みことば -6ページ目

みことば100622

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。(マタイ12:33)

内側に人生すべての支えとなるイエス・キリストがいるならば、あなたの日々はますます充実するでしょう。そして人々はあなたのことを魅力的だと感じるでしょう。ちょっとした努力や工夫も大事ですが、実は根本的な部分が生まれ変わっていることがもっと大事なのです。

みことば100621

女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。しかしもう隠しきれなくなったので、パピルス製のかごを手に入れ、それに瀝青と樹脂とを塗って、その子を中に入れ、ナイルの岸の葦の茂みの中に置いた。(出エジ2:2-3)
この後この男の子(モーセ)はパロの娘に育てられました。私たちもモーセのように神が用意された道を神に守られながら歩んでいるのです。もはやこれまでと思う場面も、神とともにある人はみわざにより救われます。

みことば100620

しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。(詩篇78:23-24)
日常、わたしたちは自分の分や家族の分を得るために働きます。その分さえも神が用意してくださっているのです。そのうえ、予定外の収入も神がこのようにして天から降ってくるかのように与えてくださいます。ただ神を唯一の味方として祈り求める者だけに与えられる大きな大きな恵みなのです。かならず降ってきます。

みことば100619

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)
神はこのようにいつでも安心していなさいといわれます。神のことばは私たちの内側を完全に解放してくださいます。私たちが純粋に信じ、そのめぐみを実感するとき、神は内側に平安と安息を与えてくださいます。どんな世であっても神の平安だけは変わりません。

みことば100618

神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。(詩篇58:4)
人に信頼するのもよいですが、まず第一は神に信頼することです。人に信頼していけないわけではありませんが、次元がちがいますのでくらべようがありません。神は決して裏切ることはありません。期待に対する答えが遅くなることはあっても、無効にされることは決してありません。希望どおりのかたちではないかもしれませんが、むしろ希望を超えてすごい恵みがあります。確実に。

みことば100617

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)

イエス・キリストの名を信じた人は、ここの書かれてあるように特権をいただけるのです。けれども特権が欲しいから神を信じたのではないのです。追いつめられてたどりついたらそこはイエス・キリストの足元だったのです。そして理屈についてはあとから知っておどろいているのです。純粋だったのです。

みことば100616

あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。(マタイ12:37)
自分の語ったことばによって運命が決まってしまうことはよくあります。そのくらいことばの持つ力は大きいのです。人間のことばでさえこのようでありますから、ことばというものに慎重にならざるをえないわけです。ですから日ごろから神への思いを祈りの中で告白することはとても重要なのです。

みことば100615

また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。(マタイ13:45-46)
天の国の入り口を発見すると、それまでしがみついていたものの価値が一気に下落して興味がうすれてきます。これからは生き方を変えようというようなレベルではなく、ほかが見えなくなるくらいのよろこびとおどろきがあるのです。

みことば100614

自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。(ヨハネ12:25)
自分のいのちを愛する人というのは、イエスとかかわったことのない人のことです。そのいのちは不完全なものであり、どんなにかしこく、そして健康を保ったとしても、あるとき途絶えます。その人の生命の源はたましいの活力でしかないからです。完全なものはイエスが内側で生きつづける永遠のいのちだけなのです。

みことば100613

私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。(ガラテヤ4:19)
信仰には先輩がいます。先輩は初心の人にきちんと解説する義務があります。パウロはその模範となる存在です。彼は信仰に命をかけた偉大な先輩です。彼のすべてをまねる必要はありませんが、少なくとも私たちにも先輩としての立場もあるということを知っておくべきでしょう。