幸せになりたい。良く口にしますが、果たして幸せって与えられるものなんでしょうか?
たとえば、人間が目という器官だけでものを見るようになってから、額にあったという第三の目の能力を失ってしまったように、物質的に満たされた今の生活の中で「幸せ」というものに反応する力が弱まっているのかもしれない。
自分を顧みても、溜息をついてしまうようなことばかりに、ついつい意識が向いてしまう。
そうとは気づかずに見過ごしてしまった、たくさんの幸せ。それらはどこにいってしまったのでしょう・・・
たぶん、幸せは現象ではなく能力なのだと思う。幸せを見つける能力、感じる能力、作り出す能力。僕はそう思う。そう思うと、自分は幸せになれると信じられる。
例えば、今の自分の生活の質、仕事、人間関係、家庭環境について、不満があってそれを変えたいと思っている。「でも出来るかな、自分にはそんな力がないんじゃないかな・・・」不安にもなるでしょう。
僕たちが今の状況に置かれているのは、もしかしたら偶然ではなく、必然なのではないでしょうか。自尊心の度合いに応じて、自分にふさわしい人間関係や状況に自分を引き込んでいるのでは、と思うんです(ただし、それは無意識の行為だから、意図的にほしいと思っているものとはかけ離れているかもしれない)。
ちゃんとした自尊心を持っている時は、他人からの敬意や協力、友情を期待し、しかもそれらをおおよそ得られることが多いが、自尊心が乏しい時はは居心地の悪い不快な状況に巻き込まれることが多い。けなしあうような事態さえ招いてしまうのは、そういう理由なのではないでしょうか。
じゃあ、人生を好転させるためには?僕は自尊心を高めることに集中する。そうすれば幸せになろうという思いが強くなる。自分はより幸せになるに値する人間だと確信できれば、あとは自然と自分から幸せを生み出していくんだと思います。「大丈夫、必ず幸せになれる」って信じられるようになっていくんだと思います。
見上げた空が、ただただ青く澄んでいた。それだけで幸せ、と、いつから感じられなくなってしまったんでしょう。忙しい仕事や、煩わしい人間関係や、ままならぬ恋や、将来の不安や、現在の不満・・・そんなことばかりが胸の中を占めて、幸せに繋がる回路がこんがらがっていたようです。
けど今、僕はなにやら肩から力が抜けて、吐き出す息もどこかほのぼのしています。少しだけ、幸せへの回路が、復興しはじめたようです。それがとても嬉しくて、とてもありがたい。この場を借りて・・・
みんな、ありがとう。