【梅雨空の東京編 最終回】
『毎日毎日僕らは鉄板の~、上で焼かれていやんなっちゃうよ~』
この歌は、僕と同年代の人ならば、知らない人はいないよね~
知ってるくせに『知らないよ~』って言うのはダメですよ…
と、言うことで、東京の休日も段々時間がなくなってきたので
大慌てでやってきたのは「麻布十番駅」
さっそく駅を離れ、梅雨空が晴れ、清々しい青空を見ながら雰囲気のいい通りを歩くと~
この奥に、気になる銅像を発見しました~
この銅像は、可愛いお花に囲まれ、静かに佇んでいますが、誰だか分かりますか
実はこの人の名前は、岩崎きよさんと言います
と、名前を聞いてもピンと来ないと思いますが、この歌聴くと分かるかな~
赤い靴 はいてた女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の 埠頭から汽船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった
今では 青い目になっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える
今回は歌づくしの感もありますが、岩崎きよさんとはこの歌に出てくる女の子なんですよ~
ここで、簡単に岩崎きよさんのご説明をすると
彼女の両親は北海道の開拓民として苦しい生活を送っていたので
アメリカ人のヒュエット夫妻に預けられました
その後、ヒュエット夫妻はアメリカに帰国することになりますが
岩崎きよさんはその時結核に冒されていたため
麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられ、9歳の若さで亡くなったそうです
この歌は、そんなことも知らないまま、きよさんはアメリカで幸せに暮らしていると
母かよさんが思っていた話から出来たそうですよ~
因みに、岩崎きよさんの幼少時代の銅像は、横浜の山下公園にありますが
彼女の銅像を見るたびに、子を持つ親として、複雑な気持ちになりますよね~
と、感慨に浸りながら歩いていると、「はいどうぞ」の人形を発見しました~
そして、時間がさらになくなってきたので、大慌てでやって来たのは「浪花家総本店」
当店は1909年(明治42年)に創業したお店で
たい焼き発祥の店とも言われており(諸説あり、定かではありません)
「泳げ たい焼きくん」のモデルとしてその名を馳せた、全国屈指のたい焼き屋なんですよ~
今回は残念ながら、毎日焼かれる鉄板の写真を撮ることはできませんでしたが
「泳げ たい焼きくん」は僕が小学校の頃に大ヒットした曲で、友達とかと何度も歌ったりしましたが
これがそのたい焼きかと思うと、嬉しさいっぱいでしたよ~
『ヤバいくらい美味いわ~』
たい焼きを食べるなんて、恐らく10数年ぶりだと思いますが、30年来の夢が叶って大満足でした~
そして、時間もないのに無茶振りして、晩ご飯を食べに来たのは「東京ラーメンストリート」
「東京ラーメンストリート」には何度も訪れていますが、今回来店したのは「麺処 ほん田」
そして、この2日間の疲れをいやすように大好きなビールをオーダーして~
『ひゃ~、うめ~よ~』
この日は久し振りに「青ちゃんツアー」と銘打ちましたが
間違いなく誰も真似できないような行程だったので、流石の僕もヘロヘロになってたので~
何時にも増して、ビールが美味しかったですよ~
そして、飛行機の時間も気になりだした頃
今回オーダーした「醤油ラーメンNEOクラシック」が登場しました~
僕の地元福岡は言わずと知れた豚骨王国なのですが、醤油ラーメンも大好きで~
って、この姿はメッチャ美味しそうだよね~
『おお~っ』
この画像を見ただけでも、澄んだ味わいが分かると思いますが、その通り美味しかったよ~
『美味~い』
やっぱりラーメンは、日本最強の食べ物だよね~
そして、厚切りで柔らかいチャーシューも~
と、美味しいものを散々食べ尽くし
帰りの飛行機では、深い眠りについたのは言うまでもないですね~
そして、息子くんへのお土産に買って帰ったのは「パンダふなっしー」
5月に訪れた鹿児島で買った、「黒豚ふなっしー」とのコラボ写真を撮りましたが、可愛いですね~
皆さまの中には意外に思う人がいるかもしれませんが
僕がこうして色んな場所を巡ったり、美味しいものを食べ歩きしだしたのは
「青ブロ」を始めてからなんです
それからの日々は、平凡だった毎日に活気を与えてくれるものになりました
でも、「青ブロ」を今日まで続けてきたのは、コメントやペタしてくれる皆さまのおかげであり
皆さまからの一言一言がどれだけ励みになっているか、感謝の念に堪えません
「青ブロ」のこと、これからもよろしくお願いしますね~
【東京ラーメンストリートのバックナンバー】