前回「河図(かと)」の「龍馬(りゅうま)」を取り上げました。
河図(かと)とは、龍馬の背の渦巻く毛の形を写した図のことです。(これが「八卦(はっけ)」のもとになっています)
「龍馬(りゅうま)」 「河図(かと)」
この龍馬は「麒麟(きりん)」と同じ動物なのでは? と推測したのですが。
「麒麟(きりん)」
この「河図(かと)」については「論語」で言及されています。
「子曰、鳳鳥不至、河不出圖、吾已矣夫」
(子曰わく、鳳鳥(ほうちょう)至らず、河(か)、図(と)を出(いだ)さず、吾已(や)んぬるかな)
「孔子が言われた。
鳳凰は来ない、黄河は図を出さない、もう私は終わったのだ」
鳳凰は聖人出現の前兆として現れる 瑞獣(ずいじゅう)のため、
「孔子は、瑞獣が現れない乱れた世を嘆いている」
・・ということですね! (・Д・)
鳳凰は来ないし!😱
河図も出ないもんねー😭
ここで河図が 鳳凰と並んで書かれていることが、それを背負っている龍馬も同じ「瑞獣(ずいじゅう)」であることを意味していると思います。
龍馬が「瑞獣」であるなら、やっぱり麒麟と同じですよね!(^。^)
(麒麟=瑞獣)
そしてまたこの「龍馬」と同じように思うのが・・
「海馬(かいば)」!
・・違う!( ̄∇ ̄)
こっちです^_^;
「海馬(かいば)」とは、炎をまとった馬の姿の霊獣です。
神社の社殿などで、元気に波間を駆け回っています ^ ^
(宮崎県・三ヶ所神社の社殿彫刻)
(茨城県・武生(たきゅう)神社)
絵画にも登場! ^o^
「北斎漫画」より
・・そしてこの海馬も「振り返って」いるものが多いのです・・
振り返るものたちについてはこちら
↓
「海馬」、だから・・
もしかして「脳の海馬 」と掛かってる? (・Д・)
海馬は「記憶」を司る器官です。
以前、麒麟が振り返って見るのは「ヒトデ」→「五角形」→「天神の門」と解釈しましたが、もしかしたらそれは「記憶」のことを表していたりして?
「失われた記憶」?
「本当の記憶」「本当の自分」を思い出せという意味なのか?
(汝自身を知れ?)
・・あるいは「アカシックレコード」のことなのか・・?
妄想は果てしなく海馬のように疾走しますが・・( ̄∇ ̄)
そんなところを、さらに考えてみたいと思います・・(・∀・)
こちらは脳の海馬の名前の由来「タツノオトシゴ」^ ^
別名「海馬(うみうま)(かいば)」🐲