松坂大輔君、Fighting.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。6/17背中痙攣>Д<→次7/13球宴 | angel_green888☆blog

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日本人形コレクター&ソ・ジソブのファンで横浜のangel_green888です。登録したらブログが出来てびっくり…自分のメモでのみ書いてます。私の人形の片付けをして手伝って下さる方募集中です。人形の片付けをして下さる方以外のコメントは受付けていません←精神的に無理で…

松坂大輔君を(地元なので)横浜高校時代から応援しています。
最近は投げられず心配していましたが、やっと復活してくれたのでここで応援しています\(^o^)/ 
 
2018/6/8(金)交流戦のソフトバンク戦では、5回3安打1点に抑えて、今回は打たれる気がせず安心して見れました。下記の記事のように、ピンチになると(やる気が出ると言うか)ギアが上がる感じで三振を取っていた…♪また足が張ったのかな?5回で交代しましたが…。ともかく味方のエラーや野戦(フィルダースチョイス)やらで凡ミスとアンラッキーで足を引っ張られて(私ならキレてメゲルと思うが)よく頑張って投げていたと思いますヾ(@°▽°@)ノ
交代後は、4点差があったのに1点差まで追いつかれたが、何とか勝ち、3勝目(Total 167勝目)になりました♪
 
今季は、その前の2018/5/20(日)阪神戦で勝ち、2勝 (通算166勝)です。
昨年まで、164勝103敗でした。
 
これまでの私の松坂大輔君の記事
2017.8.3  1998年松坂大輔凄かった!37歳!…
2018.4.20 松坂大輔君、復活 (*^▽^*) 頑張れ!200勝を目指してFighting*!*!*
2018.5.15   松坂大輔君、Fighting!4/30一勝!…次は5/20(日)→二勝目となった
2018.5.21 松坂大輔君、Fighting。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。…次は5/30オリ戦→6回無失点も
2018.6.1  松坂大輔君、Fighting。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。…次は6/8ソフトバンク戦→3勝目
 
次は、 6/17(日)午後1時 西武戦(メットライフ)らしいヾ(@^▽^@)ノ 古巣相手に投げる予定でしたが、直前に背中が痙攣して登板回避したそうです( >Д<;)!

その後背中は順調に回復し大丈夫なようです♪

ファン投票1位で選ばれており、レギュラーシーズンで投げずに球宴に登板する可能性が高いそうです(↓↓)。7/13か14の球宴でどんな投球をするか楽しみですね(*^o^*)ノ

 

 

 中日・松坂「申し訳ありませんでした」 背中のけいれん治まらず登板回避

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180617-00000011-tospoweb-base

中日・松坂大輔投手(37)が背中のけいれんを訴えて、17日に先発予定だった西武戦(メットライフ)の登板を緊急回避した。 トレーナールームでマッサージなどの治療を施された後、5回途中にタクシーに乗り込み、球場から引き揚げた。 患部がかなり痛む様子で、自力ながらもつらそうな表情を浮かべてゆっくりと歩き、球場名物となっている長い階段は手すりを使わないと上がれない状態。球場を去る際は取材に応じなかったが、その後、球団を通じて「ブルペンに入って投げ始めたところで背中がつってしまい、何とか投げようと思ったのですが、けいれんが治まらなかったので登板を回避させていただきました。たくさんの方が投げるのを楽しみに来てくれた中で、このような形で申し訳ありませんでした」とコメントを発表した。  タクシーまで付き添った西山球団代表は「今日は病院には行きません。明日以降(の状況を見て)。とても長い時間(新幹線に)乗れる状態じゃない。つらそうだった?そりゃあ、つらいよ」と説明した。

 

 

中日・松坂 ぶっつけ球宴登板へ 森監督示唆「そこに合わせた方がいい」 2018.7.3

http://news.livedoor.com/article/detail/14954142/

「マイナビオールスターゲーム2018」(13日・京セラドーム、14日・熊本)にファン投票で選出され、背中を痛めて出場選手登録を抹消されている中日・松坂大輔投手(37)がレギュラーシーズンでは投げずに球宴に登板する可能性が高まった・・・
 ナゴヤ球場でキャッチボールを行い、背中の状態を確認した松坂は「試合で投げられる状態にしてからオールスターというのが理想だが、(ぶっつけ本番の)可能性もある」と話した。当初は6~8日のヤクルト3連戦で実戦復帰し、球宴で投げる予定だった。だが、森監督は「仮に何かあって球宴で投げられないとなれば、後半戦10試合に出られない。その方が痛い」と説明。野球協約上、球宴出場を辞退した場合、後半戦開始から10試合に出られず、登板は早くても28日の巨人戦までずれ込むことを考慮し、プランBが浮上した。
 右肩痛からの復活となったシーズンで、松坂については、原則中10日前後の間隔を空けてきた。仮にヤクルト戦で復帰した場合について、指揮官は「本人は5回は投げたいだろうし、短いイニングだったらお客さんに失礼」とした。球宴までの間隔はシーズン中よりも短い中6日程度となり、何らかの故障のリスクも伴う。逆に、球宴復帰の場合、登板は多くても2イニングで、球数も少なくて済む。13日の第1戦に投げれば、状態次第で後半戦開幕カードとなる広島戦に中4日で向かわせることも可能だ。球数も段階を踏んで増やすことにもつながる。指揮官は「しっかり調整期間をもうけ、そこ(球宴)に合わせた方がいい」と続けた。
 前日にブルペン入りした松坂は一夜明けて「強く投げたことで反動がなければと思ったが問題はなかった」と話した。回復は順調だが「中途半端な形にしたくない」と慎重に段階を踏む。選んでもらったファンに、しっかりとしたパフォーマンスを見せ、後半戦へつなげる。

 

 

【中日】松坂、球宴第1戦で復帰 先発濃厚「しっかり準備」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180708-00000036-sph-base

中日・松坂大輔投手(37)が、13日のオールスター第1戦(京セラD)で実戦復帰することが7日、分かった。先発する可能性が高い。背中の捻挫で6月17日の西武戦(メットライフ)の先発を回避して以来、登板機会がない松坂。「理想は球宴前に投げること」と前半戦中の復帰を希望していたが、患部の回復が想定より遅れたことで、球宴で“ぶっつけ復帰”するプランに変更した。・・・

 

 

松坂 古巣ソフトバンク相手に“有言実行”の快投
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180608-00000049-tospoweb-base
ピンチになればなるほどギアが上がる。中日・松坂大輔投手(37)が8日、ソフトバンク戦(ナゴヤドーム)に先発し、粘りの投球を見せた。初回、二死から中村晃、柳田に連続四球。続く上林の一ゴロをビシエドがはじく失策でいきなり満塁の大ピンチを招く。しかし、マウンドの松坂に慌てる様子はみじんもない。松田を“伝家の宝刀”カットボールの連投で平凡な中飛に打ち取ると涼しい顔でベンチに引き揚げた。
 2回には先頭の甲斐に四球、千賀の二塁へのボテボテのゴロが内野安打になる不運もあり一死一、二塁。さらに明石を四球で歩かせ、またも満塁とする。ここで塚田の二ゴロ野選の間に1点を許すが、それ以上傷口を広げないのが松坂。中村晃、柳田のクリーンアップから連続三振を奪い、最少失点でしのいだ。
 今季の松坂はこの日も含め満塁の状況で9度投球しているが、その内容は8打数0安打(うち併殺が2度)で四球は1度。適時打どころか犠飛さえ許していない。「走者を出してもホームに返さなければいい」。まさしく有言実行の快投。平成の怪物にとって、満塁の状況は自身を奮い立たすにすぎない。
 3、4回と走者を出すが得点は許さず。球数が100球にさしかかった5回になるとマウンド後方で両足を伸ばすしぐさを始める。5月13日の巨人戦(東京ドーム)で右ふくらはぎの強い張りで降板。これは西武時代からの松坂の癖で、この日も足に張りが出たようだ。ただこの張りは決して悪いことではない。「それだけ蹴れているということ」と松坂は分析している。思い切り投げることができているから足に負担がかかる。状態が全盛期に近づいている証しでもある。
 足を気にしながらもこの日104球目となるカットボールで甲斐を空振り三振に抑え5回を投げ終えた。アクシデントもあったが、勝利投手の権利を持って降板。松坂は「早い回でマウンドを下りてしまって申し訳ないです」と反省を口にしたが、古巣相手に復活した姿は十分に見せつけた。

 

松坂大輔、柳田悠岐を封じ込めた「伏線の一球」【喜瀬雅則】〈dot.〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180609-00000009-sasahi-base
...ソフトバンク打線を5回1失点に抑えた。5イニングのうち、三者凡退は5回だけ。残る4イニングは、いずれも得点圏に走者を背負った。それでも最小失点で試合をまとめてしまう。プロ20年の長きにわたるキャリアからにじみ出た“エキス”が、存分に詰め込まれているようなパフォーマンスだった。
 そう、力だけではない。松坂は勝負どころを踏まえ、そこに知力と体力のすべてを注ぎ込み、相手の攻撃を断った。
「真っすぐは、ほとんどないです。動いていましたね。メジャーリーガーみたいです」
 22歳の外野手・上林誠知が脱帽した、15歳年上のベテランのピッチングぶり。その真骨頂は3回に迎えた2度目の対決にあった。
136キロ、カットボールはボール。
132キロ、カットボールもボール。
133キロ、カットボールはストライク。
140キロ、ストレートをファウル。
 そして、5球目は125キロのスライダー。上林のバットは空を切り、三振に終わった。
 カットボールを軸としたその投球に、かつての豪快さはない。それでも、今月に入って4戦連発の離れ業を見せた若武者に、自分のスイングをさせない。それが、今の松坂大輔だ。
 メジャーの投手に対して、よく「球を動かす」という表現が使われる。松坂のような右投手なら、右打者の外角、左打者の内角へ小さく曲がり、打つ瞬間にバットの芯を外す「カットボール」。その逆が「ツーシーム」。打者の手元で動くその球は、日本風にいえば「まっスラ」と「シュート」だ。
 これに対し、日本のオーソドックスな「ストレート」といえば「フォーシーム」。きれいなスピンがかかり、伸びていくような軌道。スピードが売りの剛球派投手なら「浮き上がる」と呼ばれるイメージだ。
 その“素直な軌道”とは対照的ともいえる、メジャー流の『動く球』。松坂が「今、一番、頼りになる球」とまで表現するのが、このカットボールなのだ。130キロ台後半のスピード表示は、ほぼこの球といっていい。力で抑え込めない現状で、真っ向勝負の“かつての自分”の感覚で攻めたところで、全盛期より10キロも遅いボールでは、まず勝負にならない。
 松坂には、それが分かっている。
 37歳の今だからこそ、球を動かしていく。その「進化」した投球が、ピンチでも輝きを増した。2回、セカンド・高橋周平の野選で1点を先制され、さらに1死満塁。ここで3番・中村晃に、松坂は硬軟織り交ぜた「術」を見せた。
125キロ、チェンジアップがボールになる。
139キロ、カットボールで空振りを奪う。
124キロ、チェンジアップがボールに。
138キロ、ストレートでストライクを取った。
 カウント2―2からの5球目。ストレートを待つのか。しかし、芯を外される可能性はある。カットを待つ。するとストレートに遅れてしまう。中村晃の技術なら、ストレートを待ちながら、カットに泳がされてもファウルにして、狙い球が来るまで我慢はできるだろう。その“迷い”を生じさせた中で、松坂が投じたのは137キロのストレートだった。逃げずに、真っ向勝負。スイングが遅れた中村のバットは、空を切った。
続いて、4番・柳田悠岐。初球は126キロのスライダー。柳田は、ヘルメットが脱げるほどのフルスイングを見せた。
 139キロ、ストレートはボール。137キロのカットボールでストライクを取り、続く4球目は128キロのスライダー。足元に落とした1球に、柳田はちょっと飛び上がってよけた。打席を一度外す。
 これが、伏線だった。
 打者は、投球の軌道を想定する。それを「目付」という。狙いを絞った、その“ライン”をずらすために、投手はあえて足元にボールを落とす。そうすると、打者は必然的に打席を外し、それまでの4球の「球筋」がズレてしまう。
 その微妙な駆け引きを見せた上で、松坂が最後に投げたのは、ストレートだった。
 140キロ。その速くはない外角球に、柳田は手が出なかった。
「いいところに投げられたという感じがします」
 柳田がその巧みな駆け引きと投球術の前に、完全に“敗北宣言”だ。柳田は、4回にも空振り三振を喫し、松坂との3度の対決で、2三振と1四球に終わった。「一番抑えなくてはいけない打者」と松坂が最も警戒していた4番・柳田を封じたことで、5回の責任回数を最小失点にとどめることができたのだ。
 5回に入ったとき、左臀部に張りを感じ、打者と打者の打順間にマウンド後方で何度も両足を伸ばしたり、自分で尻を叩いたりした。その違和感の中で、5回で104球、3安打4四球と、苦しい投球ながらもしのぎ切った。

 

 松坂からの痛烈な「恩返し」に、工藤公康監督もただ完敗を認めるしかなかった。
「要所要所でボールがいいところに来ていたような感じには見えた。まあ、あと1本というところなのかもしれないですけど、そういうところで、いい球が最終的には決まっていたと思います」
 藤本博史打撃コーチも、かつての松坂大輔というイメージとは、全く違っていたことをはっきりと感じ取っていた。
「三振を取ってくるピッチングじゃなく、打たせて取るピッチング。それにまんまと引っかかった感じですね。ストライクとボールがはっきりしていて、絞りづらかったのもあるし、たまにコースに、ポーンと来て、打者が集中しづらいというのもあったね」
 荒れる。それでも、要所を抑え、投球をまとめてくる。そのうまさ、そしてメジャー流の「動く球」が効いた。3回に中前打を放った松田宣浩も「きれいな球は1球もなかった」と表現した。それを、メジャーの世界では「nasty」という。そこには、すげえ、やっかい……といった、相手を褒める、脱帽したという意味合いが含まれている。
 速球派から、技巧派へ。…


https://youtu.be/M6HBWJgbqxg

 

 

 

「非常識にもチャレンジ」が生んだ松坂の投球術

https://news.biglobe.ne.jp/sports/0612/spn_180612_9069597418.html

短所を長所に変える。非常識にもチャレンジする。そんなことをずっと前から中日の松坂大輔投手は考えていた。実際「常識、非常識の線引きは歴史が決めたもの。自分はその線引きはしない」と話したことがある。3勝3敗、防御率2・41。今季、復活した姿を見せてくれている右腕の考え方のいくつかエピソードを紹介したい。
 (1)逆球をフル活用。
 西武時代から話していたことは「狙ったコースとは逆に行く逆球は、その球自体は意味のないものが多い。だけど、その1球を打たれなければ、次に生かせる」。制球力がない投手には参考にしてほしい言葉。もし、捕手の構えたところに行かなくても、ストレスはためない。09年の第2回WBCの2次ラウンド、キューバ戦では相手のベンチから内外角の投球に対する声の指示を見抜き、捕手の城島と話し合った上で、あえて構えたミットの逆のコースに投げて無失点に封じたことは有名な話だ。
 (2)点差が開いたら実験
 試合が決した時には必ず何かを試した。「打者の強いコースから少し動く球を投げる。打たれてもいい。打たれたら、自分の中で“やってはいけないこと”の線引きができる。逆に変な反応をしてくれたら、打ち取る選択肢が増える。ヒントがどこに隠れているかは分からない」。メジャー時代には、あえて相手の待っているコースに投げたこともある。
 (3)苦しい時も、引き出しを全開にしない。
 「1試合の中で“ここがポイント”という時はありますが、そこで全てを出したら、先はない。次の試合でも対戦がある。常に“何か”は取っておかないと」。左打者の内角のボールゾーンからストライクになるシュートは最近になってようやく使い出した。右打者の内角へのシュートはいまだ、ほとんど投げていない。すべてを開放していない。


 ここまで、9イニング平均の与四死球は6個を越える。球数を要しても、ピンチを背負っても、最後の1本を許さなければいい。「技巧派にうまく転身した」との意見もあるが、松坂はプロに入った頃から目に見えない“遊び”を入れ、来たるべき時に備えていた。
 若手にアドバイスを送る時に言うことがある。「自分で考えて試してみることが大事」。トライ&エラーがあってこそ、体に染みこませることができる。はるか昔から松坂は“来たるべき時”に向けた準備をしてきた。(記者コラム・倉橋 憲史)

 

 

日米通算200勝を目指す松坂大輔「復活したのか」の問いに本人は..

http://bunshun.jp/articles/-/7579

「あの時、僕は監督の言葉に少し切れていたんです。実はふてくされていました」

 1998年8月21日。第80回全国高校野球選手権大会・準決勝。明徳義塾対横浜。6対0、明徳義塾リード。8回裏、横浜の攻撃中、ブルペンで右腕のテーピングを外した瞬間だ。

 横浜の捕手で主将だった小山良男さん(現・中日スカウト)は振り返る。「攻撃前の円陣でこのままでは(準々決勝で勝った)PLに申し訳ない。1、2点は返そうという話になりました。まさか勝てるとは」

 さすがの渡辺元智監督も諦めムード。背番号1にこう告げた。「スタンドは満員だ。全国の高校野球ファンに少し投げる姿を見せて来い」

 松坂大輔はこの言葉に切れた。

「1ミリも負ける気なんてないし」

あれから20年。松坂は青いユニフォームに袖を通している。

 ナゴヤドームでは開門直後、好きな言葉を書いたボードを持った中日選手の写真がビジョンに映し出される。笑顔弾ける松坂のボードには「勝」と書かれている。

 今もなお、松坂は勝ちたいのだ。

 解説者は異口同音に今年の松坂を「全盛期のスタイルではないが、変化球を巧みに操り、うまく打者を抑えている」と評価する。

 プロ初登板で片岡篤史(現・阪神ヘッド兼打撃コーチ)に投じた155キロの真っ直ぐが印象的なだけに、フルモデルチェンジをしたように映る。

 しかし、松坂は言う。

「投球の引き出しは今になって身に付けたわけではなく、入団した頃から意識していたことです」

 誰かに学んだのか。

「西口(文也)さんです。ストレートとスライダーが素晴らしい投手でしたが、よく観察すると、押したり引いたりしている。コース、高さ、強さなど微妙に変化を付けて打者を抑える。ゲームを作る。最も影響を受けた先輩の一人ですね」

 勝ちたいからこそ、学ぶ。盗む。試す。

 松坂は剛速球を投げる裏で様々な変化球を習得しながら、投球の幅を広げる努力をしていたのだ。…

猛者たちとの真剣勝負により、松坂の投球術は一層磨かれた。その後、メジャーで揉まれ、WBCでも活躍。怪我に苦しみ、メスも入れた。

 プロ20年の経験で培ってきた彼の全てが今年一気に顕在化している。発酵を重ね、熟成されたワインがついに開けられた。酔いしれるわけだ。…

「今年で松坂は復活したのか」の問いに彼は……

 7試合3勝3敗。防御率2.41。先発投手として十分役割を果たしている。オールスターファン投票先発部門も1位。松坂登板翌日はチーム7連勝という新たな神話も生まれている。

 しかし、満足していない。2月、CBCテレビ「サンデードラゴンズ」で森本稀哲さんと対談した際、「投手としては(日米通算)200勝が大きな目標」と明言した。6月16日現在、167勝。戦いは続く。

「今年で松坂は復活したのか」の問いに彼は首を横に振った。「中5日、中6日で回らないとローテーションピッチャーとは言えません」。口元が引き締まった。「もっと長いイニングを投げないと」。眼光が鋭くなった。

 松坂はまだ勝ちたい。

 ひょっとしたら、まだ学び、まだ盗み、まだ試しているのかもしれない。平成の怪物は「勝利への執念」と「飽くなき探究心」で作られている。

 そして、これだけは言える。

 今なお、松坂大輔に負ける気なんて1ミリもない。

 

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生きた球を放る怪物・松坂大輔の「復活」 味は全盛期より上か

http://news.livedoor.com/article/detail/14919232/

内容をざっくり言うと

 中日・松坂大輔の「復活」は凄まじく、今季の御率は2.41と上々

 効果的なタテのスライダーとストレートを使い分け「生きた球」を放つという

 投手としての「味」は全盛期よりも上で、「平成の怪物」は健在とのこと

...

 

 

松坂大輔、「もうひとりの大輔」とプロで対決する決意表明【喜瀬雅則】

https://dot.asahi.com/dot/2018061600018.html

…藤井寺市議の岡本光(こう)
2018年現在、4期目を迎え、今年5月からは同市議会議長も務めている57歳のベテラン議員には、もう一つの顔がある。1983年から巨人、89年からは西武と、2球団で投手として活躍し、現役を引退した1990年のシーズン途中から2001年までは、西武でトレーニングコーチを務めていた元プロ野球選手でもあるのだ。松坂大輔がドラフト1位で西武に入団した1999年からの3年間、岡本は若き松坂に寄り添い、プロとして飛躍していく姿を間近で見守り続けてきた。その信頼関係は今も変わらず、岡本が西武を離れ、2003年から藤井寺市議として活動するようになってからも、松坂と家族ぐるみの付き合いがずっと続いているという。…

20歳年下の「平成の怪物」に、岡本は完全に魅了されてしまった。「…松坂大輔以上に持ってるヤツなんか、いないですよ」その甲子園が終わった直後の9月、次男が生まれた岡本は何の迷いもなく「大輔」と名付けた。もちろん、松坂大輔にちなんでの命名だ。

…その松坂が、横浜、日本ハムとの3球団競合の末、なんと自分が所属している西武に引き当てられたのだ。ゴールデンルーキーが、やってくる──。年明けの1月には、新人合同自主トレがある。プロとしての事実上の第一歩を記す松坂の一挙手一投足に、日本中の注目が集まる。その指導にあたるのがトレーニングコーチだ。岡本の双肩にかかる責任は、重大だった。…岡本は松坂の体調を常に気遣い、チェックする役割を担っていた。それこそ、影武者のように松坂のそばにいた。それも全く、苦にならなかったという。「スーパースターがいつも目の前にいて、キャッチボールしましょうとか、言うわけですからね。ハッピーだったのは、僕の方でした」…

ただ、あのうなるような剛球を、松坂はもう投げられない。
「肩と肘、2回手術したんですよね。あんな低めを丁寧に投げなくても、どんと投げて、ぎゅっと曲げていたら、抑えられていたんですけどね。でも、彼は彼なりに試している。まだ進化を求めてやっている。だから、すごいんです」…
今年に入って、中日が甲子園に遠征に来た際、松坂が「大阪のお母さん」と慕う夫人の幸代とともに、岡本は松坂を訪ねた。松坂は岡本の家で食事を取り、2人の息子たちと普通にゲームをしたり、一緒に遊んだりしていた。次男の大輔は松坂を「おっきい大ちゃん」と呼ぶようになっていた。
その大輔は早実に進学し、1年下の清宮幸太郎(現日本ハム)とクリーンアップを組んだ。現在は早大2年生。プロを目指して、野球を続けている。
「大輔がプロに来て、対決できるまで、僕も頑張りますよ」
松坂は岡本にその「夢」を告げたという。その日が来るとすれば、早くても2021年。“3年先への思い”は、あくなき挑戦を続けるという、松坂の決意表明でもある。…
 

 

松坂大輔を小学校からずっと追う男。 小谷野栄一「1年でも長く対決を」

http://number.bunshun.jp/articles/-/831079

同じ地元のギリギリ勝てないライバルが、実は怪物だった――。オリックスの小谷野栄一にとって、同級生の松坂大輔(中日)はそんな存在だった。小谷野と松坂は同じ東京都江東区出身。小学生時代、少年野球チーム「辰巳」のエースだった小谷野は、「東陽フェニックス」のエース松坂と投げ合っては敗れていた。その2人は「江戸川南リトル」でチームメイトとなり、松坂がエースを務め、小谷野は内野手に転向した。「僕にとって常に勝てなかった人間。でも勝ったことがないからこそ、もう少しなんとか頑張れば追いつけるかなという思いで、ずっと諦めずにやれたのかなと思うんですよね」と小谷野は言う。その後、松坂は横浜高のエースとして1998年に甲子園春夏連覇を達成。“平成の怪物”と呼ばれ、やがて“松坂世代”という言葉も生まれた。一方の小谷野も高校3年の春、創価高のメンバーとして甲子園出場を果たしたが、2回戦でPL学園に敗れ、主役にはなれなかった。

松坂世代の野手で唯一のスタメン。

あれから20年。NPBでプレーする松坂世代は13人となった。そのうち野手でスタメンを張っているのは小谷野ただ1人である。小谷野は高校卒業後、創価大に進学し、2002年のドラフト5巡目で北海道日本ハムに入団した。'07年にレギュラーに定着すると、'10年には打点王を獲得。'14年にFA権を行使し、オリックスに移籍した。今年は打率こそ2割3分2厘(6月12日時点)だが、勝負強さは健在だ。また、凡退しても最低限ランナーを進塁させるなど、数字に表れない仕事をきっちりこなす欠かせない存在である。

松坂世代に加われただけで嬉しい」

「正直、現状ではまだ去年より体が動いていない。でもそんなことを言っていられないし、結果が出ないから悩んでます、苦しんでますという顔をするのがベストなことじゃないと思う。特に後輩が増えて一番上になっちゃったから、そういう姿を見せることによってプラスになることはいっさいないし、そんなことしたら、せっかく楽しい野球が楽しくなくなっちゃう。どんな状況でも使っていただいている限りは、全力で、1日に何か1つでもチームのためになることを、と思ってやっています」そうした姿勢の積み重ねで、プロ16年目、37歳の今がある。「“松坂世代”と呼ばれている中にいられることは喜びだし、誇りです」以前、小谷野はこう語っていた。それは、遅れてきた松坂世代だからこその感情かもしれない、とも言った。

「高卒でプロに入って、一緒に同レベルでやってきた人の中には、“松坂世代”という、松坂がトップだという言い方に、悔しがっている人間もいたと思います。特に若い頃は。でも僕は大卒で入ってきたほうだから。高卒で入ったみんながあれだけ活躍していた中に、あとから入って、なんとかやれるようになって、松坂世代と呼ばれる中に加われただけで嬉しい。この歳になってまだその中の1人に入れていることは喜びだし、誇りに思っています」

少年野球での対決を思い出した

小谷野はかねてから、日本球界に復帰した松坂との対戦を熱望していた。

「そりゃやりたいですよ。ずっと追い続けてきましたから」

 今年5月30日、ついにその日がきた。ナゴヤドームで行われた交流戦の中日戦で、松坂対小谷野の同級生対決が実現したのだ。小谷野が北海道日本ハム、松坂が埼玉西武に在籍していた'05年9月7日以来、実に13年ぶりの対戦である。

「純粋に楽しかったです。小さい頃、少年野球で対決していた時のことを思い出しましたね」

まだ松坂からヒットを放っていない。

(今年5/30)1回の第1打席はファーストライナーに倒れ、小谷野は苦笑い。4回の第2打席は四球で出塁し、マウンドの松坂は一瞬悔しそうな表情を浮かべた。そしてこの日最後の対決となった6回の第3打席は、141キロの外角のストレートに手を出せず、見逃し三振に終わった。

その3打席は、互いの紆余曲折を感じ取る時間だった。小谷野は感慨深げに語る。

「ああやってピッチングスタイルを変えて……だから今またローテーションを守ってチームに貢献しているんだな、と感じました。長くやるには変化し続けることが必要で、僕自身も、自己犠牲みたいなことをやるようになったから、この歳までやれているんだと思う。

でも変わることって難しいし勇気がいることで、マツほど実績がある選手はなおさらだと思う。でも彼みたいな選手でもそういうことをしてきたんだなと実感できたし、この歳になっても成長しようとしている姿を見て、すごく勉強になりましたね」

プロ入り後、小谷野はまだ松坂からヒットを放っていない。

「打てなくてすごく悔しかったですけど、打てなかったからこそ、この先も1年でも長くあいつと対決したいと思いました。また来年も契約してもらえるように、しっかりやらないと」

 もう30年近く、一番長く松坂を追い続けてきた男は、まだまだその歩を止めない。

 

 

10年前の恩義を福良監督に返す時。 小谷野栄一が乗り越えた引退危機。

http://number.bunshun.jp/articles/-/827982

走る、走る、走る。

 4月25日の埼玉西武戦の3回裏、オリックスT-岡田の安打で、チーム最年長36歳の小谷野栄一は必死の形相で足を回転させ、一塁から一気にホームへ帰ってきた。

「大変です。ベンチに酸素用意しといて欲しいよ」と苦笑するが、表情には充実感があふれている。

 北海道日本ハムからオリックスにFA移籍して3年目の今年、小谷野が元気だ。開幕から中軸を任され、リーグ4位の打率.360(4月30日時点)で好調なチームを支えている。ステフェン・ロメロが左膝大腿骨の骨挫傷で離脱してからは四番に座り、“つなぎの四番”として機能している。

 過去2年は左太もも肉離れなど怪我に泣かされて調子も上がらなかったが、昨年9月に左足首関節の遊離骨片除去手術に踏み切った。これが功を奏した。...

小谷野はことあるごとに「福良さんを男にしたい」と口にしてきた。福良淳一監督には、言葉で言い尽くせない恩を感じている。2014年のオフ、移籍先にオリックスを選んだのも、当時ヘッドコーチで、日本ハム時代の恩人である福良監督がいたからだ。 …

 

 
12球団トップは鷹・柳田の36万票超、西武の秋山も30万票超え
https://full-count.jp/2018/06/11/post136967/

 

 

松坂がファン投票で1位浮上 中高年が「平成の怪物」支持?

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/230513

・・・ それでも「松坂票」がこれだけ伸びているのは、中日ファンの「組織票」というより、横浜高時代の快投に、西武、レッドソックスでも頂点に立った、あの小気味よいピッチングが、中高年ファンの脳裏に焼き付いているからだろう。…

 

 

なぜ人々は松坂大輔を見に行くのか。別格の“引力”には理由がある。

http://number.bunshun.jp/articles/-/829922

すごい投手は松坂大輔以外にもいるだろう。よく「10年に1人の逸材」などと言われるが、ダルビッシュ有(カブス)が1986年生まれ、田中将大(ヤンキース)は'88年、大谷翔平(エンゼルス)が'94年。そして彼らの先を歩いていたのが'80年生まれの松坂だ。

「すごい投手」の基準はそれぞれだが、この4人を外す人はいないと思う。つまり松坂から大谷まで15年で4人の「10年に1人」が野球界に現れていることになる。

 でも、逸材の出現頻度が高まったのは、明らかに「松坂以降」だ。

 この4人は中学時代から頭角を現し、高校からドラフト1位で入団。その後も抜かれることなく常に同世代のトップを走ってきた。早熟にして大器。日の当たる道だけを歩いてきた。

 若くして多彩な変化球を駆使できるのは、自分より先にいる先輩の映像を見て模倣できる時代だったことも理由の1つだろう。…

20年前の夏。松坂がいた横浜高は新チーム結成以来、無敗のまま終えた。あの夏の戦いを高校野球ファンは今も語り継ぐ。

 PL学園との延長17回の死闘では250球を投げ抜いた。そのため明徳義塾戦は先発を回避し、敗色濃厚だったがベンチ前でテーピングをはぎ取り、キャッチボールを開始したところから球場の雰囲気が一変した。そして京都成章との決勝戦はノーヒッターで締めくくった。

 プロに入ってからもそうだった。2006、2009年のWBCではいずれもMVPに輝き、侍ジャパンを世界一に導いた。

 松坂は「無理」をして勝ってきた。球数を減らせ、肩は消耗品だ。メジャー式の合理性はすべて正しい。PL学園、明徳義塾、京都成章と3日連続で試合が行われている。クレイジー。わかってはいるけど、正しいことは少しつまらなくもある。

 世のサラリーマンは靴底を擦り減らし、手当ももらえぬ残業で「無理をする」自分に重ねるから感動する。ふと気付くと、あの松坂が「最後の無理」をしようともがいているじゃないか。その姿を見ないでどうする。オレが応援してやらないで誰がする……。

人生の岐路で松坂から影響を受けたのは、おじさんたちだけではない。チームメートとなった柳裕也は松坂にあこがれ、宮崎県都城市からはるばる横浜高に越境入学した。同じく福田永将は松坂の高校時代を編集したビデオを「それこそ擦り切れるほど見ました」と懐かしむ。

 DeNAの筒香嘉智は、先述の横浜-PL戦を甲子園で生観戦した。当時、小学1年生。このときの強い衝撃が横浜高進学を決意させたのは有名なエピソードだ。後の侍ジャパンの主砲は誘われてもいない横浜高に自ら売り込み、セレクションで関係者の度肝を抜いた。すごいのは筒香だが、引き寄せたのは松坂だ。他人の人生を左右する引力がある。…

 

 

 

中日 松坂大輔の好影響でアーモンドを食べる選手が増えた

...ある若手は“松坂さんが投げていると緊張感が違う”と話していた。子供の頃の憧れですからね。この頃、練習や試合の間にアーモンドを食べる選手が多いのは松坂の影響。カリウムが豊富で足がつりにくくなるそうです。
 
 
 
7/7朝日新聞神奈川版の別刷り「第100回全国高校野球記念大会」特集で、松坂大輔君が(全国大会の前の)神奈川大会を振り返るという興味深い記事がありました。
(松坂君の)新チーム発足1997年秋からの公式44連勝無敗は今でも破られていない凄い記録ですが、その初戦が唯一負けそうになった試合だったそうです。
つまり(翌年春の全国大会の予選になる?)2年生秋の県大会初戦藤嶺藤沢戦は3点先行も7回に追いつかれて(スクイズで一点取られ更にスクイズの構えに松坂君の投げたボールが球審のプロテクターに当たり後ろへ...やること全てが裏目に出た)、その後一点取り何とか競り勝った...この試合の「ダメっぷり」を松坂君は今だに忘れられないそう。「一つプレーが違えば、あそこで負けていたかもしれない」と。←あの無敗記録の初戦が一番危なかったとは驚きました(*≧∇≦)