2月14日、これから「沖縄へ行って来ます」

午前7時22分。

機内で「【バレンタインデー】だったので、チョコ貰った」

孫「プラチナだから…」

ママ「違うよ。今日は搭乗した人全員だよ」

 

午前10時30分 「到着しました。曇っていて少し寒いです」

孫「沖縄なのに寒いのネ」

ママ「前日は半袖だったらしいけどね。でもコートは要らない。長袖に上着で問題ない。こちらは車で移動なので、左程困っていないよ」

 

午後12時09分

ママ『戦闘機の音が、ゴーゴー聞こえるよ』

マミー「凄いね。気味が悪いね」

 

2月16日午後1:33分

「空港へ向かいます。午後3時過ぎの飛行機なので羽田着は午後6時過ぎになります」

午後5時「もくもくの雲。夕日が雲に反射してピンクで綺麗です」

私は、雲の上の【ホルモン】を見た感じがした。

 

「もうすぐ着陸ねネ」

『ハイ!』

午後5時25分に着きました。

お疲れ様でした。

 

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

 

2月22日(水)

これから金沢へ行って来ます

 

 『黄色の飛行機は【スターウオーズ号】。空は快晴で気持ちが良いです』

 「乗るの?」

 『違う、違う…。それには乗れないのよ。これからサテライト搭乗口へ移動です』  

 

私にはさっぱり理解できない事が多くなりました。

検索して【汗がでました。無知過ぎて…】

 

 

 いつ見ても富士山は素敵ですが、天気が良いので太陽が雪に当たってキラキラしてたよ🤩」

 

《窓から眺めるこの景色に≪感動≫しました。雪山が連なって、 素晴らしいですね?≫

 

金沢到着11時40分。

長町武家屋敷跡

昔ながらの土塀や石畳の小路が残り、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ長町武家屋敷跡

 

伝統環境保存区域および景観地区に指定されていて、今でも趣のある景観が維持されているエリア。

城下町・金沢らしい土塀や石畳の小径が続く長町武家屋敷跡。

 

冬には、この様に町並みの土塀を雪や凍結から守るために「こも掛け」が行われ、

金沢の冬の風物詩を見るために観光客が訪る。

 

江戸時代に作られた古地図のままの町割りが続いています。

あまりに美しいまちなみなので、テーマパークと勘違いする人もいますが、ほとんどの家には人が住んでいる住宅街。

  

武家屋敷跡 野村家

屋敷内を公開している「武家屋敷跡 野村家」があり、当時の武士の暮らしぶりがうかがえ、

世界が認めた「日本庭園と建築美」との事。

 

≪和菓子≫日本菓子三大処のひとつに数えられる金沢。

「京都」「金沢」「松江」:日本三大菓子処として有名。 

城下町のもと、お茶文化の発展とともにお菓子文化も大きく発展した。

  

伝統名菓 千歳         のどくろせんべい      起き上がり達磨最中

千歳:「千歳鮓」と称し、16世紀頃、森八家の始祖・亀田大隅の時代の一向宗徒の兵糧に起源を発する古典的名菓。

その後前田家の治世下、代々改良を重ね、遂には「紅きは旭日の瑞相を表し、白きは鶴の毛衣を象る」という雅やかな祝菓子。

この界隈には、金沢らしい和スイーツを、歴史を感じる景観や手入れの行き届いた庭園を眺めながら楽しめるお店も多い。

 

金沢文芸館

鏡花・秋聲・犀星の三文豪はじめ、

多くの文学者を輩出してきた金沢の文芸活動の拠点。発信基地となるべく2005年11月23日に開設。

 

1階:「交流サロン」:金沢ゆかりの作家の作品や、金沢を舞台とした映像が楽しめ。

2階:「金沢五木寛之文庫」を常設。

3階:「文芸フロア」では、泉鏡花文学賞と泉鏡花記念金沢市民文学賞の受賞作品が閲覧できる。

 

泉 鏡花:明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家。小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。

 金沢市下新町生まれ。尾崎紅葉に師事した。

『夜行巡査』『外科室』(映画にもなり、吉永小百合さんが貴船伯爵夫人)で評価を得た。

 

泉鏡花記念館:平成11年 - 生家跡に泉鏡花記念館が開館。

 

徳田 秋声:小説家。日本の近代文学を代表する作家の一人である。

芸術院会員。 石川県金沢市生まれ。

 

室生犀星:詩人であり、作家としても活躍。


 

金沢城

金沢城は石川県金沢市にあった城。

江戸時代には加賀藩前田家の居城であり、現在の城址は国の史跡に指定されている。

戦国時代、この地域には浄土真宗の寺院である「尾山御坊」が存在しており、加賀一向一揆の拠点であった。

寺院ではあったが石垣や堀を巡らし、大阪石山本願寺同様に要塞とも言えるものであった。

 

織田信長が加賀の一向一揆を攻め落とし、この地に「佐久間盛政」を配して金沢城を築かせた。

この城は金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた城であった。

 

【加賀藩・前田家】の居城跡につくられた≪金沢城公園≫

広い公園内での見どころは2001年に復元された菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋、橋爪門続櫓(つづきやぐら)。

古絵図や古文書などをもとに当時の姿を忠実に再現された建物は必見。

 

池と石垣によって独創的な景観を創り出した「玉泉院丸庭園」ではゆったりと庭園散策が楽しめる。

 

 

金沢城公園・兼六園と玉泉院丸庭園ともに、毎日夜間開園を実施している。

 

兼六園

日本三名園のひとつ!四季を通して豊かな自然美を堪能。

四季を通じてさまざまな自然美が堪能でき、雪から木の枝を守るために施される“雪吊り”は金沢の冬の風物詩です。

夜のライトアップでは幻想的に彩られた庭園が広がる。

 

金沢市内にある「尾山神社」は、加賀百万石の礎を築いた前田利家公とお松の方をご祭神としている。

金沢は非常に文化レベルの高い街でもある。

それも歴史的な背景があるからで、神社からしてもハイカラで更に夜ライトアップされた神社も素敵な見所になっている。

槍の名手!「槍の又左」前田利家公像

 

前田利家公は加賀前田家の始祖。

初代加賀藩主・前田利家公は、
若い頃から血の気の多い、けんか好きの大男だったそうです。
前田利家公は織田信長の家臣。
のちに豊臣秀吉に服属。柴田勝家にかわり北陸最大の大名となり、金沢を居城としていた。
 
五大老として、徳川家康と肩を並べるほどの実力の持ち主でしたが、秀吉が亡くなってから8か月後に病死した。
利家公の死が豊臣氏滅亡が決定的となる一因だったともいわれています。

大き背中の袋は、母衣(ほろ)といって古くからあり、後には武士の「七つ道具」の一つとされた由緒ある道具である。

古代の母衣は、鎧の上から全身を覆う保呂衣(ほろぎぬ)という戦袍(せんぽう)であり、防寒のためだったとする説もある。

もともとは流れ矢を防ぐために鎧の背にかけた布でしたが、竹などの骨組みを形成して膨らませるようになった。

それが平安時代末から鎌倉時代になると、母衣は懸保呂(かけぼろ)となった。
縦に縫い合わせた長い絹布(5尺8寸、5幅ほど)を、首、冑、手の甲などに紐で結びつけて、それが風をはらんでふくらむことで、後方からの弓矢や石を防ぐ役割を果たした。
 
戦国時代には、騎馬武者がこれを背負って軍団の連絡役、ガイド役を務めた。
 
槍の又左

利家が使っていた槍は、三間半(6m30cm)もあったといわれた。

身長は182cmもあったといいますから、槍の名手である彼であればそんな長い槍も扱うことができたのでしょう。

派手好きな利家はその槍を「朱色」に塗っていたという話もある。

烏帽子形兜】

 利家は、長い大きな長烏帽子形兜ではなく、
少し小ぶりでより実戦向きな烏帽子形兜を好んでいた。
小ぶりといっても、派手なものや格好が大好きだった利家は高さのある兜をかぶり、まわりを圧倒していた。

 

そして、戦いを制す『勝ち虫』の蜻蛉(とんぼ)の前立てをつけていた。

蜻蛉は自分よりも大きな獲物でも掴んで離さず飛ぶ、決して後ずさりすることなく敵を食う。

利家の性格そのものだと言う事です。

そんな勇ましさが武将の心を蜻蛉に表したともいわれる。

 

金沢 宝円寺(曹洞宗・護国山)

 加賀藩前田家の菩提寺(利家と松の寺)

 
加賀百万石藩祖「前田利家公」は、越前国府中(今の福井県越前市)に在城された折、 
郊外高瀬村「宝円寺」の大透圭徐和尚に信頼厚く参禅帰依され、
そこで侍人と禅僧との類い希な間柄が生まれたことは歴史上あまりに知名な事実である。
 
後、天正9年(1581年)、利家公が能登国所口(今の石川県七尾市)に移られた際、
同和尚を越前から招き入れ、一寺を創建されるがこれを「宝円寺」と名付けられた。
 
尾山神社~利家とまつ~
利家とまつ〜加賀百万石物語〜
NHKで2002年1月6日~12月15日にかけて放送された、第41作目の大河ドラマ。
 
織田信長・豊臣秀吉に仕えて、加賀藩主前田家の祖となった利家と、その妻・まつを中心に戦国群像を描いたドラマ。
記憶に残る「大河ドラマ」の一つである。
 
  
初代加賀藩主・前田利家公と正室おまつの方を御祭神とする当神社は、
明治6年(1873年)に歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡に建立された。
 
ギヤマン((彫刻を施したガラス製品)がはめ込まれたり、和・漢・洋折衷様式を見せる神門は、異国情緒漂う造り。
東神門は金沢城で唯一残る桃山風御殿様式の門で、旧金沢城二の丸にあった唐門を移築したもの。
日中の神社も素敵ですが、夜ライトアップされた神社も素敵なのだそうです。
 
 

名言

利家はたくさんの名言を残している。

1)『人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知る』

   人は逆境に陥った時こそ、友人のありがたさが分かる、というもの。

 

2)『戦場に出でては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し』

  一度腹を決めて出た戦、出るなら他人の意見は聞かず自分の思うように…。

 

 石川県政記念≪しいのき≫迎賓館

 

長く石川県政の歴史を刻んできた旧県庁をリニューアルした「しいのき迎賓館」
正面は大正13年(1924)建築の格調ある意匠をそのままに、反対面は現代的なガラスの空間に生まれ変わる。
樹齢約300年(推定)の“堂形のシイノキ”をシンボルに、周辺の総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなどの憩い・交流の空間を備えた施設です。

金沢21世紀美術館

 新しい文化の創造と新たなまちの賑わいの創出を目的に

2004年に開館した美術館。

有料の展覧会ゾーンと無料の交流ゾーンに分かれており、現代美術と触れ合うことができる。

現在アートを見て、触れて、感じる!話題の美術。

空間やジャンルを超えた現在アートが楽しめる。

  

正面に石川県の地図。                    

 
    
 
   

「鳥かご」            代表的な「着物柄」

 

『金沢駅 で憧れの百万さんがお出迎え♪

 

   「ひゃくまんさん」は、石川県の郷土玩具であり、

縁起物の「加賀八幡起上り」をモチーフにしている。

金沢市の希少伝統工芸に指定されており、縁起ものとして親しまれてきた郷土玩具です。

 

 歴史と文化のまち金沢を走る

『金沢ふらっとバス』を利用して観光されるのも良いようです。

金沢市は人口約46万人、石川県の県都であり、北陸地方の経済や文化の中心的な都市です。

市内中心部は、藩政期に形づくられた街路構成を骨格とし、狭く細い道が数多く残されている。 

このような道路特性から、路線バスが通れない、公共交通の利用が不便な地域で、

新しい移動手段の導入が求められ、平成11年に「金沢ふらっとバス」が誕生した。
 

金沢ふらっとバスは、公共交通が不便な地域を中心に、住宅地と交通結節点や商店街などを結ぶ

循環バスで市民の気軽な足として利用されています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・=========・・・・・・・・・・・・・・・・

 

かなりな日数(21日間)を要して出来上がりました。

只、忙しかった~

娘が日本全国へ出かけるものですから、LINEへ写真を送って来るのです。

次は『富山』が待っています。

歴史のある土地は難しいです。道順は間違っているかも知れませんがお許しください。

 

何時もお付き合い頂きまして有難うございます。