私は社員とのコミュニュケーションの一環として交換ノートを行っています。
そのノートを読むと、社員1人1人が物事を深く考えたり、真面目に生きているな~と感心することが多いです。
社員にはブログを書くことを推奨しているので、交換ノートのような内容をブログにもアップすれば、その人の成長が加速するのにな~と少し残念になります。
交換ノートには書けるのにブログには書けない理由として、交換ノートは私しか読みませんがブログの場合には不特定多数の人が読みます。
そうなれば、自分の文章に共感してくれる方だけでなく、自分の意見を受け入れない人や、反対意見や、自分のことを攻撃してくる人間が出てきます。
それを恐れて、ブログには差し障りのない文章を書くのだと思います。
私自身「幸せってなぁ~に?!」なんてこっぱずかしい題名にしたり、ブログの内容も偉そうなことを書いているので、ブログを書き始めた当初は、上記のような危惧がありました。
実際に、そういうこともありました。
しかし、私は20人以上の上司である責任感や多くの患者様を治療している使命感から自分の生き方、考え方を公言していく義務や使命があると思っているので、恥ずかしくても自分の意見を発信し続けてきました。
「お前はそんなに立派な人間なのか!?」「偽善者」「いい人ぶって」「すべて実行できてるの?」……などいろんな見方をされるのを覚悟の上で発信しています。
そうやって発信してきて気づいたことは、自分だけの日記であったり、心の中で思うだけと違って、不特定多数の人に公言した以上はそうならなければ「嘘つき」になるので自分へのプレッシャーが違う分、成長が加速されます。
専門用語で「アファメーション」と言われるみたいですが、自分以外の人に宣言することで逃げ道を絶って自分を追い込んで行動せざるおえなくすることが、成長を早めてくれるのでしょう。
「お前はそんなに立派な人間なのか!?」……今現在はそうでなくても、そうなりたいということを発信して非難されたのでは、学校の先生は先生になった時点で立派な人しか生徒に指導できないのでしょうか?
「偽善者」……何を持って偽善者というのか?若いうちはみんな自分のことで精いっぱいで他人を思いやる気持ちよりも自己中心になりがちです。それを少しづつでも他人を思いやろうという方向に移行していく時期を偽善者というのであれば、全員偽善者なのではないだろうか?
「いい人ぶって」……いい人になろうと思っている人にとっては、いい人ぶって行動していくことが大切なのではないでしょうか?悪い人になりたければ、悪ぶった行動をしていくことと同じだと思います。
「すべて実行できてるの?」……挨拶ひとつとっても、毎日きちんとできているかと言われれば、気分によってむらが出てしまうのが人間の弱さだと思います。それを完璧にできているのかどうかを揚げ足を取られても「すべて実行できている」はずがありません。
それにしても、悪いことをしているわけではないのに、周りの目を気にしないといけないというのはやり切れませんが、学生時代にも正しいことをしたり言ったりしても周りから「真面目」「いい子ぶりっこ!」「1人だけ目立とうとして」「偽善者」など、周りと同調していないと居心地が悪かったり、足の引っ張り合いをしてきて大人になってきたように思います。(私自身、そういうことをした経験を今になって後悔しています)
子供には理性よりも感情の方が優先するので、そういう理不尽な事が平然とまかり通りますが、大人になっても同じように他人の足を引っ張るようなことを言う人と出会うと、自分自身の子供時代を思い出しながら、かわいそうな人だなと思ってしまいます。
逆を言うと、こういう人への免疫や対処法を身に付けていくことが、成長していくためには必要不可欠なように思います。
そういう後ろ向きな人間に言われたことで、自分の言動がセーブされてしまうことの方が大きな損失だと思って、さらに自分の思いを発信していくことが成長していくためには大切なんだと思います。
今現在で言動の一致をとがめられれば、謝るしかないですが、未来の自分に向かってより近づきたいという思いを持って言っていることに対して、発信している内容の揚げ足を取ってくる人間を相手にしていたのでは、なりたい自分になれなくなってしまいます。
「優しいだけでは生きていけない。強くなければ生きていけない」といった人がいますが、少しづつでも打たれ強さを身に付けていかなければ、いつまでも「自分らしく生きていく」ことはできないのではないかと思います。