琵琶湖大橋西詰の米プラザからの琵琶湖

 琵琶湖の沖を北から南へ航行していた観光船MEGUMIが急に向きを変えて、湖岸の私に近づいてきました。乗船するわけでもないのに、なんだかワクワクしてきます。朝、大津港を出発したMEGUMIは、一日かけて琵琶湖の全ての島をめぐり、大津港に帰る前に米プラザに寄港するのだとか。夏の湖風が気持ち良い午後でした。

 元禄三年十二月末から、大津の乙州の新宅に滞在して越年した芭蕉の第六回大津滞在中の句から。

(50)比良三上雪さしわたせ鷺の橋 芭蕉  

 1964年にできた琵琶湖大橋。その三百年も前にこの地を訪れた芭蕉(47歳)が、読んだ句です。芭蕉は、比良山の冠雪が美しいこの地に立ち、対岸の三上山(小さいけれどその形が富士山に似ているところから「近江富士」とも呼ばれている)まで、白鷺よ、翼を広げて雪のような鷺の橋を渡しておくれと呼びかけています。「鷺の橋」は、七夕の夜に織姫と彦星のために鵲が翼を並べて天の川を渡すという想像上の「鵲の橋」のこと。何と楽しい雄大な空想の一句でしょう。47歳の芭蕉に、青年の詩心を感じます。堅田に移り住んだ私が、芭蕉を身近に感じ興味を持ち始めた一句です。

⁽51)つね憎き烏も雪の朝(あした)かな

  →ひごろにくき烏も雪の朝かな 後に推敲した句です。

いつもは憎らしく思う烏も雪の朝には、素敵に趣を感じます。それは、烏の黒と雪の白のコントラストの美しさからでしょうか。芭蕉の絵心を感じる一句です。

⁽52⁾貴さや雪降らぬ日も蓑と笠

 この句は、三井寺の僧定光坊実永阿闍梨の求めにより詠んだ卒塔婆小町の画讃句です。謡曲『卒塔婆小町』は、観阿弥(室町時代の猿楽師)の作で、かつて小町への恋を成就できなかった深草少将の怨念が、老境の小町を苦しめているという筋書きでした。私は、大津市の月心寺の庭にある小野小町の像を訪ねたことがありますが、その像も妖気さえ感じるような老いさらばえた老婆の姿でした。平安時代前期、紀貫之に「六歌仙」の一人にあげられ、絶世の美女として知られる小野小町が、なぜ老いて落魄した姿で描かれるのでしょう。

 ところが、卒塔婆小町の画讃句としての芭蕉の句は、雪の降らない日も蓑と笠の姿の老いた小町は、何と貴いではないかというのです。

 芭蕉の俳句的発想に、既存の価値観に疑問を投げかけ、新しい価値観を模索するロックのこころを感じました。