K's SHOPのブログ -12ページ目

君主論 − マキャベリ

・加害行為は一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦汁をなめさせなければ、それだけで人の憾みを買わずにすむ。これに引きかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない。


・君主はなによりも自分の臣下と起居を共にして、よきにつけあしきにつけ、突発的な事態によって自分の行動が左右されないようにしておかなくてはいけない。


・人間というものは、危害を加えられると信じた人から恩恵を受けると、恩恵を与えてくれた人に、より以上の恩義を感じるものだ。


・君主は民衆を見方につけなければならない。


・人間というものは、その本性から、恩恵を受けても恩恵をほどこしてもやはり、恩義を感じるものである。


・何ごとにつけても善い行いをすると広言する人間は、よからぬ多数の人々の中にあって、破滅せざるをえない。したがって、自分の身を守ろうとする君主は、よくない人間にもなれることを習い覚える必要がある。そしてこの態度を、必要に応じて使ったり使わなかったりしなくてはならない。


・現代にあっても、わたしたちが見聞したところでは、大事業はすべて、けちと見られる人間の手によってしかなしとげられていない。


・気前のよさを売りにしているうちに、いつしかあなたは自由に使える財力をなくしてしまう。で、貧乏になって、人にさげずまれるか、貧困から逃れようとして強欲になって、人の恨みを買うのが落ちである。とりわけ、君主が厳に戒めなければならないのは、人にさげずまれることと、恨みを買うことだ。


・そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目のないものだと。


・人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち絶ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見放されることがない。


・君主に謁見し、そのことばに聞きいる人々のまえでは、君主はどこまでも慈悲ぶかく、信義に厚く、裏表なく、人情味にあふれ、宗教心のあつい人物と思われるように心を配らなくてはいけない。なかでも、最後の気質を身にそなえていると思わせるのが何よりも肝心である。

知性について − アルトゥル・ショーペンハウアー

・他人の意見に対してわれわれが提出する異論に耳を傾けさせるには「前には私も同じ意見をもっていたのだが・・・」という言い方ほど適切なものはない。

自殺について − アルトゥル・ショーペンハウアー

・かつてあったところのものは、もはや現にあるものなのではない。それはちょうど、未だかつてあったこともないものが、現にないのと同じことである。ところで現にある一切のものは、すぐ次の瞬間には、もうかつてあったものなのである。こういうわけなのだから、極めて無意味な現在といえども、現実性という点にかけては、極めて有意味な過去よりも、たちまさっている。


・まさしくこの退屈なるものが現存在はそれ自身において何の価値をももっていないことを端的に証明している。何故なら、退屈とは現存在が空虚であるということの感覚にほかならないからである。


・人間のどのような愚鈍、欠点、罪悪に対しても我々は思いやりをもたなければならない。いま我々が眼の前に見ているところのものは、実は我々自身の愚鈍、欠点、罪悪にほかならないのではないか?もともとそれらは我々のまたそれに帰属しているところの人類の欠点なのであるから、その人類の欠点のすべては我々の身にも具わっているのである。だからして、我々がちょうどそれに対して憤慨を感じている、その欠点もまた実は我々の身についているものなのであり、ただそれがちょうどいま我々のもとには現れていないというだけの理由で、他人のことを憤慨しているにすぎない。