みことば100801
それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。(ルカ15:30)放蕩の末、父のもとに帰ってきた次男を父親が心からよろこび、お祝いをする場面です。現代に置き換えるならば、たとえ娘がピアスを開けたり、タトゥーを入れて帰ってきたとしても、つまり娘がどんなすがたで帰ってきたとしても彼女を純粋に愛する覚悟を常に持っておくのが父親の大きなな役割なのです。
みことば100731
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒1:8)
聖霊なくしてはクリスチャンの人生は語れません。水分を補給しなければ生きてゆけないように、聖霊による補給がなければただ人生をさまよい歩くだけの日々になってしまいます。聖霊は栄養であると同時に、目的をもった道しるべでもあるのです。
聖霊なくしてはクリスチャンの人生は語れません。水分を補給しなければ生きてゆけないように、聖霊による補給がなければただ人生をさまよい歩くだけの日々になってしまいます。聖霊は栄養であると同時に、目的をもった道しるべでもあるのです。
みことば100730
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。(マタイ10:37)
イエスのことはいちばん大事なはずなのに、ついほかを優先してしまうことがあります。それはちょっとだけみことばから遠ざかっているからです。人は交わる対象に影響を受けてしまいますから、日々良いものをいただいて、良い影響を受けるようにしましょう。
イエスのことはいちばん大事なはずなのに、ついほかを優先してしまうことがあります。それはちょっとだけみことばから遠ざかっているからです。人は交わる対象に影響を受けてしまいますから、日々良いものをいただいて、良い影響を受けるようにしましょう。
みことば100729
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。(マタイ6:31)
もちろん毎日食事はしますから、そのことをとやかく言われているのではありません。むさぼるのはやめなさいということなのです。私たちはつい大事なことを見失うことがあります。優先順位をまちがうこともあります。そんなときは一旦リセットしましょう。みことばにふれ、そこから得られる神の示唆に導かれることがとても大事です。
もちろん毎日食事はしますから、そのことをとやかく言われているのではありません。むさぼるのはやめなさいということなのです。私たちはつい大事なことを見失うことがあります。優先順位をまちがうこともあります。そんなときは一旦リセットしましょう。みことばにふれ、そこから得られる神の示唆に導かれることがとても大事です。
みことば100728
わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。(ヨハネ15:14-15)
イエスは友と呼んでくださいました。イエスは私たちにとって遠慮しなくてよい、唯一の友なのです。甘えたいだけ甘えることができるのです。決して対等ではありませんが、真の自由がその関係には存在します。
イエスは友と呼んでくださいました。イエスは私たちにとって遠慮しなくてよい、唯一の友なのです。甘えたいだけ甘えることができるのです。決して対等ではありませんが、真の自由がその関係には存在します。
みことば100727
こうしてサムエルは立って、ギルガルからベニヤミンのギブアへ上って行った。サウルが彼とともにいる民を数えると、おおよそ六百人であった。(1サム13:15)
人は不安なとき、数えます。数えると人は現実を知り、さらに不安になります。現実は人を不安にさせるものなのです。私たちは不安なとき、まず神に祈り、数をふやしていただくのです。こっけいに感じられるかもしれませんが、通帳の数字などは忘れたころに見てみると、増えていることがよくあります。
人は不安なとき、数えます。数えると人は現実を知り、さらに不安になります。現実は人を不安にさせるものなのです。私たちは不安なとき、まず神に祈り、数をふやしていただくのです。こっけいに感じられるかもしれませんが、通帳の数字などは忘れたころに見てみると、増えていることがよくあります。
みことば100726
イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(マルコ10:21)
生きてゆく中で手放さなければならない物や事柄はたくさんあります。愛着のあるものを捨てなければならないのはつらいものですが、目を覚まして、一人のお方に支配されるという真理を見つめる必要があるのです。
生きてゆく中で手放さなければならない物や事柄はたくさんあります。愛着のあるものを捨てなければならないのはつらいものですが、目を覚まして、一人のお方に支配されるという真理を見つめる必要があるのです。
みことば100725
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」(創世記3:9)
わが子の自我が成長し、親を必要としなくなるとき、親は嬉しくもあり、さみしくもあるわけです。神はアダムたちが自我を知ったとき、エデンの園から去らせましたが、それはいつかまたご自身のもとに戻ってくるための道筋を用意されたうえでのご計画なのです。途中、遠くからながめながら、時折手をさしのべるのが親の役割なのでしょう。
わが子の自我が成長し、親を必要としなくなるとき、親は嬉しくもあり、さみしくもあるわけです。神はアダムたちが自我を知ったとき、エデンの園から去らせましたが、それはいつかまたご自身のもとに戻ってくるための道筋を用意されたうえでのご計画なのです。途中、遠くからながめながら、時折手をさしのべるのが親の役割なのでしょう。
みことば100724
主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。(出エジプト13:21)
私たちが起きて働いているときも、眠っているときも、主は働いておられます。主は常に私たちを導いてくださっているのです。主はいつでも守ってくださっているのです。目に見えない雲の柱が24時間そばにそびえ立っているのです。
私たちが起きて働いているときも、眠っているときも、主は働いておられます。主は常に私たちを導いてくださっているのです。主はいつでも守ってくださっているのです。目に見えない雲の柱が24時間そばにそびえ立っているのです。
みことば100723
また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。(マタイ13:47-48)
この世で私たちは神の手により、ふるいにかけられているのです。それを知らずにのんきにくらしている人のなんと多いことでしょう。また善を行えば救われると勘違いしている人のなんと多いことでしょう。
この世で私たちは神の手により、ふるいにかけられているのです。それを知らずにのんきにくらしている人のなんと多いことでしょう。また善を行えば救われると勘違いしている人のなんと多いことでしょう。