通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細通じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
皆さんの中で通りゃんせを知らない人はいないでしょうし、皆さん何気なく口ずさむこともできるでしょうが、改めて歌詞を見ると、童謡にしては謎めいた歌詞だなと思ってるのは、きっと僕だけではないでしょう
この唄の由来には諸説あるようですが、実は最近書き続けている川越が最有力候補地と言うことはどのくらいの人がご存知でしょうか?
今回は通りゃんせ発祥の地を一緒に巡っていきましょう
本文はここから
【2022年9月 川越への旅 その4】
氷川神社を参拝し、小川菊でウナギを食べ、川越一番街を散策した後、テクテク歩き続けて~
川越城本丸御殿に到着しました
川越城本丸御殿は有名な観光名所だけど、僕が着目したのは道の反対側にある三芳野神社
『ええ~っ、ここは通りゃんせの唄 発祥の地なんだ~』
実は前回訪れた時にこの看板の存在を気付いたので、今回はそこまでテンション上がらなかったけど、前回はビックリしちゃったよ~
ここで、通りゃんせの歌詞の由来を説明すると~
平安時代に創建され、太田道灌の川越城の築城に際し川越の鎮守となった三芳野神社は、古くから一般庶民を含む地元の人々の信仰を集めていました
江戸時代になると、川越藩は江戸北辺を守る主城として重要な役割を果たすようになり、1639年の拡張整備では、総面積約9万9千坪余りの規模を持つ巨大な城郭となり、三芳野神社は川越城内に取り込まれ、一般庶民の参拝はできなくなりました
それでも、一般庶民は「お城の天神様」と呼び、遠くから参拝していたことから、当時の藩主は、年に一度の三芳野神社大祭と七五三のお祝いの時のみ参拝を許しました
ところが、一般庶民が絶対に入れない城内に入るので、警備上の理由からも「とうりゃんせ」で天神様の細道と唄われたような狭い参道にして警備の目を光らせ、密偵などによる情報持ち出し等を防ぐため、「御用のないもの通しゃせぬ」と言われるような厳重な警備体制となっていたと言われています
また、行きは怪しい者だけチェックし、帰りは機密情報の持ち出しなどの所持品チェックを更に厳重に行ったことから、「行きはよいよい 帰りはこわい」と唄われるようになったそうです
『なるほど、こう聞くと唄の歌詞と当時の事情はマッチするよね~』
と思いつつ、さっそく散策開始
と思いつつ、さっそく散策開始
まずは、小峰商店の横を抜けると~
その後、川越城本丸御殿に向かっていき~
その後、綺麗な庭や~
『あらっ・・・』
あっさり頂上に着いたけど、横を見ると先ほどの看板があり、やっぱりめげずに頑張ることは大事だなと思いました
通りゃんせ発生の地があるなど、川越は見どころが多い街だなと改めて思いました
名残惜しいですが、川越の話は次回最終回で~す
バックナンバー(童謡の地)
1 「あんたがたどこさ」
2 「赤い靴はいてた女の子」