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みことば100702

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(ヨハネ3:6-7)
人はかならず母の胎より生まれ、人としてある期間をすごします。そしてやがて神のご計画により、御子イエスと出会うことができれば、その人は御霊によって新たないのちを得ることになります。これは常識や理屈では理解できない領域です。

みことば100701

また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。(ヨハネ12:44-45)
まことの神がどのようなお方であるかは、イエスを知ることでわかります。そのようすは目で見よう、耳で聞こうとすればするほど遠ざかります。私たちはあくまで霊の目、霊の耳で神を認知し、霊で神を礼拝するのです。

みことば100630

イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」(ヨハネ2:19-20)

イエスのことばは真理です。それは聞く耳をもたない者にとっては愚かで無価値なものに聞こえるかもしれません。残念ながら当時のユダヤ人のほとんどがそうでした。彼らのもつ常識や疑いが心を曇らせていたのでしょう。

みことば100629

枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ15:4)
ほんとうに力がある人というのは、その人に力があるのではなくて、その人を通して神の力が働いている状況があるのです。だから決して倒れることがありません。常に輝いているその源泉がまことの神にあるのですから、限りのないエネルギーが流れつづけるのです。

みことば100628

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。(創世記3:6)
好奇心が最高潮に達したとき、人はそれを乗り越えもしますし、踏みとどまったりもします。その判断は経験に基く知恵によることもありますが、聖書を知る人は聖書の教えによって判断します。持ち前の忍耐力で制御するのではなく、喜んで神を選択した結果、罪の一線を越えないことが理想です。

みことば100627

そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」(ヨハネ4:48)
イエスの言われるとおりです。私たちは目で確認し、そして答えを得るまでは信用しません。ずいぶん用心深くなったものです。相手が人であればたしかにそれくらい慎重であったほうがよいかもしれませんが、神を前に慎重になる必要はありません。神に対しては思い切り心をゆるめてのぞむことがむしろ大切なのです。

みことば100626

父は息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようになります。(ルカ12:53)
人間は破壊の後にほんとうの絆を得るのです。イエスは世を豊かにするために来られたのではなく、人々を天の父につなぎなおすために来られたのであり、世に一時的な破壊をもたらされるのです。平和であることや平穏無事であることは一見理想的に見えますが、それは神の最終的な目的ではないのです。

みことば100625

それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マルコ8:34)
イエスはご自分についてくるための条件を提示されたわけですが、それはだれにでもできることですし、だれにでも与えられているチャンスでもあるのです。自分を捨てるというのは楽になることです。解放を得ることなのです。

みことば100624

わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(ルカ11:9)
一般的には行動を促すときの教訓として用いられるこの聖句ですが、実は求めたときにはすでに与えられていることを知るというのが真理なのです。私たちは気づくという瞬間がいちばん幸いなのです。そのときこそが神と一致する至福のときなのです。

みことば100623

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。(ルカ16:10)
神はすべてを御子イエスに渡されました。したがいまして世にあってイエスを見出すことができるかどうかがとても重要な問題なのです。イエスの存在を知り、もっと知りたいと思うようになった人はまことに幸いです。その人はすでに天の国の入り口に到達したからです。その入り口はイエスに忠実な人にしか見ることができません。