「精神科医がカウンセリングに5年間通った話」
まだ続いています。
今日で6回目。
これまでの話↓
*カウンセリングやセラピーという言葉はいろんな場面で使われます。
私は、やや狭い意味で、臨床心理士が行う心理療法を指して、上記の言葉を使います。セラピストという言葉も、臨床心理士と同義で使います。*
カウンセリングルームに5年通いました。
5年のうち、大きく分けて、
前半は安定化とEMDR
後半は自我状態療法とスキル習得
が行われました。(私の認識では。)
最初の2-3年は週1、残りは2週に1回通いました。
その間に長女を出産しました。
育休中は長女を連れて、カウンセリングに通いました。
長男妊娠中に終結しました。
何年も通うので、その間にライフステージは変化していきます。
前半、最初の方はあんまり効果を感じませんでした。1年経って終結の話題が出た時は、正直、かわった?って感じでした。
それなりのお金と時間を使ったので、また多分変わったんだろうと納得しようとしていましたが、あまりピンときていませんでした。
変わってきたかも、と思い始めたのは、カウンセリングを受けて2年くらい経った頃。
長女出産後です。
子育てが始まると、自分がもらえなかったもの、されてきたことを思い出すこともあり、心が揺れるときもありました。
夜中に、叩かれたこと、蹴られたこと、無理矢理されたいろんなことを思い出し、隣で寝ている長女を見て、
なんで、この子はこんなに大切にされていて、これからも多分大切にされるのに、私はあんな風に扱われたんだろう
と思うこともしばしば。
そういうときに、カウンセリングでそれを話して、悲しいけれど、
理由なんてないのだ
と泣く。
何回も何回も、そういう作業を繰り返しました。
悲しさは消えないのだけれど、諦めがついてきたというか、悲しいねと感じながら仕舞っていく感じでした。
そうやっているうちに、自分が持っているもの、与えられてきたものにも目を向けられるようになっていきました。
仕事での相談事も、スーパーバイズではないのだけれど、自分の相談の範囲で話して、指導医とはまた違う目線でアドバイスをもらっていました。
それで、なんとか仕事も続けられました。
そのときもしカウンセリングを受けていなかったら、虐待していたかもしれないし、仕事も続けられなかったかもしれないです。
カウンセリングを始めて3年経った頃から、日記を書くようになりました。
それまでも書こうとしていたけれど、自分しか見ないのに、正直な気持ちを書けずに、やめてしまうことを繰り返していました。
3年経った頃の日記を読み返すと、文句とか、怒りとかを書けるようになっていて面白いです。
それに伴ってか、普段の生活でもカウンセリングでも、泣くことが減りました。
(まだ続きます)