「自分の幸せ」の邪魔をしているのは
無意識のブレーキなんだけれど、
その無意識のブレーキって
「外し方を知る」だけでは外せないのね。
その理由が、2つあるんだけれど、
まず1つ目は、
今かかってしまっている「無意識」のブレーキって、
もともとは意識してかけていたブレーキで
今はそれが
無意識的に機能してしまうくらい深く染みついているだけ
なのね。
つまり、
元々、ブレーキをかけることメリットがあったからで、
今もそのブレーキをかけ続けているのは
ブレーキをかけることよって得られる恩恵を受け取りたいから
であって、
まとめると、
無意識のブレーキが外せないのは
①
無意識のブレーキによって
幸せを防ぐことによるメリットがあるから
ってこと。
で、次に2つ目の理由が、
そのブレーキをかけたきっかけになった感情が
「怖さ」だった
ということ。
どういうことかというと、
それ以上進むことによる「怖さ」があったから
動かないようにブレーキをかけて止めたってことだから
それは逆に言うと、
ブレーキを外すためには勇気が必要
ということであって、
2つ目の
無意識のブレーキが外せない理由は
②
「怖さ」を越えていくための勇気が出せていないから
ということなのね。
これが、
無意識のブレーキが外せない2つの理由です。
①
無意識のブレーキによって
幸せを防ぐことによるメリットがあるから
と、
②
「怖さ」を越えていくための勇気が出せていないから
ってやつ。
で、
じゃあ、これからどうすればいいんだっていうと、
これからの行動を考える時のポイントもまた
2つあります。
まずは、
①
このまま死んでもいいかどうか
ってことね。
少なくとも、今のままでは変わりようがないです。
ブレーキをかける恩恵を受け取るためにブレーキをかけている
ので、
変わるわけがないです。
「動けません」は正確に言うと
「動きたくありません」ってこと。
なので、
間違いなくそのまま死にます。
それでいいならいいけれど、
それが嫌ならば動きましょう。
で、ポイントの2つ目が
②
勇気を「出す」
ってことです。
この界隈にいるとよく
「自信」とか「勇気」とかって聞くと思うんですが
これが「無い」人はいないんです。
必ず持ってます。
唯一の違いは、それを
出しているか、いないか
ってだけ。
「自信」って「自身」のことで
自分の意見のことなの。
それを出している人の自信がついていくだけで、
出していない人の自信がついていかないだけです。
勇気もそれと同じ。
勇気が「無い」んじゃなくて
勇気を「出していない」ってだけで、
勇気を出すことを拒んでいるだけで
いつでも出せる状態にはある
というのが事実。