2023年2月26日(日)
お天気はとても良かった。
娘と孫は「富山」に向けて、10時20分出発した。
飛行機は一旦富山の上空を通り過ぎて方向を変えて、富山の飛行場に着陸した。
和歌山県「白浜空港」もそういう感じの着陸だった。
滑走路の関係であろう。
飛行機の窓から見える「富山市街地」
飛行機を降りて、荷物の出て来るのを待っていたら、
【立山のふもとに 広がる観光都市】
ホテルに入って部屋に荷物を置く。
「ラーメンと待望の白魚の天ぷら」で活力を付ける。
「富山」の史蹟をめぐり、今回目的の「ガラス工房」へ足を運ぶには「お腹が満腹」してから…。
「路面電車」
富山市中心部は、全国的にも珍しい路面電車などの電車が縦横無尽に走る「鉄軌道のまち」。
鉄道好きの間でも知られた屈指の「路面電車」スポットなのです。
富山市中心部で路面電車が数多く走っているのは、北陸新幹線の開業に伴い、
市内の回遊性の強化や利便性の促進、コンパクトなまちづくりを目指して開発されたことが理由。
路面を走る「市内電車」は、
通勤や通学、買い物の足として多くの市民に利用され、「市電」の呼び名で親しまれている。
路線は全部で6路線です。
【富山城】
「千歳御門」は、富山城の唯一の創建当初の建造物です。
10代藩主・前田利保の隠居所として城の東出丸との間に建てられた「千歳御殿」の正門。
明治時代に別の場所に移されていたことにより戦火をまぬがれ、2018年に現在の場所に移築された。
千歳御門は、三間薬医門といわれる格式の高い城門建築で、現存する同形式の門は
東大の赤門(旧加賀屋敷御守殿門)だけという貴重な遺構です。
明治初期に門が解体された際、富山市米田の豪農・赤祖父家に払下げられ移築されていたが、
所有者が富山市に寄贈したため、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて公園内に移築された。
2012年(平成24年)4月には常時開門されるようになりました。
富山城址公園内に建つ富山城。堀や石垣などに当時の面影を感じる。
園内に残る石垣やお堀、かっての城内を思わせる美しい和風庭園も魅力との事。
城内に入れば【富山市郷土博物館】があり、富山城の築城から明治時代以降の城址の変遷に至る迄の400年以上にわたる富山城の歴史を学ぶ事が出来る。
前田利長が使用したと言われる長さ140センチの兜も展示されている。
関連した企画展も随時開催され、国の登録有形文化財に指定された天守からの街の眺望もおすすめ。
富山城の建築物として江戸時代から現存する唯一の遺構。夜はライトアップも行われている。
【越中富山の薬売り】
富山は“薬の都”ともいわれる、薬の街。
有名な胃腸薬≪越中反魂丹≫を始めとして和漢薬、薬草健康茶等があります。
越中売薬の貴重な資料や道具の展示等を始め、富山の薬の歴史を伝えている。
子供の頃≪越中反魂丹≫の説明の様な?事を耳にした覚えがある。
それは江戸時代、三重県お伊勢参りのブームとともに、その頃のお土産は赤福ではなく、
その効能が全国に知れ渡った「万能薬・萬金丹」だったようです。
富山の反魂丹が伊勢の萬金丹に比べあまり知れ渡っていなかたので、一計を案じて
「越中富山の反魂丹 ……… 萬金丹 それを呑む奴アンポンタン」
という地口(よく知られた文句を口癖で真似て別の言葉に置き換えて)その滑稽さを笑い、
それを広めて、全国的に知られるようになったのだそうですが…。
富山の≪ガラス≫の由来は、クスリ瓶に始まる…。
江戸時代初期、富山藩二代藩主・前田正甫は、
自らも医薬の知識に通じていたといわれますが、薬によって領民の救済を行うだけではなく、
≪置き薬≫というビジネスモデルを考え、各地方の家庭を訪ねて回っていた。
製薬・売薬を富山の産業として育成したのでした。
明治を迎えたとき、富山藩は100種を超える薬を取り扱っていたそうですが、
明治政府の行った廃藩置県によって越中売薬はその拠り所を失います。
このとき、売薬業者たちは結束して、『売薬結社廣貫堂』を発足させる。
これが、いまに残る、株式会社広貫堂の起点。
(この商品は、富山めぐみ製薬(株)) 今の時代の商品ですね。
【富山市ガラス美術館】
富山県富山市西町にある公立美術館。
の斬新なデザイン。温もりのある開放的な空間を演出している。
≪駅北エリア≫
≪スターバックス≫
美しい富岩運河環水公園の景観に溶け込む、全面ガラス張りのスタイリッシュなスターバックス。
かつて”世界一美しいスターバックス”に選ばれ、富山県民だけでなく全国からお客さんが訪れる。
テラス席やガラス張りの店内からは、運河や富山環水公園のシンボルである天門橋が一望でき、
景色を眺めながら穏やかなコーヒータイムが過ごせる処。
富岩(ふがん)運河を囲むように広がる富岩運河環水公園は、富山駅から歩いて約9分。
街なかの緑美しい水辺空間。
水と緑が豊かな公園内には魅力的なスポットがたくさんある。
公園のシンボルとなっている、運河にかかる天門橋両端にある展望塔からは、
環水公園全体とともに美しい立山連峰も眺めることがでる。
また、運河を囲む散策路や野鳥の楽園バードサンクチュアリ、
四季折々の風景とともに楽しめる遊覧船「富岩水上ライン」のクルージングも人気との事です。
夜のイルミネーションも見どころの一つ。
春には桜を、夏には富山の海を、秋には紅葉を、冬には神秘的なオーロラをイメージした、
四季折々のライトアップがあり、昼間とは一変してロマンティックな雰囲気を楽しめる。
≪富山県美術館≫
アートとデザインを繋ぐ世界でも稀な美術館として、富岩運河環水公園内に誕生した。
公園に遊びに行くような感覚で、世界的コレクションの展示やレストラン、ミュージアムショップ等を気楽に利用できる事が魅力。
見どころは、グラフイックデザイナーの【佐藤卓氏】が手掛けた「オノマベの屋上」庭園です。
「しろくま」 ハンモックで「うと、うと」
≪岩瀬エリア≫
人気の銘柄の「満寿泉」は、全国的に有名な日本酒で、純米酒や大吟醸などの種類が作られている。
そして、大吟醸は富山県で有名な「山田錦」と「五百万石」のお米を使って作られ、
お米の香りと味わいがさわやかで、富山で人気の日本酒になっているそうです。
北前船とは、
江戸時代から明治時代にかけて、日本海海運で活躍した、主に買い積みの北国廻船の名称。
関門海峡から瀬戸内海を通って、兵庫や大阪の港に行った大型の船でもある。
途中、各地の港を訪れ、商売をしながら移動していた。
買積み廻船とは、商品を預かって運送をするのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
その豪商として≪北前船廻船問屋 ・森家≫が現存している。
岩瀬に、豪商の家屋、北前船廻船問屋 森家が存在している。
数年の歳月をかけて建築された当住宅は、国指定重要文化財となっており、見学するところが沢山ある。
「敷き詰められた畳にも、色んな配列があり学ぶ事も沢山あるそうです」
江戸時代から明治時代にかけ、岩瀬では多くの商人が北前船交易で財を成しました。
1878年(明治時代)に建築された旧森家住宅は、その代表的な北前船主・廻船問屋の家です。
明治11年(1878年)頃に建てられた北前船廻船問屋で、
富山県の江戸時代以来の町屋建築の構造を引き継ぐ国指定重要文化財建造物になっている。
屋久杉の板戸や土間の小豆島産の巨大な1枚岩は必見。
行きも帰りも荷を載せて「倍倍」に儲かることから、地元では北前船のことをバイ船と呼んでいた。
往復で儲かるので「のこぎり商売」ともいわれ財をなしたのです。
【佐藤釣具店】
【街中で見つけた珍しい自動販売機】
美味しそうな「お寿司」。 目的の「ガラス工房」での作品。
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これにて「富山編」を終了します。
自分が動かないで、娘達から送られて来た「写真」を見ながら観光している気持ちでブログを書くのは、大変な事だと気が付きました。
何処の地方にでも、こんなに素晴らしい重厚感のある地域が存在する事が羨ましく感じた。
日本全国至る所に沢山の素晴らしい歴史があり、それら史蹟を見学に来られる外国の人達が年ごとに増えている事を納得しました。
パソコンを打ちながら「自己満足」の作業に過ぎないなーと、解っていながら…も、大変な勉強になる魅力に毎度引き込まれていくのです。例えそれが右から左へと通過するだけの事であっても、楽しいのです。
人間は幾つになっても「学ぶ事が多い」と、今回も痛感致しました。
最後までお付き合い頂き、有難うございました。