喜多院・仙波東照宮を巡り、川越との別れを | 青ちゃんのハッピー気分なブログ2(青ブロ2)

今話を含め、川越市のことを5話に亘って書いてきましたが、川越市は魅力的な街だということは、前話をご覧いただいた人はお気付きだと思います

 

ただ、この日も気になったのは人気観光地の川越一番街辺りは賑わってたものの、川越城や喜多院辺りはあまり人がいなかったこと・・・

 

皆さんが川越を訪れることがあったら、是非この辺りまで見て回ってほしいと思ってま~す

 

 

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【2022年9月 川越への旅 その5】

 

時間も15時半を回り、川越散策もいよいよ終盤戦・・・

 

川越城を出た後テクテク歩くと、喜多院・成田山参道と書かれたゲートを潜ると~DASH!

 

 

のっけから不動明王(?)を見つけ、テンションを上げつつ~DASH!

 
 
江戸時代末期の1853年に創建され、明治10年に成田山最初の別院となった成田山 川越別院に到着し、楼門を潜ると~DASH!
 
 
弘法大師を横目に見つつ~DASH!
 
 
発見したのは大五鈷杵音譜
 
 
五鈷杵とはお大師さまが右手に持たれている密教の重要な法具で、ここには手に触れてお大師さまとの同行二人のご縁を深めてほしいと書かれていたので、なでなでした後に~DASH!
 
 
本堂前に立ち~DASH!
 
 
『今度こそコロナが収まりますように!!
 
と静かに手を合わせました拍手
 
 
宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤
 
 
その後もテクテク歩き、川越大師 喜多院に来たけど~DASH!
 
 
『いやいや、まだメッチャ遠いや~んゲラゲラ
 
 
と言いつつ、更に歩くと~DASH!
 
『おっ・・・びっくり
 
 
これって、時の鐘にそっくりだなと思ったけど~DASH!
 
『ウナギ屋さんなんだ~ゲラゲラ
 
 
見た目もそっくりだったけど、こういう遊び心は最高だよね~口笛
 
『ユルイの大好き~ゲラゲラ
 
その後も歩き続けると~DASH!
 
 
『おっ・・・びっくり
 
 
漸く到着したなと思ったものの、どうもここは側面だったみたいなので~DASH!
 
 
改めて江戸時代初期の1632年に南海坊天海によって建立された山門から潜り直しました音譜
 
 
境内に入り、すぐ見つけたのは~DASH!
 

 

山門を建立したと言われる南海坊天海で~DASH!

 
 
更に近づき、その姿をまじまじと見つめちゃいました音譜
 
 
南海坊天海も謎に満ちた人物で喜多院HPから丸めて引用すると~DASH!
 
南海坊天海(天海大僧正)は謎多い人で、関ヶ原の戦い後、徳川家康公の絶大な信頼を得、顧問的な存在として立ち回り、以後、二代将軍 秀忠公・三代将軍 家光公に仕えました
 
また、1612年には、天海の進言により家康公は無量寿寺再興を認め、喜多院を関東天台宗の本山と定めて天海の在住を招請し、関東の天台宗寺院は全て喜多院・天海のもとに属することとなりました
 
なお、108歳まで生きた南海坊天海が残した「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食細くして こころ広かれ」という言葉は養生訓としてつとに有名です
 
因みに、南海坊天海は謎多き人で、一説によると明智光秀ではないかとも言われています
 
僕は根っからの歴史オタクなので、明智光秀が生き残り、この地で108歳で亡くなったかもしれないなんて言われたら、テンション上がっちゃったよ~OK
 
 
その後、慈恵堂(本堂)に向かっていき~DASH!
 
 
『今度こそコロナが収まりますように!!
 
との願いを込め、静かに手を合わせました拍手
 
因みに、喜多院のことを同院HPから丸めて引用すると~DASH!
 
喜多院とは、平安時代の830年に慈覚大師円仁により創建され、1599年に第27世の法灯を継いだ南海坊天海(天海僧正)は、1611年に徳川家康が川越を訪れた際に親しく接見し、そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、4代将軍徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました
 
ただ、1638年の川越大火で現存の山門以外は焼失し、3代将軍徳川家光公はすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山の別殿を移築して客殿・書院に当てました
 
さっきも書いたけど、南海坊天海は徳川家康公の顧問的役割を果たすなど、信頼感が絶大だったので、こんな手厚い対応があったのね~ふんわり風船星
 
また、江戸城紅葉山の別殿を移築した客殿では三代将軍徳川家光「誕生の間」、書院では春日局が使用していた「化粧の間」を400年払うと拝観することができ~DASH!
 
 
写真を撮ることができなかったのは残念だったけど、家光公が生まれた部屋や春日局が化粧していた部屋を観ることができるなんて、感慨もひとしおだったよ~グッ
 
 
なお、有料拝観エリアでは五百羅漢だけは唯一写真を撮るのが許されていたので~DASH!
 
 
張り切って中に入ると~DASH!
 
 
『おお~っびっくり
 
 
喜多院の五百羅漢日本三大羅漢の一つに数えられ、江戸時代半ばの1782年から1825年の約50年間にわたり建立されたもので、全部で538体が鎮座していると言われているので、正に圧巻のひと言・・・
 
 
一体毎に表情・ポーズが違い、いつまでも眺めてたかったけど、時間も限りがあるので残念ながらここで終了汗
 
 
因みに、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っているそうだけど、スゴいのかホラーなのか・・・びっくり
 

 

なんてこと言ったら、怒られそうだよね~てへぺろ

 

また、ここで目を引くのは多宝塔で~DASH!

 

 

川越大火の翌年1639年に建立されたものだけど、13mもの高さがあり見事だったよ~グッ

 
 
次に見つけたのは鐘楼門で~DASH!

 

 
建立年代ははっきりしないと言われているけど、ここも趣ある姿が印象的だったよ~ふんわり風船星
 
 
その後も奥に向かってテクテク歩くと~DASH!
 
 
少し雰囲気が変わってきて~DASH!
 
 
ここにあるのは日本三大東照宮のひとつの仙波東照宮音譜
 
 
さっそく「青ブロ」恒例の階段を登り切り~DASH!
 
 
なぜ川越に東照宮があるかを説明すると~DASH!
 
1616年に駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬ったが、家康公の遺言に従い、2代将軍の徳川秀忠が日光に移葬し、1617年に日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営んだことから1633年には立派な社殿が造営されたそうなのよ~ふんわり風船星
 
 
僕がここを訪れたころ、ちょうど社殿の方から西日が当たっていて~DASH!
 
 
ただでさえ厳かな雰囲気があるなかで、まるで家康公が僕の来訪を喜んでくれてるようだったよ~グッ
(んな訳ないかゲラゲラ)
 
 
というように、ここには喜多院・仙波東照宮が並んでいるので、喜多院に行くことあったらセットで回ってね~グッ
 
 
 
宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤
 
 
と、この日は6時間近くに亘って歩き回ったけど、暑さとキツさが相まって既に体力も限界に近づいたので、和菓子カフェ亀屋十吉で休憩することにしました音譜
 
 
何故かというと、こんな魅力的な看板があったからで~DASH!
 
 
『ジャジャ~ん!!
 
 
と言いつつ登場したのは濃厚苺みるくかき氷音譜
 
 
このかき氷は果肉もたっぷりなうえに~DASH!
 

 

かき氷自身もみるくがたっぷりで~DASH!

 
 
『ちゅべたくて美味いよ~アップ爆  笑アップ
 
ただ、戻りの時間がそろそろ気になり、ガツガツ食べ頭がキ~ンとなったけど、見た目通りにボリューミーだったので、食べても食べても減らなかったけど~DASH!
 
 
『最後まで美味しかったよ~アップ爆  笑アップ
 
掛け値なし、これお薦めの逸品だよ~グッ
 
 
宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤宝石ブルー宝石緑宝石紫宝石赤
 
 
さ~、いよいよ川越ともお別れの時・・・
 
 
いつものように帰りの電車が気になりだして~DASH!
 
 
急ぎ足で歩いて行くと~DASH!
 
 
西武 本川越駅に到着音譜
 
 
今日は楽しい一日だったなと思いつつ~DASH!
 
 
帰りの電車に乗りました音譜
 
 
でも、この日の話はまだまだ続き・・・
 
次の話もよろしくね~バイバイ