「家康」について、いろいろ書いています。(^。^)

 

 

       

 

 

 

 

 

 

1616年4月17日、駿河城でこの世を去った家康は、 一年後「東照大権現」という神として、日光東照宮に祀られました。

 

 

           

 

 

 

幕府のある江戸や駿府城からも離れ、徳川家とも縁がない日光の地に眠る家康。

 

 

なぜ家康が日光を選んだのか? という理由については、さまざまな説が存在するようです。

 

 

その中に「家康は北極星・北斗七星を神格化した「妙見信仰」の信者だったから」いうものがあります。

 

 

日光は、江戸から見て北極星の方向にあるのです。

 

 

その「妙見信仰」は当時危険視されていたともいわれます。

 

 

・・なので、秘かに信仰していたのでは・・? (・∀・)
 

 

 

       

                    「妙見菩薩」

 

 

 

日光東照宮は、その代表ともいえる建物「陽明門」の真上に

「北極星(北辰)」が来るように設計されています。 

 

 

          

 

 

 

北極星は天の中心にある「不動の星」であり、古代中国では宇宙の全てを司る最高神「天帝」と見なされています。

 

 

 家康は、自らが「北極星=天帝」となることで「神」となり、宇宙から日本を護る役割を選んだのではないでしょうか?

 

 

         

 

 

 

そしてその東照宮を含む主要な寺院は、線で結ぶと「北斗七星」の形になるように配置されているのです。

 

 

 

         

 

 

 

また、大阪には妙見信仰で有名な「星田妙見宮」がありますが、家康はこの星田妙見宮のある星田地域に何度も訪れるなど、関わりが深かったといわれます。

 

 

「本能寺の変」の際、家康が一時身を隠した場所が、星田妙見宮の傍らにある妙見坂の竹藪だったのです。

(「伝  家康ひそみの藪」という石碑が建てられています)

 

 

 

家康は「妙見菩薩の加護を受けていた」といえるかも・・? (・∀・)

 

 

 


    

     ひそむ家康! (゚∀゚)

 

 

 

さらに群馬県の「覚成寺」には、徳川家康公が「守り仏」として護持していた「北辰妙見大菩薩像」が安置されています。

 

 

家康は「妙見菩薩像」を守り仏にしていた・・ ( ゚д゚)

 

 

 

・・それらのことから推測すると、

 

 

「家康は「妙見(北極星・北斗七星)」を信仰する心により、日光を選んだ」

 

 

   ・・といえるのではないでしょうか? (・∀・)

 

 

 

 

                           

 

 

              

 

 

         

           

 

 

 

      

 

 

 

         

 

 

      ★北斗七星は「天帝の乗り物」といわれます

 

 

 

 

 

「星田妙見宮」についてはこちらにも

  ↓