【大アルカナ ⅩⅢ TRANSFORMATION (変容)】
① 運命と天職(その1)~初めての介護(「介助)経験
② 運命と天職(その2)~身体障害のある、一人暮らしのおばぁちゃんの
家事援助に入る
③ 運命と天職(その3)~流産をキッカケに、”自分見つめの旅”が始まる
⑤ 運命と天職(その5)~緩和ケア科に、アロマテラピーを導入する
⑥ 運命と天職(その6)~癒しの仕事が私の天職だった
④ 末期がんの女性患者さんに頂いた「レモン化粧水」
時は過ぎ、
ミレニアムと騒がれた、西暦2000年幕開けのある日、
夫の会社から、1年間の海外業務の辞令。
行く先は、シンガポールでした。
海外生活に、憧れはありましたが、
こう見えても現実的な私。
たった1年間で、国外の引越は面倒くさい。
「1年間なら、一人で行ってくれる?時々、遊びに行くから。」
すでに15年以上経っている結婚生活。
「いつも一緒に居たいの~♡」、なんて気持ちはとっくに冷めてますから。(笑)
子供も無く、夫婦二人の生活は、
かなり自由な身ではありましたが、
一人ともなると、もっと好き勝手(?)出来る自由な身です。
迷う事無く、東京居残りを選択。
(そんな性格の私です ^^;)
「経済的にも恵まれ(当時はね)、時間もたっぷりある。
さて、私は何をして過ごしましょうか。」と、
ウキウキしながら、1年間の独身生活?計画を考えます。
そして出した私の答え。
「病院のボランティアでもするかな...」
頭に意識した動機は、軽い気持ちの「◯◯でもするかな」でしたが、
実は、無意識の領域からの、選択、行動だったんですね。
過去の体験から、
私は、介護(介助)する行為に、「充実感を伴う喜び」を知っていたのです。
ある意味これも、脳内麻薬?
(というか、人間というのは快を求める生き物なんだと思います)
不思議なことに、望んだものが直ぐ目の前に表れます。
たまたま手にして見た、
「病院ボランティア募集」の記事。
活動する場所は、
*外来
*一般病棟
*緩和ケア病棟
この3つの中から、活動先を選ぶようにとのことでした。
「カウンセリングを10年以上、学んで来ているんだから
緩和ケア病棟が、活かされそう...」
という、(今思えば)思い上がりの理由で活動場所を選び、
2000年の9月から、緩和ケア病棟のボランティアとして、
実際に活動が始まります。
軽い思いつきで始めた事が、
15年以上経った今も続いているのですから、人生って不思議。
※緩和ケアとは、、、
癌によって生じる身体的な痛みだけでなく、
心理的、霊的な痛みも含め、
その人らしい生活、最後まで尊厳を持った生き方が出来るよう
医師、看護師などの医療スタッフだけでなく
ご家族やボランティアなどが、
チームを組んで行う、チーム医療の体制で、
末期がんの患者さんをサポートします。
そういう基本姿勢の、緩和ケア科だったので、
当時から、私たちボランティアに対し、
「何号室◯◯さんの、足を軽くでいいので少しの間さすって貰えるかしら?」
という依頼がよくありました。
「それって、”マッサージ行為”になるんじゃないの?
資格は?」などと、思った方もいるかもしれませんね。
私も正直、初めて看護師から依頼されたときは、
「え?人様に身体をさすったこともないのに、
しかも、癌患者さんに(ボランティアの私が)やっていいの?」って、
ちょっと心の中で躊躇しました。
「軽く、擦ってくれるだけでいいんですよ」という、
看護師の一言で安心し、”マッサージ”に入ります。
いわゆる、本格的な「マッサージ」ではありませんからね。
子供の「痛いの痛いの飛んでけ~」みたいな感じです。
末期癌になると、下肢がむくむ患者さんが多く、
足がだるいと訴える方が多かったんですよね。
優しくソフトに、衣類の上から擦ったり、
肌に軽く手を添えて、撫で擦ったりするだけでも、
すごく気持ちが良いと、ボランティアのマッサージが
大変評判になり、患者さんから喜ばれました。
時には、マッサージに入って、お話が弾んで楽しく過ごしたり、
お悩みを話されたりすることも、多々ありました。
(※ 今現在は、重篤な患者さんの入院が多いため殆どありません)
翌年、2001年7月頃だったでしょうか。
個室に入院された、ある女性患者さんのマッサージに入りました。
その方との出合いが、私の人生を180度変えることになります。
病室に入ると、出窓やテーブルに、
素晴らしい手編みセーターやショールが、華やかにディスプレイされています。
そして、
「いらっしゃい~♪」と、
優雅にボランティアである私を、迎え入れてくれるご婦人。
そのご婦人に、脚のマッサージをしながら、
糸の染色、糸を紡ぎ、そして手編みで作品を作る行程を聞きました。
その世界では有名な、手編みの職業婦人でした。
20歳代から、プロの手編み職人として生きて来られた方だったのです。
今では考えられませんが(怒られる!^^;;)
その方と、メールでやりとりもしていました。
2001年8月22日付けで送った、私のメールが残っているので
一部、ここにご紹介したいと思います。
そのときの私の感動が、リアルに綴られています。
* * * * * * *
手に取って見る、ひとつ一つの作品は、
◯◯さんの人生そのものを感じさせ、
趣味の領域を越えて、一つの道を極めた作品として、
感動と興奮でいっぱいでした。
手紡ぎのお話をされているときの◯◯さんは、
今でも、活き活きと話されます。
本当にやりたいことを、
貫いて生きて来られた姿に感服します。
好きな事に、とことん打ち込めるって、
出来そうでなかなか出来ない。
それが出来るっで、幸せだなぁと思います。
すごいなぁと思います。
◯◯さんの存在は、
私の、これからの生き方に良い刺激と影響を受けました。
「本当にやりたいことを貫く」ということ。
「一つの事を貫き通す」ということ。
やり遂げた人の、その姿というのは、
他人を感動させたり、勇気を与えたりするんですね
大いなる不思議な、”力”が、あるものなのですね。
* * * * * * *
◯◯さんも、私と同じ、
お子様がいらっしゃらなくて、ご主人と二人暮らしです。
◯◯さんの時代は、女性が手に職を持つというのはまだ珍しい時代です。
経済的に豊かな家庭環境にいながら、女性の自立した生き方は、
私にとって、頭上に雷が落ちたほどの衝撃でした。
何故ならば、
私は、
普通に学校に出て、
普通にOLになって、
普通に結婚し、
ごく普通に、人並みに。
何の取り柄も無い私の人生は、
そんなもんだと思っていたからです。
◯◯さんは、自分の人生を自分で選択し、
悔いの無い人生を生きて来られたのが分かりました。
だからこそ、癌末期でありながらも「今」を楽しめる。
私とはまったく違う生き方をして来られた◯◯さんに、
憧れのような気持ちが芽生えました。
◯◯さんは、洗面台に置いてある小瓶を指差し、
「これね、手作りのレモン化粧水なの。
貴女にあげるから、他の患者さんにもお使いになったら?
20代の頃、手紬を習う為にイギリスに行ったとき、
イギリス人の職人さんの手が、とてもスベスベしていたのに驚き、
聞いたのよね。「どうして手荒れしないのですか?」と。
「コレを使っているからよ」と見せられたのが、
この、レモン化粧水だったの。
それ以来、私もずっと使っていて
本当に、肌荒れに良いのよ。
癌患者さんは、皮膚が乾燥してポロポロ剥がれやすいから
コレ使うと、すごくいいと思うわよ。
と言いながら、私にレモン化粧水と、
そのレシピを、下さったのです!!
それが、コレです。(今も大事に持っています)
早速、レシピを参考して、「レモン化粧水」を作って
緩和ケア病棟の、他の患者さんにも使わせてもらいました。
「香りがとても良くて、お肌がキレイになる!」と、
大変好評だったのは、いうまでもありません。
(※ 当時は、患者さんから教えてもらったもの、ということもあってか、
寛容に受け入れてもらい、有り難い環境でした)
緩和ケア科の、香りを使ったマッサージは、
この、「レモン化粧水」が始まりでした。
その2ヶ月後に、
「アロマテラピー」という芳香療法がある事を知る事になります。
つづく。
杉並区南阿佐ヶ谷にあるリラクシンは疲れきった心と身体を充分に癒して幸せ度を上げるサロンです