轟音撒き散らし、撃ち上がるのは他が為ぞ。
夏夜に消え往くは大輪の華々。
今日は隅田川の花火大会に行ってきました。綺麗でした、とは言いません。私は変人ですから。
花火の伝来は、予想よりも遥かに早く、室町時代だそうです。
そう鉄砲の伝来とともに、日本にもたらされたのでした。
観賞用になり、広まるのは江戸時代。
5月の28日から3ヵ月間、涼みに来た観光客の為に、茶屋や見世物小屋の夜間営業が許される。その幕開けとされる5月の28日に、死者への供養のため花火は打ち上げられたのだそう(日本歴史大事典)
日本初の火薬兵器がもたらした日本の戦争の軌跡など、私が語るまでもないですが。
己が力と極めた剣術が、鍛えぬ若者にいとも簡単に吹き飛ばされる。より強固な武器という存在。自分の力を引き出す分身や相棒などではなく、簡単に相手の命を吹き飛ばす兵器。
たくさんの命を奪ってきた火薬を、撃ち上げて、我々は「綺麗だ」と呟く。ああ、愉快。愉快の反対語はそう、不快である。
最近、私の書きたい雰囲気や言葉が掴めてきたような気がします。
小説は娯楽ですから、私は人々に人の心の温かさが説きたいのですが、逆に花火のような美しいものを見たら「ああ、花が散った」と人の死を思い出そうと思います。
我が身を支えるたくさんの犠牲ともいえる日本の歴史を、常に心に忍ばせて生きたいと思います。
花火の持つ人々のイメージに、私なりのスパイスを効かせて、味わいに変化をつける。私の目指す文学はそこにあります。大切なのはイメージです。そうして私が思い描いた世界を、イメージの中に閉じ込める。
作業は難航すると思いますが、そういったイメージのさざ波を長編小説にしようと思います。