【娘と訪れた耶馬渓・豊後の旅編 その2】
一目八景と耶馬渓ダムの素敵な景色を堪能した後、「青の洞門」へとやって来ました
江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、
樋田・青地区では川の水位が上がったため、
通行人は競秀峰の高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にするような危険な道を通っていました。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、
多くの人馬が命を落とすのを見て心を痛め、1735年から自力で岩壁を掘り始めました。
禅海和尚は托鉢勧進によって集めた資金で石工たちを雇い、ノミと鎚だけで掘り続け、
30年余り経った1764年に全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。
1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、
以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てたことから、
日本初の有料道路とも言われています。
因みに、この逸話を基にして、1919年(大正8年)に「恩讐の彼方に」(菊池寛著)が執筆され、
「青の洞門」が有名になったと言われているんだよ~
と言うことで、眼前に流れる山国川を眺めると~
川原でも遊べるんだと思いながらも~
この日は時間がなかったので、観光を優先することにして~
テクテク歩き出しました
すると、件の禅海和尚を発見したけど~
ノミと鎚だけで掘り続けるのは、言葉にできないほどの困難があったことは想像に難くなく、
僕らも見習わなければならないと思ったよ~
いよいよ洞門に突入
このトンネルは改修され、当時の面影は残してないけど~
断続的に表れるトンネルを見る度に~
江戸時代に、よくここにトンネルを掘ろうと思う気になったなと思いつつ~
トンネルを通り抜け、反対側に出ちゃったよ~
確かにこの一角が難所なんだなと思い~
30年もの時間をかけ、いや生涯をかけ、
トンネルを掘り続けた禅海和尚に頭が下がる思いでいっぱいでした
因みに、ここには今でも手掘りした跡があるので、再びトンネルを戻ると~
そこには、今でも洞門を掘り続ける和尚の姿があったけど~
こんなやり方で掘ったなんてスゴすぎる~
因みに、この明かり窓も手掘りだと言われてるんだよ~
この時は紅葉の時期にはちょっと早かったので観光客が少なかったけど、
ピーク時には周辺道路は大渋滞、この辺りは大混雑になるほどの人気なんだよ~
その後、駐車場に戻って歩いていると~
綺麗な紅葉を観ることができたよ~
『あはは・・・』
一度にぶっこみすぎですか~
ま、これも「青ブロ」の醍醐味と言うことで~
その後、山国川の反対側に渡ると~
さきほどのトンネルの明かり窓とか、下の方に見えると思うけど、
ここは競秀峰(きょうしゅうほう)と呼ばれる景勝地なのよ~
因みにアップにするとこんな感じ
この景色を観るにつけ、トンネルを掘ろうと思った和尚には頭が下がりました
娘もこの景色が気に入ったらしく、暫くパチパチしてたよ~
その後、車に乗って羅漢寺へとやって来ました
羅漢寺は羅漢山の中腹にあるお寺なので~
ここのリフトは傾斜がキツいうえに、上まで続いてるんだけど~
途中下車して、歩いて行って~
洞窟の中に埋め込みように建設された姿は圧巻で~
厚い信仰心、強い心など、人間の力って本当にスゴいなと感動すら覚えちゃったよ~
因みに、羅漢寺はこの場所くらいしか写真獲ることできないのが残念だったけど、
五百羅漢とか他にも見所いっぱいあるんだよ~
その後、再びリフトに乗ると~
写真では万分の一程度しか伝えられないのが残念だけど、
息を呑むほどの素敵な景色が広がってたよ~
この辺りは火山活動による凝灰岩や凝灰角礫岩、熔岩からなる台地の侵食によって
奇岩がいっぱいあるんだけど~
それにしても、いつまでも続いてほしいと楽しい時間って、
どうしてあっという間に過ぎ去っちゃうんだろうね~
【「青ブロ」のバックナンバー】
「ウトロのゴジラ岩」(北海道)
「青海島の観音様」(山口県)
「九十九島」(長崎県)
「九十九島での感動のサンセットクルーズ」編