また始まりました。僕の思考回路が働きます。
今回は愛について。
愛情とはなんぞや?
愛する
愛している
愛して欲しい
そもそも愛とはなんだろう・・・
※これは完全な個人的解釈ですので、悪しからず。
個人的な解釈は、幸せという感情と少し似ているんです。誰かを想う心。
そしてその想う心は、求めるものではなく、感じるもの。
一緒にいて、体を重ねて、触れ合って、幸せ。個人的な私欲を満たし、満足。そしてその行為が愛している、愛を与えている、又は愛されていると思う。果たしてそれは愛情だろうか?
上記のものを仮説したのであればそれは、愛情ではないでしょう。
確かに触れ合ったり、体を重ね、肉体的な関係を持つ。これは愛情表現の一つですし、大切なことだと思います。
しかし僕が言いたいのは、肉体的な関係を持つことがいけないと言ってるのではない。
個人的な願望や私欲を満たし、それを愛だと思う。これが全てでしょうか?これが愛するという行為でしょうか?
僕は、これは単なる我侭に過ぎない。私欲を満たすだけ。対人間関係で、私欲を満たすと言うのは相手に多かれ少なかれ迷惑をかけてしまう。そう思います。
そもそも私欲というのは、自分自身の力で満たすものだと考えます。我侭を言ったらいけない、というわけではありません。ただ、全てが自分自身の我侭や私欲を満たす、こうなってしまうと大変なことになってしまう。ということです。あれが欲しい、これが欲しい、あれして欲しい、これして欲しい、そればかりじゃ付き合っているほうも疲れちゃいます。
あれが欲しい、なら自分の力で手に入れる。
あれして欲しいなら、そうしてくれる人を探す。又は自分からして欲しいことを相手にする。
等価交換の原則ではありませんが、それを得たいならそれ同等の代価が必要、多かれ少なかれ当たっていると思います。
もし仮に対人間に対して我侭や私欲を満たしたなら、それ同等の代価は?「ごめんね。ありがとう。」。気持ちのこもったこの一言は、上記以外の同等の代価になり得ると思います。
話が反れました。
では、無償の愛、というのは本当に存在するのだろうか?
難しいところです。子供に対しては無償の愛や自己犠牲の愛に近いと思いますが、子供も無意識ながら親には愛情を与えているもの。
大人同士なら?
僕はギブ&テイクだと思います。誰だって人間に生まれたからには愛されたいもの。片方だけの愛情じゃあ成り立たない。
大人であれ子供であれ、これは数学的だと思う。全ての愛は等式の両辺のように、愛すること、そして愛されることが、ほぼ等しい。
つまり、どちらかだけが愛し続けるというのは難しいことだと思います。私欲を満たし、満たされた自分に酔い、愛されている、愛していると思ってしまう。
そうではなく、愛情って言うのは、ただ単純に相手の事を想う、こういうことだと思います。愛しい、心配、大切、これらの感情の動きは全て愛に当てはまると、僕は思います。
最近良く起こっている幼児殺害。嫌な事件です。しかも実の母親が殺害した。とっても悲しい出来事です。
こういう事件が起こってしまうのは、殺害者の幼児期に親からの愛情を受けられなかったからでは、と推測します。幼児期の親からの愛情は大人になった時に大きく左右されるのではと感じます。
幼児期に愛情を注がれず育ち、そして自分の子供に対して愛情を注げられない。これはとても悲しいことです。本来なら極当たり前の事がこんなにも屈折してしまう。
時代が進み、物質的に満たされた今の生活の中で「幸せ」や「愛」というものに反応する力が弱まっているのかもしれない。そんな生活の中で愛情を注ぐ、ということも変わり果ててしまったのでしょうか?
皆さんにとって愛とはなんですか?