現実的不安と精神的不安

僕的解釈では、不安は二種類ある。
現実的不安と精神的不安。


現実的不安は、この先大丈夫か、稼いでいけるか、二股かけてないか、誰かとXXXしてるんじゃないか、などなど、事実として起こりうる事に恐れる気持ち。

精神的不安は、どう思われてるんだろう、どう感じてるんだろう、こんな事感じているんだ自分、みたいな相手の心や自分の心の感じてる事への恐れる気持ち。


現実的不安は逃げようにも逃げられない事、つまり事実だから、なんとかせざるを得ない。というよりなるようにしかならない。逆を言えば、事実なら打開策は意外と見つかる。


しかし厄介なのは精神的不安。これは、見事に現実的不安とリンクしている事がほとんど。そして大半が人間関係からくる。
相手の感じてる事や心、想いなどがわからないと起こったり、自分の感じてる事や心があまりにも惨めで、脆い自分を目の当たりにした時だったり。こうなると普段なら乗り越えられる不安も、やたら高く見える。つまり心が不安定だと現実的なものも乗り越える意欲が少なくなりやすい。
逆に安定してくると、いつも以上の力を引き出してくれたりもする。

じゃあ精神的不安を無くす為には?
対人間の場合は、とにかく、相手を信じる、信じられるような行動してる、又は自分を信じてもらう、信じてくれるよう努力する。つまり、お互いにお互いを信じ、お互いにお互いを信じてもらえるよう努力する。
これがあって初めて信頼が生まれるんだと思う。そして精神的不安も少なくなるのでは。
また、対自分自身の場合、自分の気持ちや今の状況、そして自分自身を責めすぎない。なるべく自分自身に利益がある方へ導く。只でさえ望んでなくとも嫌な事、辛い事は振りかかってくるものだ、だからこそなるべく自分自身に優しくする。一人で出来なかったら誰かを頼っても良いと思う。誰かに話して、少しでも楽になったりするならその方が良いだろう。以前も話したが、誰かに話すということは、自分の存在の確認も含む。自分の存在を確認したうえで、悩みや不安を話すということは、かなりの安心感を得られるであろう。

現実的不安にしても精神的不安にしても、辛いことや悩み、不安を誰かに話す、ということは、自分の存在も確認でき、その悩みや不安を吐き出す、すなわち言葉にする、と言うことは整理が出来る。結果的に、楽になる要素が多い。

しかしながら不安とは厄介なものだ。

しみじみそう感じた。