ANDYのブログ(不動産日記、思い、感じる事etc.) -398ページ目

日本に帰ってから

 家族とのカリフォルニア観光を終え、日本に帰り、1~2週間後に合格通知が来ました。しかし、カリフォルニアに行こうとしていた私に対し家族の大反対が起きたのです。もともとアメリカの大嫌いな妻を今回カリフォルニアにつれて行き、良い所を
見てもらおうと思ったのですが、それが逆効果となり大変な事態になってしまいました。私は悩みましたが、結局スタートは日本で就業する事にしました。
その理由の一つは、これまで勉強して来た事が、日本の不動産業界でも、新しいビジネススタイルとして受け入られ、ニーズが増えていく事を知り、既に普及しているアメリカで仕事
するよりも、今後成功して行く可能性が高いと判断したからです。
アメリカで修行して日本に戻ってという考えもありましたが、グローバル化により
時代のスピードは格段に早くなっており、それでは手遅れになると思いました。

ブローカーライセンスは、合格後1年以内にビザも含めて取らないと取得権利を失ってしまいます。結局ブローカーライセンスの取得は断念する事になりました。


続き18 ロサンゼルスの地下鉄


 日本の地下鉄では、常に多くの人が利用しており、改札も駅員が常時いる様な状況で危険さを感じた事は余りありませんが、私が駅の改札に向かう階段を降りるとそこは暗闇で、その暗闇の中に体の大きい浮浪者がタムロしており、駅員や乗客もおらず、その奥のホームにわずかな灯りが燈っているだけでした。私は急いで自動販売機でキップを買いホームに行きベンチで座っていましたが、ホームには、乗客が誰も来ず、自由に出入りできるホームの向側で浮浪者が蠢いているのを見て、殺気を感じ、急いで駅から出て電車の出発時間まで地上の明るい所で待つことにしました。電車の出発時刻が近ずき、電車が進入して来ると乗客が集まりだしほぼ満席で発車しました。電車は工場地帯や貧民街の様な所ばかりを通り、空港近くの駅迄行きました。30分位乗って料金は1$位だったと思います。そこからは、バスで空港に向い家族を出迎えました。

この体験でアメリカという車社会の国では、地下鉄の位置ずけが非常に低く
利用せざるを得ない人達の為に存在しているようで、地下鉄が大都市の主要交通機関となっている日本とは全く違った事情である事を知りました。

このことから、不動産の購入や紹介をする場合には、その物件の周辺事情や地域事情を
必ず確認しなければいけないことを学びました。




続き17

試験が終わると早速家に電話をしてこちらの現況を連絡したのですが、
試験で疲れてしまったせいか、私は大変なことをしてしまいました。
日本では、このころからIP電話サービスが始められ、国際通話の電話料金が大幅に安くなり
長時間かけてもあまり電話代がかからなくなっていましたが、アメリカ国内ではまだ
IP電話サービスが普及しておらず、勿論泊まっているホテルでもIP電話が通じていなかった
ことが完全に頭から抜けて、アメリカから発信して長時間電話をしてしまいました。

このホテルは、予定を変更して試験が終わった翌日にチェックアウトし、家族を呼べる
ホテルに移動したのですか、チェックアウト時に貰った精算伝票を見て、電話代が数万円に
なっており仰天蒼白になりました。

私は家族を迎えにロサンゼルス空港まで行くのに、車で行かずに料金の安い地下鉄で
行くことにしました。

ロサンゼルスの地下鉄は、日本の地下鉄とは全く雰囲気の違うものでした。

続き16

試験会場は、ロサンゼルスで行われました。日本と時差があるので、試験日の
一週間前に現地入りして、身体のリズム調整する事にしました。
カリフォルニアヘ行く事もあまりなかったので、試験が終わって家族でカリフォルニアを観光するプランもいれて、行動計画を立てました。
しかし、退職後の行き先が明確に決まっていなかったので先立つ収入のメドが
なかったので、費用を安く押さえようとして、格安旅行で有名なH社でプランを
立てました。これが後で後悔をする羽目になりました。
旅行会社からホテルを何件かリストアップされ、その中から安いホテルを
2,3件ピックアップしまして、念の為に、セキュリティーや快適性、家族旅行
でも問題ないかどうかを確認した所、旅行会社は大変人気があるホテルで全く問題ないと太鼓判を押したので、その内で一番安いホテルにしたのでした。
また、荷物も出来るだけ持ちたくなかったので、特に着物について確認したら
今の季節は、大変暖く上着はあまり必要ないと言われたので、着る物も余り準備せずに
出掛けたのでした。

ところが、カリフォルニアに着くと、セーターがないと寒いくらいの温度でした。
また、予約したホテルは街から少し離れた所で、周りには乞食がたむろしており
夜中には、叫び声やパトカーのサイレンがやたらに聞こえる場所で、しかもホテルは薄暗く
非常階段が梯子になっており、部屋も狭く、ベッドもシングルベッドしかなく
とても家族を呼べるようなホテルではありませんでした。

とりあえず試験までは、このホテルから試験会場が近かったので、ここに泊まることに
しました。試験までは、試験会場のチェックと後食事以外は、部屋の中で
問題集の反復と、ポイントのチェックに明け暮れました。

試験は、午前と午後の二回に分けてありました。当日は100人位の受験生が来ていました。時間の割りに問題数が多かったので、とにかくテンポ良くスピーディーに回答をしていかなければ時間が足りないような状況でした。午前の試験が終わってホテルまで
歩いて帰ると、グッタリしてしまいましたが、少し休憩して、午後の試験では多少なれて
きた感じはありました。試験では一部計算問題が出そうだったので、公式を
試験時に配られるメモ用紙に試験前に書いていると、カンニングだと思われ、試験官に
そのメモを取り上げられてしまい、一瞬焦ってしまったというハプニングがありましたが、どうにかして試験は終了致しました。



















続き15

私の勤めていた会社の経営が近年類を見ない危機的状況に陥り、早期退職者を
募集したのでした。この会社で将来の希望が持てなかった事と、元来からの希望を
達成する転機としていいタイミングだと感じ、これに応募し、退職することにしました。

私の勤めていた職場もリストラで、事実上なくなってしまうのもあり、正式な
退職日よりも4ヶ月程早く、仕事から離れる事が出来ました。
私は、正式退職日位に行われるブローカーライセンスの試験日に受験を申し込み、それまで
受験勉強に専念致しました。

ブローカーライセンスの試験は、週に1回あり、年に1回しかない日本の宅建主任試験と比べ
再挑戦し易いものでしたが、試験に受からないと先行きが見えなかった事と
試験が嫌いな私は1回で合格するつもりで頑張りました。

4ヶ月の間、テキストの熟読と、問題集の反復練習に明け暮れました。判らない事は都度
先生に質問して理解を深めてゆきました。

ブローカーの試験は、限られた時間で問題数が多い為、問題を読み理解するスピードが
ネイテイーブと同じレベルになることも要求されました。私は、昔から英語が得意
でしたが、英語を日本語に訳して理解する癖がついていた為、読むスピードが遅かったのですが、先生から英語は英語のまま読むよう指導されました。そうする事によって
ニュアンスの誤解を防ぐ事も出来るからです。この経験は、今の仕事にも役立っています。

そのようにして、試験の日が近ずいてきました。

続き14

カリフォルニア州では、不動産業のライセンスにブローカーとセールスパーソンがあります。セールスパーソンは、日本で言う宅建主任者と同じような資格者になります。ブローカーとは、セールスパーソンをマネージメントする資格者で、言わば不動産会社の経営資格者になります。セールスパーソンは、必ずこのブローカーの下で働き、セールスパーソンによって成約した手数料もブローカーに入り、ブローカーから報酬をもらう仕組みになっています。またブローカーは、自ら買主にファイナンス(貸し付け)をすることも出来ます。

これまでは、セールスパーソンの講座を受けていましたが、この業界で生きてゆこうと
決めた私は、ブローカーライセンス取得講座に受講科目を変更しました。

ブローカーの講座では、カリオルニア州の大学で開講されている不動産学で使われる
テキストとファイナンスのテキストの二冊を中心に使いました。

アメリカでは、不動産で一つの学問が成立っています。日本で、不動産学の講義は
ごく一部の大学でつい最近始まったばかりだと思います。不動産に対する考え方が
日本と全く違います。考えがきっちりと体系的にまとめられており判り易いのです。

授業はこの本をベースに先生の講義が行われ、後は試験問題集を解くことでした。
解くといっても、四者択一のマークシート方式で、何種類もの問題をただただ繰返し
行って慣れる訓練でした。

このようにして、授業を受続けて1年が経った時、本当の転機が訪れたのでした。











続き13

不動産業についてもアメリカと日本で大変差があることを知りました。
私は不動産業については、日本の不動産業をみて良い印象を持った事がありません
でした。高度経済成長に合わせて全国で宅地開発が行われ、自然破壊されて行く一方で、たまたま持っていた土地を売っただけで大金持ちになった土地成金。知識のない
素人をだまして利用価値のない原野を売ったり、欠陥住宅を平気で販売する会社が
平然と存在していたり
更に暴力的な地上げで住人の生活を脅かし、その町のコミュニティー迄破壊してしまう、またバブル期には、情報を右から左に流すだけで一晩に何千万円の現金が入る
表層的な仕事。単なる金の亡者が集まっているいかがわしい業というイメージが
強くあり、まともな商売ではないという思いがありました。
しかし、アメリカでは不動産業は、不動産を通じ人間生活を豊かにし、社会を豊かに
するといったポリシーが確立され、不動産学という学問もあり、不動産業の最高の
資格とされている不動産経営管理士の資格者は、弁護士や公認会計士と同じ位の
ステータスであることを知りました。また不動産業は高年齢になっても十分
やっていける仕事であることも知りました。
私は、社会人になる前から将来は独立して自分で会社を興して事業をしたいと思っていましたが、このことを知りこの業界で生きてゆこうと決心したのでした。

続き12

この違いは、互いの生活文化の違いから来ていると感じました。
アメリカは、アングロサクソン族が主体となっている国です。その昔、いつも狩をして獲物を捕らえ食糧にしていた狩猟民族であり、獲物を取る時は瞬時に周囲の状況を判断し
アクションしないと獲物に逃げられたり、最悪自分が獲物に襲われてしまうと言う危険な環境で生活していた事で、スピーデイーな対応が習慣化されたのだと感じました。
それに対して日本人は、同じ場所に定住して時間をかけ農作物を育てる事で食糧を得て来た
民族であり、スピーデイーな対応をする必然性が少なかったのだと思います。
しかし、世の中がグローバル化して世界の国々との競争に勝つためには、今までの考え方を
変えなければ、自分の未来・日本の未来はないと感じました。

続き11(日米の比較)

また、物事の進めるアクションが非常に早いのです。私も前職時代にアメリカ地域を担当している時期が有りましたが、彼らからの回答要望時期が殆どASAP(As soon as possible)であったように記憶しています。このようにスピードが早い理由の一つとして、アメリカは日本と比べて敗者復活がしやすい社会からだと考えます。一旦アクションして失敗しても復活が許される社会ならすぐに軌道修正すればいいわけです。しかし、一度失敗すると復活がなかなか許されない日本の社会では、行動は慎重になりスピードは遅くなってしまいます。
下手をすれば、小田原評定のように敵に囲まれるまで何もアクションしないといった事に
なってしまうのです。私が勤めていた電機メーカーが経営不振に陥った一つの原因も
これにあったのではないかと思いました。

キッカケ 続き10

 日本でもアメリカでも法律が定められ、人々はその中で生活をしていますが
日本の社会とアメリカの社会を比べると、日本では法律を絶対的なものと考える所があり、アメリカでは、実例が優先され法律は変えれるものであると考えられている
つまり、日本の社会は、ある一定の決められた範囲内で物事を考え、
奇抜な物事や発想をする事が、あまり評価されない社会であるのに対し、
アメリカの社会では日本とは違い、奇抜(ユニーク)な物事や発想が評価される社会であり
特にカリフォルニア州は、その中でも一番その傾向が強い州で
カリフォルニアの不動産ビジネスは、そうした社会の上で発展して来たビジネスだと言う事です。