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夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

OPUS(オーパス)上(リュウコミックス) [コミック]/徳間書店

¥980
Amazon.co.jp

 あなたは今敏という人物をご存知でしょうか?
 千年女優やパプリカ、東京ゴッドファーザーズ、妄想代理人の監督を手掛けた人です。

 アニメーション映画が好きな私が知ったのは実は昨年の話でした。

 初めて今敏監督の作品に触れた時の感想は「この人の頭ん中はどうなってんじゃ!」と叫びたくなるような衝撃を受けました。常識を覆す、凄まじい発想力や、我々が捉えることのできない独自の視点から描かれるエピソードは、尊敬を通り越して激しく嫉妬を覚えたくらいです。引きずり込まれるような形で全作品をチェックして、それでも抑えきれない衝動に今敏を調べまくりました。
 先日偶然見つけたこの本に出会ったとき、「ああ、買わなきゃ」と薬中が薬を求めるかのように無意識に手に取っていた自分を思い出します。

 OPUSは、自分の作りだした漫画に引きづり込まれる作者を描きます。ラストに納得のいかない登場人物に盗まれた見開きシーンを奪うために、漫画の中を走り回るのです。自分の書いた作品ながら、なんて救いのない話を書いたのだろうと、主人公のトラウマや過去を主人公自身に責め立てられながら、崩壊していく自分の作品に取り込まれていくのです。
 考え付かないストーリーというよりは今さんは、そんなことを常に考えていたのではないかと思います。夢や、自分が作り出したはずの妄想が現実に反映されていく、「あれ? 頭の中の出来事のはずじゃ」という恐怖。現実は妄想よりも残酷だという事実。
 今さんの作品に触れることで、私もまた自分が創作者でありたいという気持ちを再認識させてもらえるのです。


 さぁ、毎日が夏休みの私は、いま今さんの回顧展が武蔵野美術大学で開かれているのを知ってしまいました。今日は、今さんの回顧展に行ってこようと思います。
 今を後悔しないように、親に与えて頂いた今という時間に感謝して今日も学びの多い一日になるように精進したいと思います。 
 私の家には、漫画部屋があります。
 六角形のガラスに囲われた部屋は、家から突き出すような形で設計してあります。
 部屋には冷房が完備してあり、天井まで届く本棚がいくつも置いてあります。本棚の中にはもちろん私の好きな作家の漫画がすべて揃っています。
 本は日光に弱いので、ガラスにはブラインドが付いています。すべて特注で作らせました。

 部屋にはお気に入りのカウチソファーが置いてあって、私はいつもそこで漫画を読むのです。
 サイドテーブルには甘めのカフェオレが汗をかいています。時折、カランと音を立てて氷が沈むのです。気分によっては音楽をかけることもあるでしょう。心地よい波の音です。
 ガラスの向こう側は海に面しているといいなと思います。庭の芝は今日も眩しいくらいの緑色です。

 新刊はいつもアマゾンで注文します。ほら、今日もバイク便がやってきました。
「西田さん、お届けものです!」

 漫画は作者別に並んでいます。デビュー作から新作まで、古いものが左で、右に行くにつれて新しくなっていくのです。
 DVD-BOXを買った時には、リビングで観賞しなければならないのですが片付けるときはこの部屋まで持ってくるのです。



 将来の夢です。
 お姉ちゃんと弟にオススメの漫画を与えて一人読むモノ無くて暇だったので妄想を書いてみました。印税持て余したい。
コペルニクスの呼吸 (1) (F×COMICS)/太田出版

¥1,000
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 読書感想文がすべて本である必要はないじゃないということで、最近のお気に入りの漫画を紹介します。ボーイズラブ要素が含まれるので、読めない人は本当に読めないと思います。

 中村明日美子先生の初コミックス本。

 最近発売されたウツボラや名作「同級生」などで先生の名を知っている人は多いと思います。
 世界観と圧倒的なセンスに魅入られます。
 私の表現したい世界観は明日美子先生のイメージの中にあると思わずにはいられない。崇拝に近い圧倒的な神を前にした鳥肌ものの感情。本当にもう買い占めたいとお財布のひもが緩む日々です。

 コペルニクスの呼吸はサーカスの話です。
 私のサーカスに対する強い思い入れや狂気にも似た愛情はともかく、サーカスという命の綱渡りを、理不尽な環境で続ける人間たちの話です。
 詩やポエムにも似た、漫画という常識を覆す画集のような1頁、1頁にどんどん魅入られていきます。
 私が私の解釈でこの漫画に後日談をつけるとすれば、

 --ミシェル、どうしてあなたはサーカスを続けるのですか?
 それは他でもない私が最もサーカスに魅入られているからですよ。サーカスに魅入られて夢心地に浮足立っているのはお客様だけではないのです。演者もまたサーカスという世界に夢を見て縛り付けられて恍惚と生きているのです。

 とでも付け足すでしょうか?

 サーカスはいつか描いてみたいですね。「ダレンシャン」やマチゲリータの「暗い森のサーカス」、すでに私の脳内にあるうす暗く後ろめたいサーカスの話はいくつも世に蔓延っているのですが、私もまた狂気に魅入られた一人のファンとして名を連ねたいと願うばかりです。

 んー、「耽美」という世界観がお好きな方は是非どうぞとおススメします。直接的な表現が多いので、オブラートという言葉がお好きな方はご遠慮ください。

 今日は、今敏さんの漫画を買いに行きたい。大判コミックスだから高いけど、いいかな? いいよね? 欲しい!(最後、レビューに関係ないですね。ごめんなさい。)

 オススメでした。
 偽善とか建前とかどうでもいいからさ、本気で言ってみなよ?
 本当は、一度だって罪を許す気なんてないんでしょう?

 警察官は人を殺さない。
 人を殺す権利があるのは罪を裁く裁判官だけで、警察官は「殺し」の許可が下りるまで殺しを行うことはできない。そして、殺しの許可なんて滅多に出ない。
 なんでだと思う? なんで許されないんだと思う?
 一度でも人間を殺した警察官はもう二度と警察官にはなれない。
 一度の過ちは許されることなく、一生ついて回ることになる。

 教師は痴漢行為を働かない。
 電車内で、はたまた違う場所で、例えどんなに性対象となる好みの人間が現れたとしても、同委のとれない強要を、許しては貰えない。
 一度の過ちに懲戒免職は免れないだろう? なんで?

 はたまた力を誇示するプロレス協会などの人間は一般市民に対して暴力を奮ってはならない。
 鍛え上げた肉体はリングの上でのみ披露され、たとえどんなに愛憎劇があろうとも拳を奮うことは許されない。

 ひとえに、私は「守る」ために、許さないのだと考える。

 一般市民を守る警察官は、一般市民を守るためにあるから殺さない。
 大人未満を正しい大人に教育する教師は、正しい行動のできる大人でなければならない。
 力を持つことは格闘技というスポーツでのみ披露され、日常生活においてはその力を封印せねばならぬだろう。

 一度だって間違えば、同じ仕事にはつけない。

 ねぇ、人は間違いを起こす人間だって言ったじゃない。
 失敗は成功のもと? 初めはうまくいかないものだよ。

 そんな曖昧で甘い言葉を植えつけながら、
 罪を犯したら擁護する気なんてないんでしょう? 一度の間違いも許さないつもりでしょう?

 罪を行うスリルとサスペンス、欲求や愛憎劇、様々な感情の集約を、仕事を理由に気付かないフリをして生きていかなくてはならないと、そう押さえつけるんでしょう?
 
 でもね、私知っているんだ。
 そういうのを取り返しのつかない事をしたって言うんだよね。取り返さないよ、取り返させないよ。取り上げるの。だって、あなたは間違えたんだから。

 日々の生活の中で法律を守り、正しく生きて、秩序ある行動をとれと支配されて生きている。それはもう独裁国家と同じで私たちに反論の余地はない。
 そうして私たちは守られている。そうして私たちは守る。

 枠から外れた人間に差し出す手など最初から無いのだと、あなたに両手を隠しながら。
 轟音撒き散らし、撃ち上がるのは他が為ぞ。
 夏夜に消え往くは大輪の華々。


 今日は隅田川の花火大会に行ってきました。綺麗でした、とは言いません。私は変人ですから。
 花火の伝来は、予想よりも遥かに早く、室町時代だそうです。
 そう鉄砲の伝来とともに、日本にもたらされたのでした。
 観賞用になり、広まるのは江戸時代。

 5月の28日から3ヵ月間、涼みに来た観光客の為に、茶屋や見世物小屋の夜間営業が許される。その幕開けとされる5月の28日に、死者への供養のため花火は打ち上げられたのだそう(日本歴史大事典)

 日本初の火薬兵器がもたらした日本の戦争の軌跡など、私が語るまでもないですが。
 己が力と極めた剣術が、鍛えぬ若者にいとも簡単に吹き飛ばされる。より強固な武器という存在。自分の力を引き出す分身や相棒などではなく、簡単に相手の命を吹き飛ばす兵器。
 たくさんの命を奪ってきた火薬を、撃ち上げて、我々は「綺麗だ」と呟く。ああ、愉快。愉快の反対語はそう、不快である。

 最近、私の書きたい雰囲気や言葉が掴めてきたような気がします。
 小説は娯楽ですから、私は人々に人の心の温かさが説きたいのですが、逆に花火のような美しいものを見たら「ああ、花が散った」と人の死を思い出そうと思います。
 我が身を支えるたくさんの犠牲ともいえる日本の歴史を、常に心に忍ばせて生きたいと思います。
 花火の持つ人々のイメージに、私なりのスパイスを効かせて、味わいに変化をつける。私の目指す文学はそこにあります。大切なのはイメージです。そうして私が思い描いた世界を、イメージの中に閉じ込める。
 作業は難航すると思いますが、そういったイメージのさざ波を長編小説にしようと思います。