「りゅうきゅう丼」でお腹がいっぱいになった後、前日からカロリーオーバーだったことに加え、
帰りの電車まで時間があったので、大分市内を散策することにしました
ホテルを出発すると~

大分銀行本店を横目に見つつ~

『レッツゴー

と言いつつ、5分ほどテクテク歩くと、「府内城」に到着しました

「府内城」とは、大友宗麟死去後の1597年、
豊臣秀吉の家臣だった福原直高により築城が開始された名城なんですよ~

早速、廊下橋を渡ると~

あっと言う間に本丸に到着しました

早速、「府内城」の看板を発見したので、現在位置を確認して~

天主台に向かうと~

『ひょえ~~~っ

「青ブロ」恒例とも言える急勾配の石段を上り~
『うわ~~~っ

と言いつつ、漸く天主台へと足を踏み入れ~

領主気分を味わうことができましたよ~

僕は今まで色んなお城に行ってきたけど、また一つ来訪箇所が増えましたよ~
その後、「府内城」を離れて、再び歩き出すと~

大手公園が見えたので、ちょっくら足を踏み入れると~

『おお~~~っ

またしても、ザビエル像を発見しちゃったよ~
それにしても、こんな普通の公園にこんな銅像があるなんて、やっぱり世の中面白いよね~
その後、再び歩き出すと~

大分名物の活魚や~

美味しそうな豊後牛や~

『って、いけないいけない・・・
こんな可愛い姿にこのコメントは不謹慎だよね~
そして、ここにはその他にも、いちごや~

菊など、大分名産(だと思われる)のタイルが埋められていたよ~

その後、進歩公園にたどり着くと~

『あれっ・・・

何かの像があったので、近づいてみると~
ここには「西洋医術発祥記念像」がありました

ここ大分市はフランシスコザビエルが大分を訪れた6年後の1557年に
日本最初の洋式病院が建ち、洋式外科手術も盛んに行われたそうです
それにしても、大分市が洋式病院の日本での発祥の地だなんて、初めて知ったよ~
さらに歩いていくと~

ここにも誰かいたので、足を進めると~

滝廉太郎像を発見しました

ここ大分市は滝廉太郎の終焉の地ですが、
わずか24才の若さでこの世を去ってしまったのは、本当に残念だったよね~

そして、ここには「西洋劇発祥記念碑」もあったけど、
ザビエルを大分に招いたことが、大分の西洋化が随分進んだんだろうね~

それにしても、「西洋劇」や「西洋医学」の日本での発祥の地が大分だなんて、
意外と知られてませんが、皆さんは覚えていてくださいね~
そして、さらに10分ほど歩くと大分駅に到着

まだまだ大分探訪は続きますよ~
