今朝、玄関脇の発泡スチロールをよじ登っている形のセミの抜け殻を見つけました。庭の木の根元の土の中で育った幼虫が、ここまでやってきて羽化したのでしょうか。抜け殻になっても、踏んばっている姿が何ともいじらしい朝の空蝉君です。
さて、芭蕉は大津を離れている間も大津の仲間たちと、何度も手紙のやり取りをしています。例えば、元禄四年(1691)正月上旬大津から伊賀上野に帰った芭蕉は、膳所の正秀から届いた手紙に返書を送りました(正月十九日)。その内容は、冒頭に暖かくなるにつれて持病の痔疾も快方に向かっていることを告げた後、下記のような多岐に渡る内容が続きます。
第一項 乙州が江戸滞在中の留守の間の芭蕉の世話は正秀が担当するという知らせの
対する謝辞。
第二項 送られた正秀の作品の優れたところを賞讃。
第三項 正秀から伊賀上野へ届けられた茶、魚、野菜に対する謝辞。
第四項 芭蕉の定宿の如くなっている義仲寺境内の新築中の草庵についての感謝と同時に、それに執着してはいけないと自戒する言葉。
第五項 益々俳諧に励むよう進言すると共に、膳所在住の仲間、及肩・昌房・探志たちへの伝言。
このような芭蕉の返書から、大津の門人たちと芭蕉との親しい交流がわかります。
その後、嵯峨野の落柿舎(去来の別宅)、京都の凡兆宅に滞在して、『嵯峨日記』執筆や『猿蓑』の編集に参画するなどした後、再び大津へ。第七回大津滞在(6月25日から9月28日まで膳所義仲寺の無名庵に滞在)です。
(58)初秋や畳みながらの蚊帳の夜着 芭蕉
初秋の頃になり、畳んで置いてある蚊帳を夜着(着物状の夜具)の代わりにかけて寝ます。無造作な暮らしぶりです。
(59)秋海棠西瓜の色に咲きにけり
秋海棠が西瓜のような色の花を咲かせています。曲水亭で見た秋海棠を詠んだと言われています。
(60)秋の色糠味噌壺もなかりけり
金沢の門人句空に頼まれて、兼好法師の画に画讃を書いた時の作品。秋の侘しさも増す頃、糠味噌漬を作る壺も持たないほど清貧に甘んじて暮らした兼好法師だったのでしょうと、兼好法師の人柄を讃えています。
(61)静かさや絵掛かる壁のきりぎりす→淋しさや釘に掛けたるきりぎりす
金沢の門人句空編著の『草庵集』によると、無名庵を来訪した際、芭蕉が句空に贈った句。きりぎりすは現在のこおろぎのこと。推敲句では釘に掛けた虫籠の中のきりぎりすが鳴いています。無音の世界よりも、はかない虫の音が聞こえるほうが、より淋しさが増すというのです。虫の音をミュージックとして聞いているのでしょう。