何かを行う時には必ず、自分の意志で行うことと、何かにやらされて行うことと2通りに分かれているように感じます。

そして行動のほとんどは、何かに追い立てられてやらされていることに気が付きます。

やらされる原因は、時間であったり、他人からであったり、意識してみると「やりたいからやっている」のではなく「やらなければならないからやっている」ことの多さに驚きます。

基本的に義務で行っていることは楽しくありません。自分から行うからこそ気分がいいのだと思います。

そうなるとやらされていると感じる前に自分から行動していかなければなりません。


例えば、奥さんから「掃除機かけといて!」と言われてするのはやらされているので面白くありません。

同じ掃除機をかけるのであれば自分から掃除機をかけて心の中で「どうだ!すごいだろう!」と自己満足に浸る方が精神衛生上プラスのような気がします(笑)

仕事においても、義務だから仕事をしても過労死やうつの原因になるだけで、楽しんで仕事をすれば、どんなに忙しくても過労死になったりうつになる事はないと思っています。

自分からスポーツジムには行くくせに、人から何かを頼まれたら面倒くさいと感じるのは、自発的か義務かの違いだけのように思います。

エレベータで待たされても待たされていると思うよりは、考え事をするチャンス、階段を歩いて登るチャンスと物事を義務ではなく自発的に考える訓練にしていきたいものです。


「人生は、義務に感じたら方が負けだ」ぐらいに思いながら生きていきたいです。




昨日は上の娘の父母会があり、妻が上の娘の小学校に先生のお話を聞きに行くため、下の娘の幼稚園への迎えを急きょ私がすることになりました。

診療時間内に少し時間をもらってお昼前に幼稚園に娘を迎えに行き、クリニックで少し待機をさせて、娘と二人でお弁当を食べ、娘のトイレも済ませたし、あと少しで妻と長女がここに迎えに来るというところまで来て、無事何事もなく下の娘を妻に引き渡せるという安心感でホッとしていました。

あと数分で妻が迎えに来るから、娘にはしまじろうのDVDを見せながら院長室に待機させ、妻が娘を連れて帰るという手はずでした。

「私の義務は終わった」と安心して昼からの診療に集中していました。

そんな時私の横に人影が………

「誰?」と思って振り向くと、そこには院長室で待機している娘が………

私が振り向くと同時に

「パパ、おしっこ!」


「……………」


私の頭は真っ白になってしまいました。



「えっ!どうしよう?!」

「いま仕事中でトイレに連れて行けるわけないじゃん!」

「さっきトイレに行ったばかりじゃない!」

「おしっこをもらされたらどうしよう?!」etc……

いろんな言葉が頭を駆け巡りました。



隣のスタッフが機転を利かせて、娘をトイレに連れて行ってくれて無事解決しました……

「九十九里をもって半ばとせよ」とはよく言ったもので、物事は安心したすきに何が起こるか分からないものだと痛感しました。

機転のきくスタッフをもってよかった。

おもらしされなくてよかった。

思い出すだけで恥ずかしくなってしまうが、済んでしまったことはプラスに考えないと……………

私は社員とのコミュニュケーションの一環として交換ノートを行っています。

そのノートを読むと、社員1人1人が物事を深く考えたり、真面目に生きているな~と感心することが多いです。

社員にはブログを書くことを推奨しているので、交換ノートのような内容をブログにもアップすれば、その人の成長が加速するのにな~と少し残念になります。

交換ノートには書けるのにブログには書けない理由として、交換ノートは私しか読みませんがブログの場合には不特定多数の人が読みます。

そうなれば、自分の文章に共感してくれる方だけでなく、自分の意見を受け入れない人や、反対意見や、自分のことを攻撃してくる人間が出てきます。

それを恐れて、ブログには差し障りのない文章を書くのだと思います。

私自身「幸せってなぁ~に?!」なんてこっぱずかしい題名にしたり、ブログの内容も偉そうなことを書いているので、ブログを書き始めた当初は、上記のような危惧がありました。

実際に、そういうこともありました。


しかし、私は20人以上の上司である責任感や多くの患者様を治療している使命感から自分の生き方、考え方を公言していく義務や使命があると思っているので、恥ずかしくても自分の意見を発信し続けてきました。



「お前はそんなに立派な人間なのか!?」「偽善者」「いい人ぶって」「すべて実行できてるの?」……などいろんな見方をされるのを覚悟の上で発信しています。

そうやって発信してきて気づいたことは、自分だけの日記であったり、心の中で思うだけと違って、不特定多数の人に公言した以上はそうならなければ「嘘つき」になるので自分へのプレッシャーが違う分、成長が加速されます。

専門用語で「アファメーション」と言われるみたいですが、自分以外の人に宣言することで逃げ道を絶って自分を追い込んで行動せざるおえなくすることが、成長を早めてくれるのでしょう。

「お前はそんなに立派な人間なのか!?」……今現在はそうでなくても、そうなりたいということを発信して非難されたのでは、学校の先生は先生になった時点で立派な人しか生徒に指導できないのでしょうか?

「偽善者」……何を持って偽善者というのか?若いうちはみんな自分のことで精いっぱいで他人を思いやる気持ちよりも自己中心になりがちです。それを少しづつでも他人を思いやろうという方向に移行していく時期を偽善者というのであれば、全員偽善者なのではないだろうか?

「いい人ぶって」……いい人になろうと思っている人にとっては、いい人ぶって行動していくことが大切なのではないでしょうか?悪い人になりたければ、悪ぶった行動をしていくことと同じだと思います。

「すべて実行できてるの?」……挨拶ひとつとっても、毎日きちんとできているかと言われれば、気分によってむらが出てしまうのが人間の弱さだと思います。それを完璧にできているのかどうかを揚げ足を取られても「すべて実行できている」はずがありません。

それにしても、悪いことをしているわけではないのに、周りの目を気にしないといけないというのはやり切れませんが、学生時代にも正しいことをしたり言ったりしても周りから「真面目」「いい子ぶりっこ!」「1人だけ目立とうとして」「偽善者」など、周りと同調していないと居心地が悪かったり、足の引っ張り合いをしてきて大人になってきたように思います。(私自身、そういうことをした経験を今になって後悔しています)

子供には理性よりも感情の方が優先するので、そういう理不尽な事が平然とまかり通りますが、大人になっても同じように他人の足を引っ張るようなことを言う人と出会うと、自分自身の子供時代を思い出しながら、かわいそうな人だなと思ってしまいます。

逆を言うと、こういう人への免疫や対処法を身に付けていくことが、成長していくためには必要不可欠なように思います。

そういう後ろ向きな人間に言われたことで、自分の言動がセーブされてしまうことの方が大きな損失だと思って、さらに自分の思いを発信していくことが成長していくためには大切なんだと思います。

今現在で言動の一致をとがめられれば、謝るしかないですが、未来の自分に向かってより近づきたいという思いを持って言っていることに対して、発信している内容の揚げ足を取ってくる人間を相手にしていたのでは、なりたい自分になれなくなってしまいます。

「優しいだけでは生きていけない。強くなければ生きていけない」といった人がいますが、少しづつでも打たれ強さを身に付けていかなければ、いつまでも「自分らしく生きていく」ことはできないのではないかと思います。

明日から4月です。



当クリニックは6人の新人が入社しますので、今までとは大きく環境が変わってきます。

お陰様で当クリニックは患者様が多く、毎年入社される新人が増えている状況です。



仕事自体は毎日同じことの繰り返しなので、職場において、仕事はある意味単調になりがちです。

仕事に焦点を当てれば単調になりますが、患者様に焦点を当てれば1人1人違う悩みを持って来院されているので、マンネリ化を防げます。

しかし、それはある意味「仕事とは何か?」「何のために働いているのかな?」など日頃から目的意識を持っている人でないと、どうしても患者様よりも自分のしている作業に焦点が合い、マンネリ化になりがちです。

人はマンネリ化を感じている時には成長していません。

マンネリ化とは、目的意識が希薄で日々、なんとなく作業をしている状態をいうのだと思います。

マンネリ化を予防していく方法もいくつかあると思いますが、やる気や情熱に満ちた新人を入社させることで昔の自分を思い出すことで初心に帰れることもあります。


当クリニックのスタッフは、お互いが切磋琢磨して成長している好循環を感じますが、常に高いレベルを目指して成長できる環境にしていきたいと思っています。

技術は時間とともに身に付きます。しかし、技術の上昇とともに、情熱や新鮮な気持ちは失われがちです。


イチローは今でも「野球が好き」ということを大事にしています。

人の成長は目先の才能の差ではなく、初心をいつまでもち続けられるかの差のように思います。

新人に負けないぐらいの情熱を持ち続けていきたいなと再認識する4月です。

「買わない本は読めない」「本との出会いも一期一会だ」だから「これは!と思った本はまず買っておく」というのを長い間信じて実行していました。



しかし、今ではなるべく読める環境(特に時間的に)が整った時に、読みたい本を少数買うように変えてきました。



以前はどちらかというと多読派でしたが、今は精読派に変わってきています。



子供や仕事で時間的な制限が多いため、何冊も読むよりは、同じ本を何度も読むことを心掛けています。

「この本を読みたい!」と心からワクワクドキドキした時が一番頭に入る時で、買っておいておいたために時間がたって「そろそろ読まなければ」という義務になって読んでもあまり頭に入らない事に気が付きました。



人間の行動には必ず感情が伴います。



どういう感情が伴ってする行動かで、出てくる結果も大きく違ってくるように思います。



TV、読書、人と会うこともワクワクしているのか、義務なのかで有意義にもなれば、時間の無駄にもなってしまいます。



最近意識しているのは「何気なく生きない」「目的意識を持って生きる」ということです。



「ネバならない」ではなく「○×したい!」という気持ちに素直に行動したいと心掛けていますが、歳とともにこの「○×したい!」という気持ちが鈍くなってきているのを感じる今日この頃です。



若いスタッフと接していて「若さっていいな」と思ってしまう自分が悲しいです(笑)