきて、立ち直ったときに自分も嬉しくなります。

タイトルには、「喪失によって止まった時間が、再び流れ出すときを描く・・・」と書いてあります。こころの傷は決して癒えることはないんだけど、それを自分で認めて、受け入れたときに前に進む勇気が生まれてくるんだなというのを実感できる物語です。

せつないけどなんだか嬉しい物語、どうぞごらんあれ。