自己否定って、
敵の陣地に自らの意思で乗り込んで行って
味方がいないと心の内だけでつぶやくこと
とも言える。
それって、
「巨人の応援をしたい」と思いながら、
巨人×阪神戦のチケットを
阪神側で買い、
自分で歩いて阪神側の席に座り、
阪神側で黙って巨人を応援しながら、
「私には一緒に応援してくれる味方がいないんです」
と、SNSで嘆くのとおんなじ。
で、
「味方がいないんです」
(私は被害者なんです)
を言うためには
自分の意思で阪神側の席を買ったこととか、
自分の足で阪神側の席に座ったこととか、
そうなった経緯の詳細がバレてしまうと
「自分のせいだろ」
と責められるのがわかっているから
先に
「私が悪いんですけど」
と、自ら先に言っておくの。
で、その人は
「阪神のチケットしか余ってなかったんです」
(こうするしかなかったんです)
と、
チケット発売直後には巨人側が余裕で買えたのに
すぐに買わなかった自分を責めて、
「座れればどこでもいいや」と
過去にそこまで巨人の席にこだわらなかった自分
を責めて、
今、特に対処法を講じることのなく
「私が悪いんです」を貫き通し、
また次の試合も阪神席に座ることを選ぶ。
でもね、
実は、その人には
「巨人の席で見たかったらこれをすればいいよ」
ということを言ってくれる人が
そばにいるのに、
「私は他人の力を借りてまで
巨人席で見たくなんて
ありませんから」
と、
自分の理想を叶えてくれる人の力を拒絶をしてまで
その人は阪神席に座ることを選ぶの。
その「自立」へのこだわりが、
敵地での「孤立」の理由です。
で、
「私には阪神席に座る権利しかないんです」
という、
意味のわからない言い訳を繰り返しながら
生きていく。
改めて、「自己否定」ってのは
幸せになる方法があるのに使わないこと
で、
僕は、