松坂大輔君、Fighting。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。…次は5/30オリ戦→6回無失点も | angel_green888☆blog

angel_green888☆blog

日本人形コレクター&ソ・ジソブのファンで横浜のangel_green888です。登録したらブログが出来てびっくり…自分のメモでのみ書いてます。私の人形の片付けをして手伝って下さる方募集中です。人形の片付けをして下さる方以外のコメントは受付けていません←精神的に無理で…

松坂大輔君は(地元なので)横浜高校時代から応援しています。
最近は投げられず心配していましたが、やっと復活してくれたのでここで応援しています\(^o^)/

 2018/5/20(日)阪神戦で勝ち、2勝目です (通算166勝!*^▽^*)!

テレビでも、ネットでもライブでの中継映像がなくて、仕方なくてDAZN(↓)に入会して見ました。
 DAZN(野球、サッカーなどの色々なスポーツ中継がドコモユーザーなら980円/月で見れます♪
 https://watch.dazn.com/ja-JP/sports/ スマホ、タブレットやPC等から見れます。
 ドコモユーザーはdアカウントとPWで(分からなくても、ドコモのスマホやタブレットからそのまま入れる)
 
昨年まで、164勝103敗でした。

松坂大輔200勝の可能性を真剣に議論するスレ
http://blog.livedoor.jp/yakiusoku/archives/54825239.html
1999 16勝
2000 14勝
2001 15勝
2002 6勝
2003 16勝
2004 10勝
2005 14勝
2006 17勝
2007 15勝
2008 18勝
2009 4勝
2010 9勝
2011 3勝
2012 1勝
2013 3勝
2014 3勝
2018 2勝

200勝した最近の参考になりそうな投手の37歳ではな、黒田博樹(37) 160勝や山本昌(37) 144勝のペースなら行ける(#^_^#)♪

 
これまでの私の松坂大輔君の記事
2017.8.3  1998年松坂大輔凄かった!37歳!…
2018.4.20 松坂大輔君、復活 (*^▽^*) 頑張れ!200勝を目指してFighting*!*!*
2018.5.15   松坂大輔君、Fighting!4/30一勝!…次は5/20(日)→二勝目となった

次は、交流戦の5/29~31オリックス戦(名古屋ドーム、18時)の5/30(水)になりそうらしいです(下の方のネット記事⬇⬇)!

 

※追記 5/30(水)オリックスバッファロー戦は6回無失点1安打ピッチング(四球が多め)で勝ち投手の権利を持って投げ終えるも、3番手のピッチャー鈴木博志投手(ドラフト1位ルーキー)が8回に逆転されてしまった。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。!

 
中日松坂が2勝目!6回1失点好投/写真ライブ詳細
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805200000040.html
中日先発松坂が2勝目を挙げた。前回先発の13日巨人戦(東京ドーム)は3回途中に右ふくらはぎの張りを訴えて降板。大事には至らず、中6日でマウンドに上がった。松坂は6回91球を投げ、3安打7三振1失点。打っては2打席安打を記録した。
 
投球前にベンチ前でストレッチ

 

 グラブ「RYU」も注目されている↓↑(一番下のネット記事に)
 
 
5回裏中日2死一塁、松坂大輔は左前安打を放ち2安打ヾ(@^(∞)^@)ノ

 
5回裏中日2死一塁、左前安打を放った松坂大輔は一塁ベース付近でヘルメットでシャドウをする(シャドウピッチング:投球練習らしい)

 
6回表阪神2死二塁、松坂は京田がロサリオの打球を好捕しマウンドで手を叩く

 
ヒーローインタビュー

 
前日の練習で

 
 
中日・松坂が2勝目 G坂本勇のバットでプロ20年目初のマルチ安打
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180520-00000021-tospoweb-base
...投球だけではない。この日、松坂が球場を最も沸かせたのは打撃だ。4回の第2打席、「振りやすかった」という巨人・坂本勇にもらったバットで阪神・才木の142キロの直球を見事に左前へ運び、日本では12年ぶりとなる安打をマーク。さらに5回の第3打席でも三遊間を破る安打を放った。マルチ安打はプロ20年目で初。「監督からも打撃を期待されて獲ってもらったので、やっと打てて良かった」と、入団テストに合格した際の森監督のジョークを逆手に取って爆笑を誘った。・・・
 

松坂2勝&2安打「打撃期待されて獲ってもらった」
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201805200000695.html
・・・
 「前回アクシンデントで早いイニングで交代したけど、中6日は問題ないと。僕は大丈夫だと思っていた。最初の3点で非常に楽にゲームに入ることができた。状態はあまり良くなかったけど、ここ何試合かカットボールだけは信用できるボールなので、それを軸にゲームを作ることができた」(松坂)
 打っても3打数2安打で非凡な打撃センスを発揮した。「監督からも打撃を期待されて獲ってもらったのでやっと打つことができて良かった」。2安打放っている後輩柳からは「僕2本打ってます」といじられ? 「やっと追いつけて良かった。投手陣のし烈なヒット争いにも注目してみてほしい」(松坂)と自虐ネタをちょっぴり交えてジョークを飛ばす余裕も見せた。
 次戦に向けて「僕はここ(ナゴヤドーム)で投げると思うので勝てるように頑張りたい」と29日以降の交流戦での3勝目に意欲を見せた。
 

2018/5/20 試合 https://youtu.be/7jPW8HwAt-g

 

 

ヒーローインタビュー https://youtu.be/5Qy4A5FF4DA




【中日】松坂、29日からのオリ3連戦での先発へコンディション「問題なさそう」
https://news.biglobe.ne.jp/sports/0521/sph_180521_0155452310.html
20日の阪神戦で中日移籍後2勝目を挙げた松坂大輔投手(37)が21日、ナゴヤドームで投手陣の練習に参加。前日の反動もなく、順調に調整をこなした。

 疲労回復のランメニューやキャッチボールを行った背番号99。肩肘や、13日の巨人戦で痛めた右ふくらはぎのコンディションに関しては「特に問題なさそう」と説明した。

 前日のお立ち台で「チームは(27日まで)遠征に出ますが、いい状態でナゴヤドームに戻ります。僕はそこで投げるので、よろしくお願いします」と本拠地での登板を予告。

 次戦は29日からのオリックス3連戦(同)になりそうだが、この日は「(中6日以上の間隔を)難しくは考えてないです。僕の肩を気遣ってもらってのことだと思う」と首脳陣の計らいを粋に感じている様子だった。


【中日】松坂、29日交流戦開幕投手も!森監督「勝手に決めてるみたいだが、従うしかない」
https://news.biglobe.ne.jp/sports/0522/sph_180522_3468587000.html
中日・松坂大輔投手(37)が交流戦の開幕投手を務める可能性が21日、高まった。この日、出場選手登録を抹消されなかったため、次戦は中8日で自身初の交流戦初戦となる29日のオリックス戦(ナゴヤD)が急浮上した。
 初めて中6日で投げた20日の阪神戦(ナゴヤD)のお立ち台で「チームは遠征に出ますが、いい状態でナゴヤDに戻ります。僕はそこで投げます」と、次戦が29日からのオリックス3連戦になることを公言していた。すぐに出場選手登録を抹消され、中10日で31日の3戦目に回るプランだったが、2勝目から一夜明け、「問題なさそう」と肩肘などのコンディションが良好なのも決め手となった。
 ナゴヤDでこの日、投手陣練習に参加した松坂は「(中6日以上の間隔でも)難しくは考えてないです。僕の肩を気遣ってもらってのことだと思う」と前向き。森監督も「勝手に決めてるみたいだが、従うしかない」と、あきれながらも頼もしく感じているようだ。





【中日】松坂、交流戦2戦目30日オリックス戦に先発
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180526-OHT1T50324.html
中日・松坂大輔投手(37)が交流戦2戦目となる30日のオリックス戦(ナゴヤD)に先発することが26日、分かった。
当初は29日の同カードを予定も、23日のDeNA戦(横浜)の雨天中止を受けて先発ローテを変更。29日は、R・マルティネスが先発する。今季3勝目を目指す松坂はマツダで20分を超える入念なキャッチボールを行った。
笑顔で調整の松坂大輔


オリ小谷野、松坂からヒット打つ! 13年ぶり同級生対決に「楽しみだよ」
http://news.livedoor.com/article/detail/14780950/

..(オリックス小谷野は)今季プロ16年目を迎えるベテランは現役選手では数少ない「松坂世代」の一人だ。小学時代は江戸川南リトル、中学時代も江戸川南シニアでチームメートだったのはよく知られた話。シーズン前に松坂の中日入団が決まった際も「素直に嬉しかった。対戦できたとしたら交流戦。お互いレギュラーでいないといけないけど」と、誰よりも喜んでいた。

 幼い頃から松坂の背中を追いかけ続けた小谷野はプロで1度だけ対戦している。2005年にわずか3打席だったが無安打、1四球と実力の差を見せつけられた。「あの時は向こうは日本一の投手で、自分は出てきたばかりで力の差を感じた。昔からなんだけど、自分の立ち位置が分かる相手なんだよね。自分の基準になっている」。小谷野は常に先を行く同級生を憧れの眼差しで見てきたという。

 幼い頃から隣には常に松坂がいた。元々は投手だった小谷野は松坂の投げる姿を見て「すぐに諦めた(笑)。同じ投手で勝負しても勝てないと思ったから。でも、そのおかげで今があると思う。プロになれたのも松坂がいたから」と感謝を口にしている。・・・

 










ところで、2008年 階段で滑って右肩を痛めたそうです⬇

松坂大輔が語った肩の痛みとの戦いと怒り「タイムマシンがあればあの日に戻りたい…」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180521-00104857-playboyz-base
…1998年夏の甲子園から始まった、松坂大輔の怪物伝説ーー。西武に入団してからも、イチローとの初対決で奪った3つの三振は、その伝説の続きだったと言っていい。WBCでは2大会連続でMVPに輝いた。2007年にレッドソックスへ入団したときの騒がれ方は、今の大谷翔平の比ではない。そして、松坂はメジャー1年目にワールドシリーズを制覇してチャンピオンリングを手にする。“平成の怪物”こと松坂大輔は、ずっと「一番」であり続けた。

あれから20年。松坂はいつしか「一番」ではなくなっていた。ピッチャーが30代の後半に差しかかれば、力が衰え、一番でなくなったとしても不思議なことではない。

しかし、松坂自身は力が衰えたとは思っていなかった。彼が一番であり続けられなくなった理由は、右肩の痛みが彼を襲っていたからだ。松坂はこう言っていた。

「最初に肩を痛めたのはレッドソックスの2年目、2008年です。オークランドの球場でブルペンへ向かうとき、階段で滑っちゃったんです。滑って手すりにつかまったとき、肩の関節がズレたような気がして、ヤバいと思いました。あの日から右肩の痛みとの戦いが始まってしまいました。タイムマシンがあれば、あの日に戻りたいくらいです」

肩の痛みとの戦いは、10年にも及んでいた。普通に考えれば、肩が痛いのに投げられるわけはないし、そんな状態で投げても勝てるはずがない。しかし、松坂の場合はそうではなかった。
技術の引き出しが豊富で、しかも器用な松坂は、肩が痛まないフォームを探し出し、試合で投げて、勝ててしまった。その結果、バランスが崩れ、痛みがぶり返し、また痛くない投げ方を探すという悪循環に陥ってしまったのである。
しかも、松坂の右肩の痛みには波があった。朝起きて、今日はどうかと恐る恐る、その状態を確かめる毎日だった。ひどいときは寝返りをするだけで痛む。目覚ましが鳴ると、右腕ではなく左手を伸ばす。そんなときは「こんな状態で投げられるわけねえだろ」と、つい自分自身に怒りをぶつけてしまった。
◆ホークスに入団してからも消えなかった肩の痛み…この続きは『週刊プレイボーイ』23号(5月21日発売)「松坂大輔の復活が始まった『2017年秋の奇跡』」にてお読みください。(取材・文/石田雄太 撮影/小池義弘)


平成の怪物は「光栄」 プロ20年目、松坂大輔投手【平成インタビュー】
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201805md-int0001
「松坂世代」嫌だった時期も
超高校級投手として甲子園を沸かせて「平成の怪物」と呼ばれ、プロ20年目を迎えた中日の松坂大輔選手に平成の記憶を聞いた。

―「松坂世代」という言葉もある。
 今年、何度も聞かれているんですが、本当に一番初めっていうのは高校野球で頂点に立てて、個人としてというよりチームとして立てて、結果的に僕の名前が付くことにつながって。最初はやっぱり「平成の怪物」と言われたのと一緒で、一番上に設定されたということに喜びはあったが、時間がたつにつれて、自己紹介とかで使う人もいれば、ひとくくりにされるのも嫌がる人も当然いるだろうなと思って、途中すごく嫌だなあとか、申し訳ないなあと思っている時期はありました。
 長く(プロ野球選手生活を)続けている間に、やっぱり「松坂世代」です、あいさつする時は使わせてもらってますとか、最近よく言われるんですが、そこで改めてまだまだ頑張らなくていけない、と思うようになりましたね。
―いわゆる「昭和55年会」。同学年に名選手が多い。ライバル心はあったか。
―東京都江東区出身の松坂選手が横浜高校へ進学した経緯を。
 知っている人は知っているんですが、僕は(当初は)帝京高校に行きたくて。帝京高校のユニホームが好きで。中学3年の夏休みに入るころは帝京に行くつもりでしたね。
 その後に中学の全日本代表に選ばれるんですが、そこでいずれ横浜高校でチームメートになるメンバーが何人かいて、「お前がいれば甲子園に出られるから、横浜高校に来いよ」と言われて。当時、僕はその(彼らがいた)チームに勝てなかったので、対戦して。全国的にも有名な選手たちだったので、こいつらが行くんだったら、それ(甲子園出場)も可能だろうなと。単純なんで。それだったら横浜高校に行こうかなと思ったのが(志望校を)変えたきっかけですね。
―松坂選手を横浜高校に誘ったのは。
 小池(正晃)、常盤(良太)、小山(良男)。小池と小山はプロに行きました。あと、浜松の後藤(武敏)も横浜高校へ来ることが決まっていて、すごいメンバーが集まるなあと。そのうちの一人に自分もなりたいと単純に思いました。その後もちろん、高校の練習を見に行ったり、グラウンドを見に行ったりして最終的には横浜高校に決めたんですけど。
 帝京高校からも誘いは来ていました。自分が行くと言えば、行ける状態でした。

―1998年(平成10年)の甲子園春夏連覇。特に夏の大会でのPL学園との準々決勝、明徳義塾との準決勝、京都成章との決勝。あの3試合は多くの人が鮮明に覚えている。
 そうですね、いまだに言われたり、聞かれたりしますね。
―特に準々決勝と準決勝は、あれだけの壮絶な試合。正直、試合中に「負けてしまうのでは」と思ったことはあったか。
 それも聞かれたことありますが、シーソーゲームだったPL学園戦、0―6で負けていた明徳義塾戦、どちらも「負けるかも」というのはなかったですね。
 明徳戦は多分、(先発で)自分自身が投げていなかったからというのもあるかもしれませんね。後輩が投げてましたけど、感覚的に自分が打たれたわけではないので。左翼を守りながら、不思議と負けている感覚はなかったですね。中堅手の選手とも(試合中に)点を取られている途中だったけど、「まだいけるよね」と話していたのを覚えています。もう中盤過ぎて5、6点取られていたときだったと思うんですけど。…

―その年秋のドラフト会議で横浜(現DeNA)、日本ハム、西武から指名され、西武に決まった。そのときの気持ちは。
 (ドラフト会議前に)やっぱり(高校の地元である)横浜に行けるのが一番いい形なんだろうなと高校生ながら思っていて。抽選になって西武になって思ったのは、どうしようかなと。初めに思ったのは。横浜以外なら社会人に行くって最初は思っていたので。でも、ライオンズ自体は好きなチームだったので、どうしようかなって思ったのが最初じゃないですかね。
―入団1年目に西武ドーム完成。いきなり活躍し最多勝に輝いた。その中で「リベンジしたい」や、「自信が確信に変わった」などの「名言」があった。前々から考えていた言葉なのか。
 さすがに勝ったときのコメントは考えていないので。うーん、何でしょうね。何かこう、自分が読んだものから何かがインスパイアされたというイメージもないですし。何か、ふと「確信」という言葉に強くひかれたというか。自信を持ってプロ入りしてますし、それがイチローさんを抑えたことで、ここでプロでもやれるという強い気持ちが生まれたのは確かですし、そこから出てきた言葉かもしれないですね。
―「リベンジ」という言葉は当時あまり聞かなかった。
 そうですね、「リベンジ」は、多分僕が格闘技とかを見るのが好きだったので、「やられたら、やり返す」じゃないですけど、そこから出てきた言葉だと思いますね。
―西武時代で一番の思い出は。
 何だろうなあ…。いやあ、1年目のキャンプはすごかったですね、(ファンの)人が。
―「影武者」も出た。...
―その後、米大リーグへ挑戦。もともとメジャーへ行きたい気持ちはあったのか。
 はい、思っていました。中学生の時、野茂(英雄)さんの活躍を見て、強く意識しましたね。それまでも、何となく米国のメジャーリーグは一番レベルの高いところなんだというのは小学生のときから思っていて。いずれは行きたいなと思っていたんですけど、強く意識するようになったのは野茂さんを見てからですね。
―米国から見て日本の良さとか、逆に日本はここがまだ遅れているなと思ったことはあるか。
 野球では、ここが良くてここが悪いと思ったことはないですね。野球ではないですね。当然同じものとは思っていなかったし、ああやっぱりこういう違いがあるんだなって感じましたね。
...
―野球での米国の一番の思い出は。
 やっぱり、移籍した1年目にワールドシリーズに優勝したことですね。最高の瞬間でした。
―今年、平成30年。松坂選手は日米通じてプロ野球選手生活20年目、さらにセ・リーグは1年目。記念の年だと思うが、今年こういうプレーをファンに見てもらいたいとか、こういうプレーをやってみたいという思いはあるか。
 僕は日本に戻ってきて4年目ですけど、この3年間は何もできなかったので、その中で僕が投げることを楽しみに待っていてくれるファンの方たちがいるので、とにかく1年間マウンドに立ち続けること、セ・リーグで打席に立つ機会も増えると思っているので、もう一度本塁打を打ちたいですね。
...
平成の怪物 「すごく光栄なこと」
 日本球界復帰後の初勝利を果たし、ドアラに祝福される中日先発の松坂投手=2018年4月30日、ナゴヤドーム【時事通信社】
 ―これは聞かなきゃいけないんですけど、松坂選手にとって「平成」とは。
 それ、あのー(取材)申請の紙を見たときに思ったんですけど、何て答えればいいんだろうって…。この30年、ほぼ「平成」を生きてきたんですもんね…。「平成とは」…。僕としては、個人的なことですけど、うーん、やっぱりその「平成の怪物」って、やっぱりその時代の…。何て言ったらいいですかね。(自分のニックネームに)元号が付く人って多分そんなにいないと思うので、そういう意味ではすごく光栄なことだったんだなって思いますね。他に(元号が付く人は)いるのかな。
 まあ、平成になって10年たって、僕がこう「平成の怪物」として…。だから、最初に付けてもらった人に感謝ですね。よく考えたら、すごいことだなってと思いますね。
 そうだ、よく考えたら、自分で言うのも何ですけど、すごくありがたいフレーズを付けていただいたんだなって思います。何て言ったらいいのかな(笑)。
 たまたま僕に付けられちゃったからなあ…。「平成の怪物」…。他のジャンルでいるのかな。すごいことですね、すごいことだったんだな。
 当たり前のように言われてきましたけど、やっぱり平成がなくなるということを考えたときに、元号の付いたニックネームがあるっていうのは、すごいことだったんだなって思いますね。
―1980年生まれで、いわゆる「松坂世代」の野球界以外の方たちへのメッセージを。
 うーん…。あのー、先ほども言ったんですけど、同世代のお父さん、お母さん(になっている人)たちから、僕が(プロ野球選手を)続ける姿を見て「(自分たちも)頑張ります」とか「応援しています」と言われるんですが、みんな一緒に頑張っていきたいというんですかね、そう言ってくれる同世代の人たち、お父さん、お母さん(になっている人)たちとみんなで頑張っていきたいなって思いますね。
 だから本当に、今年の自主トレーニング、春季キャンプで今までは接点がなかった人たちに会うこともあって、これだけ同世代の人がまだ見てくれているんだって改めて思いましたし、その人たちのおかげで僕はまだまだ頑張らなければいけないって思わされたので、僕が続ける姿を見て頑張れると言ってくれたので、そういう人たちのためにも、まだまだ僕が頑張っていきたいですね。
―37歳だが、まだまだ現役選手としていけると思うが。
 あれですね、どう健康な体を維持していくか、その健康を維持することができれば、(今まで)長くやってきてそれなりに経験というものがあるので、それを使ってうまく打者を抑えていけるんじゃないかなと思っているんですけどね。
―高校の同級生とはけっこう集まるか。
 集まります。東京に行く機会があれば飲みますし。(同級生が)出張で福岡に来たりとかあったので。それで一緒にご飯食べて飲んだりとか。
―全員で同窓会とかは。
 それは(頻繁には)ないですけど、それは年に一回、集まれる人で集まろうと言って14、5人集まって、ご飯食べて飲むこともありますね。
―当然話題は「あの夏」のことか。
 毎回、一緒ですね(笑)。毎回一緒です。毎年同じ話をしているなって、集まると毎年みんなで言ってます。やっぱり高校時代の話が多いですね。あとは、けちょんけちょんに僕が言われます。
―具体的には何と。
 「しっかりやれ」ということです。「俺たちの代表だろ、しっかりやれ」って言われますね。(2018年5月配信)



 
竜・松坂が使用で注文殺到!「RYU」のグラブとは… すべてオーダーメードで半年待ち
http://www.zakzak.co.jp/spo/news/180522/spo1805220009-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop
今季すでに2勝を挙げ復活への道を進んでいる中日・松坂大輔投手(37)の左手に、見慣れないデザインの青いグラブがはめられている。

 松坂は今季登板した公式戦5試合中4試合の舞台が本拠地ナゴヤドームだが、その全てで無名ブランド「RYU」の、青地に赤の縁取りのグラブを使用。東京ドームでの巨人戦(今月13日)だけは別のメーカーの物を使い、練習では専ら「RYU」の紺色のグラブを使用している。

 「RYU」は岐阜県在住の職人が制作しているブランドで、スポーツ用品店「ますかスポーツ」の五十住(いそずみ)友昭氏が販売している。五十住氏によると、松坂は熱烈なファンからプレゼントされた「RYU」のグラブを気に入り、これをきっかけに今年3月から使っている。

 松坂はグラブに強いこだわりを持っており、ソフトバンクに在籍した昨年は4社のものを試した。ほとんどの投手が1シーズン同じグラブで通すのに対し、松坂は西武時代から複数のグラブを試合によって使い分けていた。…

 「RYU」はプロ野球選手と契約することも、テレビCMや新聞・雑誌広告を打つこともしていない。それでも評判は口コミで広がり、同社には「本物は本物を選ぶんですね」とユーザーからの声も寄せられているという。

 当然、松坂が使用したことによる宣伝効果は絶大で、「お客さまからのお問い合わせや反響は大変多いです」。松坂と同じグラブがほしいというファンからの依頼も相次いでいる。

 オーダーメード品は、現在は半年待ちの状況。実物を見たいと宮城から車で14時間かけて岐阜の店を訪れた人もいたとか。

ドラゴンズのユニフォームに合う、赤い縁取りの洒落た青のグラブ(⬇) 上の5/20の写真(↑↑) も






 
GLOVE STUDIO RYU のInstagram
https://www.instagram.com/p/Bdhf3_Qg0Xl/?utm_source=ig_embed
 
注文できる”ますかスポーツ”
http://www.masuka-sports.com/

 
https://bbcrix.com/articles/70866/original
2015年のUー18日本代表に選出された、県岐阜商高時代の高橋純平(現・福岡ソフトバンクホークス)が同大会で使用するなど、数選手のモニタリングを経て、2017年から一般向けの販売も開始。現時点でプロの公式戦での使用者はいないものの、先述の高橋純平やUー18で高橋とチームメイトだった千葉ロッテマリーンズの成田翔らが練習で使用している(試合では、高橋はアンダーアーマー、成田はミズノを使用)。
 
SB高橋純平も使用!「glove studio RYU」がクソほどカッコいい件
http://tabiyasha.jp/ryu/
 
松坂大輔のグローブが変わりすぎてる?メーカーはどこ?
http://tabiyasha.jp/ryu/

RYUのグローブは、「GLOVE STUDIO RYU」というメーカーが製作しています。
RYUとはやはり「龍」のことらしく、職人さんの名前から取られているようです。
エンブレムも龍のデザインを模しています。
RYUには公式カタログがあり、プロに限らず、アマチュア選手でも野球好きのマニアでも、だれでも注文できる「スペシャルオーダーシステム」とのこと。
カタログによると、RYUは何と一人の職人さんだけで、すべての工程を作っているそうです。
右投げ・左投げ用、大きさ、カラーなど実に17にわたる部分を顧客が細かく選ぶ仕組みになっており、ほぼ自分だけのオリジナルグローブを作ってもらえるようです。
グローブは牛皮をいくつも縫い合わせてつくるため、色もそのパーツごとに変えることができるようです。
カラーも10種類以上用意されています。
こうした手の込んだつくりを一人で仕上げていくため、注文から完成までには土日を除き30~45日もかかるそうです。
RYUのグローブは、岐阜県のスポーツ用品店「ますかスポーツ」だけで取り扱っているそうです。
相当レアな「変わりすぎ」グローブですが、松坂大輔投手のほか、何人かのプロ野球選手も愛用しているとのことです。