昨日来た台風の【目】です。目って本当にあるんですねー。
前回【心に余裕がないとき】について書いてから、「心に余裕のない相手に対してどうやって接していけばいいのか」という質問を何人かからもらいました。端的に言うと、『気にかけていたほうがいいのか』『放っておいたほうがいいのか』ということです。今日はこちらの立場で書こうと思います。といっても、お互いにとってどうするのがいいのか、これについてははっきりとしたことを僕もいえません。

相手が急に冷たくなったとき、まずは「嫌われたかもしれない」と思いますね。そして、「このまま離れ離れになってしまうのかもしれない」という気持ちがものすごく不安を呼び起こします。だから自分からアクションをとって相手が反応してくれるのを待つ。でも前回の日記に書いたように、心に余裕のないときの相手はそういうアクションをとられると返って距離を置きたくなる。自分はそんな相手の気持ちを実は理解していて、【こんなことをしたら嫌われるだろうな】とわかっていても、不安でどうにもならなくなって敢えて嫌われるような行動をとってしまう。最初は【その人のため】と思ってやっていたことが、いつしか【自分の不安を打ち消すため】【自分のため】の行動に変わっていく。でも一向に不安は打ち消せないから、行動し続ける・・・。相手とますます疎遠になっていき、結果的に自分の心が辛くなって傷ついてしまう、こんな感じかと思います。

相手は嫌いになっているわけではないと思います。恋愛はほかの行動や思いを制御できるぐらいパワーのあるもので、心に余裕のないときにそのパワーを使ってしまうと、今やらなくてはならないことができなくなる。だから、相手も恋愛の感情にふたをして毎日をがんばっている。それまで好きだった人に対して感謝をしていないということではなくて、あなたの行動やそれに裏づけされた気持ちはふたをしていても通じています。相手がそのふたを必死でこじあけようとするから、怒りになったり、冷たい態度、無視につながっているのだと思います。ふたを開けた瞬間、恋愛感情や、いっしょに押し込めている弱い自分がでてしまうから。

こうやって書いていくと、【放っておくこと】のほうがいいのかなと思うでしょう。理性的には、それを相手が望んでいるとすれば、【YES】です。でも、私がそういいきれないのは、そもそも恋愛の多くは【理性】よりも【感情】が心の部分を占めていて、【理性】どおりには動けないというところにあります。相手が大事な人であればあるほど、【失いたくない】と強く思うし、【先の見えないことによる不安】は自分の行動を制御できなくなる。第三者に対してはできることが大事な人に対してはできなくなる。【恋愛になると人は狂う】といわれるのはそこからで、それが恋愛のいやな部分でもあり、また幸せを実感できる素敵な部分でもあるんだと思います。

ごめんなさい、今回はアドバイスになっていませんね。これについて僕ができることは、その心の辛さを聞き、いっしょに悩み、いっしょに泣く、そんなことしかできないのかもしれません。
【心に余裕がないとき】は、人はすごく残酷になることがあると前の日記で書きました。【人のやさしさ】のところでも、『心に余裕がないときはなかなか人に優しくできない』というコメントをもらいました。今日はこのテーマで日記を書こうと思います。

心に余裕のないときは、心の殻がすごく厚くなって、自分の感情が心の中にこもっている状態。そして、心の中は、やらなければならないことに対する思い【あせり】や思うようにできないことによるストレス【怒り】でいっぱいになっています。【喜び】や【悲しみ】、【楽しみ】の感情が押しつぶされてしまって、隅っこにおいやられている状態。そんなときは、人の【優しさ】がなかなか心の中に入っていかないし、入っていっても、自分の【喜び】にまで到達しない。【優しさ】と【おせっかい】というのはコインの裏表ですが、そういうときはやらなくてはならないことに対する【あせり】や【怒り】と触れ合って相手の行動が【いらぬおせっかい】という感情になってしまうことがあります。

見方を変えましょう。【優しさのキャッチボール】という言葉を以前使いました。こんな状態のときはもちろんキャッチボールなんてできません。投げ返せないから、相手のボールがどんどん心の中にたまっていく。あなたとしては、せっかく心の隅に押しやっている、心の中のあなたの【優しさ】に向かって相手の【優しさ】が進んでいこうとするからすごくうっとおしい。そして、ボールがたまっていくほど、返せない自分がどこかで後ろめたくなってくる。そうなると今の心の中のバランスが崩れてくるから、誰にも心の中には入ってきてほしくない。相手を遠ざける、そんな感じだと思います。

そんなときに、自分の感情が表に出るときは、【怒り】になるのでしょう。相手はなぜ怒っているのかわからず、状況がどんどん悪くなっていく。こういったときの心の状態が、やがて取り返しのつかないことになることもあります。

人にはその時々でやらなければならないことがあって、どんなときでも心に余裕を持つことなんて至難の業。だからある意味仕方のないことだと思います。環境が変わったときはなおさら。でも、心に余裕のできるときはいつかやってくる。これまで心の中の大部分を占めていた【あせり】や【怒り】が小さくなって、心にぽっかりスペースができる。本来はそのときに、それまで返せなかったボールを相手に返してあげればいい。本当に自分にとって大事な人への想いは、年をとっても心の中から消えることはありません。【心に余裕がないとき】はそんな思いは消えたと思うかもしれないけど、常に心のどこかに残っていて、スペースが空いたときに再びその想いが心の中で大きくなる。

いくらあなたのことを理解している人であっても、やっぱりあなたがそんな状態にあるときは心配だし、不安になります。たとえ見ていてなんとなくわかっていても。言葉というのは信じれないこともあるけど、そんなときにあなたの心の状況を伝える言葉は、すごく大切だと思いますよ。それも実は、【優しさのキャッチボール】のひとつですから。
今、ネットカウンセリングのHPを作っています。昨日もデザインの詰めを業者としてきました。なんだかいい感じにできてきました。
ネットカウンセリングでは、1:1チャット、メール、BBS、をやりますが、実際に会っても話しを聞こうかなと思っています。もちろんタイトルは【こころの止まり木】なんですが・・・。

メルマガもやります。

どんなサイトだと皆さんは使いやすいのかなと今もなお考えています。率直なご意見をくれると嬉しいです。
人は【やさしさ】に触れると嬉しい。幸せな気分になることもある。でも、人からの【やさしさ】を受けたときに、戸惑いを感じたり、その人を信用できないと考えたりして、その人から遠ざかっていこうとする人がいます。

本来、人から受ける【やさしさ】は、あなたの心の中にすっと入ってきます。そしてあなたの心の中の【やさしさ】とふいに触れ合ったときに、共鳴し合って【喜び】や【幸せ】の感情が生まれる。以前【ジキルとハイド】のところで少し話したように、【喜び】はあなたの【やさしさ】を心の外に押し出します。人の【やさしさ】に触れると、自分もやさしくなっていくというのはそういうこと。そういう人のそばにいるだけでも、あなたの心がすごく【やさしい】状態になるのも心の中でそんなことが起きているから。知らず知らずのうちに、相手と【やさしさ】のキャッチボールをしているのでしょう。殻の厚い人は当初は中に入ってくるのを拒みますが、【やさしさ】というのはすごいパワーを持っていて、時間をかけながら心の中に入っていきます。

ただし、殻の厚い人は、【やさしさ】が中に入ることを拒もうとするだけでなく、入って自分の【やさしさ】と共鳴し合ったとしても、自分の【やさしさ】を外になかなか出せない。心の中は【やさしさ】に対する【喜び】でいっぱいになっていても、殻の外側の自分とのギャップが大きくなりすぎてしまって戸惑ったり、悩む。コップの水が溢れるように、本当の自分が外に出てしまいそうで怖くなるから、【やさしさ】に対してそれを認めない、もしくは逃げるようになる。『恩にきせようとしている』『何か下心があるに違いない』と思いがちなのは、そう考えることで、【やさしさ】を外側で歪めてしまって、心の中に入れないようにして、【喜び】の感情が生まれないようにしているということ。

何か、『はしゃいでいたり』『浮かれていたり』しているときに、『調子にのるな』『みっともない』と言われたりすると、【喜び】を表現することが悪いことのような気がしてくる。でも、殻が厚い人も薄い人も、【やさしさ】に触れたときの【喜び】の感情は心の中で生まれている。それ自体を素直に表現することも、【やさしさ】を相手に返していくことも全然悪いことではない。先ほど【やさしさのキャッチボール】と言いましたが、相手に返した【やさしさ】はまた大きな【やさしさ】で帰ってくる。そのやりとりを続けているうちに、不思議と殻が薄くなる自分に気づいたりすると思いますよ。
今とあるコミュニティサイトでチャット中心のカウンセリングをしているのですが、今月末に本格的にカウンセリングサイトを作るべく準備をしています。

カウンセリングというと敷居が高いイメージがやっぱりあって、なかなか浸透していないのが現状かと思います。でも、アメリカでは日常的にカウンセリングを使っていて、【ホームドクター】ならぬ【ホームカウンセラー】がいるほどです。コミュニケーション手段が便利になっている割には人間関係が希薄になっているように感じる今日この頃、気軽に自分の思いを吐き出せる場ができればいいなと思います。

実はネットにとどまらせるつもりはなくて、その後リアルでもやりたいと思っています。カフェの中にカウンセリングルームを作りたい。カフェにいるだけでも心が落ち着くようなスペース。話したいときに話せる雰囲気。そんなことを考えています。

今日はとある人にプレゼンに行ってきます。第一歩になれるといいのですが・・。
麻子、治子、育子の3姉妹の人生とその関わりを記した物語。『思いわずらうことなく 愉しく生きよ』というのは、その家の家訓だそう。ちょっとタイトルに惹かれて読んでみました。

皆自由奔放なのかと思いきや、皆依存症気味でそうでもない。治子はキャリアウーマンで同棲中の彼がいるけど、結婚はしようと思わない。表では仕事をバリバリしているけど、彼のことは好きでしょうがなくて、いっしょにいるときは殻をはずした状態。自分でバランスをとることで心の均衡を保っている感じがして、結婚をするとそのバランスが壊れることが怖いんじゃないかと思いました。

育子は恋愛の仕方がわからない。でも、家族や友達と接することに飢えている。何かこう、【ぬくもり】を求めて人と付き合っているという感じがする。自分を理性的にもっていくことで、【感情】を表に出さないようにしているから、恋愛まで踏み込めない、そんな感じがする。

麻子は逆に、そんなバランスが崩れてしまっている。旦那がDVで、共依存関係。旦那がいることで自分が存在するという意識になっている。物語の後半は麻子がそんな共依存関係から脱却して、自分を取り戻す過程が描かれているけど、きっかけは同じ境遇にあっている人との出会い。その人をみて自分の状態にふと気づく。治子と育子と遊んでいた自分を思い出していく。その過程はちょっとはらはらしました。

長編小説ですが、すらすらと読めてしまいました。同じ家訓の中でそだって、一見皆が全然違う性格で生活をしているように見えるけど、実は根っこがいっしょなんだろうなと思いました。面白い小説ですよ。
生きているのがいいのか、ここで全てがなくなってしまうのがいいのか、どちらがいいのかと人に聞いたら、「それは生きてるほうがいいに決まってる」というでしょう。
何故?生きていれば、この上なく楽しくて幸せなことがそのうちきっとあると思う。でも、それと同じぐらい悲しくて辛いこともある。

ここで全てがなくなってしまったら、自分はその時点で満足できるのかということをよく考えます。
人間には欲求があります。それは、どこまでいっても尽きることはない。すごく幸せなことがある。そのときは天にも上る気持ちだけど、いつしかそれに慣れてしまうと、それ自体を幸せとは感じることがなくなり、もっと他に幸せなことがあるのではないかと不安になる。どこまでいってもその繰り返し。だから、生きていても今以上楽しいことがあるとは限らない。むしろ、だんだん振り子の振れ幅が大きくなって辛いことが増えていくような気がする。それに、どうなるかわからないことに期待をしていいのかどうか、先のことは自分ではわからない。

生きつづけることが大事なのではない。むしろ、今ここで全てがなくなったとしても【いい人生だった】と思えるような生き方をしようじゃないかといつしか思うようになりました。少しでも多くの人がこの世からいなくなることを残念がってくれる生き方をしようじゃないか。そうすれば大事なことを後に回すこともしなくなる。今を一生懸命生きようという気持ちになってくる。結果として、楽しいことが増えたり、幸せな気分が長続きすればいいかな。

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最近読んだ本で、ポプラ社が出している【Good Luck】という本があります。世界50カ国で出版されているようです。内容は一言でいうと【幸運をつかむためにはなにをすればいいか】というものですが、物語になっていて非常にわかりやすく、子供に読み聞かすこともできそうな本です。僕はこの手の本は教訓じみていて本来はあまり好きではないのですが、この本にはなんだか納得感がありました。
そこに書いてある言葉ですが;
【運は、呼び込むことも引き留めることもできない。幸運は、自らの手で作り出せば、永遠に尽きることはない。】
興味のある方は読んでみてください。
人はみな自分が大好き。自分を守るためなら、嘘もつくし、人を陥れるようなこともする。自分のことを皆に評価してもらいたくて、虚勢を張ったり、表面的なやさしさを示したりする。多かれ少なかれそんなところがある。

一方で、ある人のために自分の持てるものを惜しみなく提供している人がいます。それは恋人にだったり、親にだったり。傍から見ると、自分の人生を犠牲にしているんじゃないかと思うぐらい。そんな人はおそらく、自分の人生とその人の人生を重なり合わせているのでしょう。自分との一体感。自分=その人だから、違和感はないのでしょう。だからその人の喜びは自分の喜びであり、その人の悲しみは自分の悲しみになっているのだと思います。

僕はそれ自体はいいことだと思っています。【恋】と【愛】の違いはここにある。見返りを求めるのではなく、その人の幸せのために自分のできることを惜しみなく提供する。いわゆる、親が子供にするような愛情。【無償の愛】といえると思います。

でもこの状態がうまくいくためには、まずはお互いの殻が薄くなれること。殻の厚い人にとってはそういう【愛】は辛い。殻の外からがんがんと刺激をもらうことになるので、逆にその殻を守ろうと身構えるようになってくる。いずれはその【愛】を受け止められないから避けようとする。そして、【愛】を提供する側にとっても、あまりに相手と自分を一体化してしまうと、相手の人生に全てを依存してしまうことになり自分というものの存在がなんなのかわからなくなってきてしまう。その人の存在=自分の存在になるので、ますますその【愛】を求めようとする。【恋愛は追いかけっこのようなもの】という状態になります。

一番いいのは、お互いが自分の人生をポジティブに考えながら、二人でいるときは殻を薄くして、お互いに【愛】をもって助け合える関係。以前【依存】のところで書きましたが、それが【依存】と【自立】が共存した関係。ただし、殻の厚くなっている人にとっては、相手が【自立】していようがしていまいが、【無償の愛】を受け入れることは最初はストレスになると思います。自分が殻をいざ薄くしてそれを受け入れたときに、いずれは相手を失うかもしれないと思うとすごく怖いから。でも、自分にとって相手が本当に大事な人だと思った時、確かに失ったときのショックは大きいけれど、一度あなたが【無償の愛】を受け入れ、相手もあなたの殻の中にある【本当の自分】を受け入れてくれた体験は、その後の人生にプラスになると思いますよ。だって、今までかたくなに守っていた自分の殻を薄くすることができたんですから。
いきなり殻を薄くするのは難しいと思うから、少しずつ、行ったり来たりをくり返しながら薄くしていけばいいと思いますよ。【自立心】を持ちながら【無償の愛】を提供する人は、きっとそれをわかってくれるから。
織田裕二の久しぶりの「月9」で話題になっていますね。織田裕二は個人的に好きなので、久しぶりに「月9」を見ました。

織田裕二は大手スポーツメーカー事業部に勤めるサラリーマン。婚約者と直前にフラれてしまい、今でもその彼女のことが忘れられなくて、仕事に打ち込んでいる役。相手役の矢田亜希子は元レディースで今はなぜか会社の秘書をやっている。男を手玉にとって貢がせている、「メリットのある男しか相手にしない」というタイプ。そんな八木を狙っているのが、伊原剛○で織田裕二の大学時代の同期で会社では上司。あと八木が恋心を抱いているちょっとコンプレックスのありそうな玉木宏と織田裕二のおさななじみのりょう。こんなもんかな。

織田裕二の場合、大事な人は心の中に残り続けるという心理そのまま。いつかばったり会ってまたやり直せればいいなと思っているんだろうなという感じです。なぜ別れることになったのか、それはまだ分かりませんが、別れる過程がどんなに酷かったとしても、きっと心の中に残るのだと思います。たぶんドラマの最後には八木と結ばれるのかもしれませんが、それでも残ってるんだろうな。

一方八木亜希子は、相当心の殻が厚くなっている状態。一時は死ぬことを覚悟して、それまでの生活を失い、第二の人生として自分ができなかったことをやろう、自分のために生きようという気持ちが今の行動の元になっているのだと思うけど、実は元々の自分は違っていて、殻を作って外の人と接している感じ。病気のことがもっと分かってくれば、そのギャップの原因も明らかになるのだろうけど。玉木のことは好きだけど、玉木が他の人のことを好きだから安心して好きでいられるというのもあるのでしょう。これで玉木が振り向いてきたら、自分の殻が薄くなるのを恐れて逃げようとするんだと思います。自分がいつ死ぬかわからないから、周りの人の負担になりたくない、そんな気持ちもあるのかなと思いました。

伊原はあまり興味がないとして、玉木のほうが気になる。何かすごいコンプレックスを抱えているのがわかる。その原因は何なのかなと思いながら見ていました。これもじきに明らかになるのでしょう。4年越しの片思いを続けているとのこと、それも何か奥がありそうです。

題名からして、単なる恋愛ドラマなのかと思ってみたら、意外と皆心のわだかまりを持っていて、それに戸惑っている、そんな感じがしてちょっと見続けようかなと想いました。ワムの「ラストクリスマス」がなんだかすごく懐かしいです。