みことば -27ページ目
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「死」 みことば081201

わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)
死にはニつあり、一つは世を終えるときの死、もう一つは世でイエスを知った者だけが味わうリハーサルのような死。後者は同時にいのちを得ている点が前者とは大きく異なります。こうして得たいのちは大事に保管するのではなく大いに用いるべきです。

「その日」 みことば081130

なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから。(ルカ23:9)
終わりの日にけがれを知らない人がはたしてどれくらいいることでしょう。それはその日イエスと結婚できる人がどれくらいいるかということです。これから起こる十字架上の死は決して悲しむものではなく、けがれを処理するとても重要な機会なのです。イエスはそう告げたのです。

「幸い」 みことば081129

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5:4)
神の視点が人のそれとはずいぶん異なるということがわかる代表的な聖書箇所です。悲しんでいる人がなぜ幸いなのでしょうか。たとえばともだちがほとんどいない人がいたとします。でもその人は特にさみしいとは思わないどころかむしろ豊かである。人の目には悲しいと思える事柄であっても、その人がイエスを得ているならばまことに幸いなのです。

「血潮」 みことば081128

夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。(マルコ15:1)
もしかしたら、このメンバーの中にもイエスを信じている人がいたかもしれません。イエスはそのような人のことをもご存じです。イエスはすべての人に十字架が見えるように、血潮が届けられるように自らをささげ、人々に機会を与えられたのです。
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