朝食後に大分市を散策しつつ大分駅までやって来て、ここから先はバスの旅


早速8時50分発の大分バスに乗込み、20分ほど揺られ、
9時10分に目的地である豊後一之宮の「柞原(ゆすはら)八幡宮」に到着しました


当社は827年に宇佐八幡宮から分霊を勧請し、
836年に社殿を創建した由緒正しい神社となっています

しかし、ここは交通の便が悪く、9時40分に折返す乗車してきたバスを逃すと、
その次のバスは1時間以上待たねばならなかったので、
運転手さんに『必ず帰って来るから、出発しないでね~』
と泣きのお願いをして、早速参拝することにしました

しかし・・・


『ガビ~~~ん



(って書くと、またまたツッコまれそうだけど・・・

またまた「青ブロ」恒例の急階段が現れてきたので、
『えっさえっさ』と死にもの狂いで駆け上がり、鳥居を潜ると~


『ガビ~~~ん



(って書くと、何度もしつこいねんって言われそうだけど~


この日は前夜に降った雨で路面が濡れてる箇所があることに加え、
何よりクールビズ姿で革靴を履いてる状態だったので、
転ばないように、遅刻しないように、一生懸命早足で歩き、漸く南大門にたどり着きました


その後、『ヒエ~~~


『ガビ~~~ん




を繰り返し、『ぜ~ぜ~』言いつつ、9時15分には西門に到着しました
(普通の人は絶対無理だと思うので、参拝の際の参考タイムにはしないでね


早速中に入ると、拝殿が目の前に見えてきたけど~


入口はこっち


早速、中に入ると~


「大友宗麟公奉納開運大太鼓」があったけど、
『太鼓を叩くなら、太鼓維持金を賽銭箱に入れてほしい』と書いてあったので、
面倒くさいからスルーして~


前に進むと~


漸く念願叶い、参拝することができて~

『世界中が平和になり、笑顔が溢れるように』と静かに手を合わせました


また、ここには色んな物もあったけど、時間が気になりすぎて、後ろ髪を引かれながら~


再び、『ヒョエ~~~

と言いつつ、猛ダッシュで下って行ったのは言うまでもないですね


でも、参道から外れてたけど、立派な楼門は寄り道してしっかり写真を撮ったよ~


そして、出発前の9時30分には到着し、無事にバスに乗車することができました

その後、バスを下車してセントポルタ中央町を歩き~


大分市出身の指原莉乃さんも大好きだったと言う「ふない焼き」を食べたくて
店前まで行ったけど~


『チ~~~ン

次回リベンジです

当店は気が向いた時に店を開けるから、いつ何時に店が開くのか分からないと、
地元の女の子がテレビで言ってたけど、その通りなんだと実感しちゃったよ~

その後、中央通りを大分駅方面に歩くと~


赤い煉瓦が素敵な「大分銀行赤レンガ館」が姿を見せました


当館は、1913年(大正2年)に東京駅の設計者として知られる辰野金吾氏が
第二十三銀行(大分銀行の前身)本店として設計したものだそうです

さらに、微妙に可愛い(のかな?)猿も発見しましたよ~


何で猿がいるのか不明だけど、高崎山の猿が有名だからかな~

その後、大分駅前を通り過ぎて~


根性出して30分ほど歩き~


「大友館跡」に到着しました


当所は鎌倉時代から戦国時代まで、豊後守護をしていた大友家の館があった場所で、
『これくらいはへっちゃらだよ~』と言いつつ~


その場に足を踏み入れました


この場所で大友宗麟がザビエルと会い、南蛮文化の花が開いていったかと思うと、
感慨もひとしおだったよ~


歴史って学校の授業じゃ暗記ばかりでちっとも面白くないけど、
こうして肌で感じてみると結構面白いんだよね~

「青ブロ」をご覧の皆さまの中で、『歴史って結構面白いんだ』と
思ってもらえる人が出てくれたら、この上なく嬉しいですよ~


って、まさに教祖様的発言ですが…

(事情が分からない方はこちらにどうぞ⇒「初めて知った僕の構成成分」編)
その後、奥にある天満社に参拝して~


近隣にあり、奈良時代の727年に建立されたと言われる「金剛宝戒寺」を訪れ~


静かに手を合わせました


それにしても、この日はよく歩いたわ~

おまけに、2話続けて食べ物が全く登場しなかったことも滅多にないし・・・

それもこれも「ふない焼き」のせいで・・・

次回は大分編の最終回に相応しく美味しい料理が登場しますよ~

【「青ブロ」のバックナンバー】


「出世の階段は厳しいぞ!!」編


「朝日に映える港町横浜」編


「京都の魅力溢れる早朝散歩~本能寺と錦市場~」編
