ANDYのブログ(不動産日記、思い、感じる事etc.) -399ページ目

ちょっと一息

3月になり、春も近くなりましたので、本日プログを衣替えしました。
引続き宜しくお願います。

本日、株式会社ジェイエル清水社長と、マダムkさんにご教授いただき、
新しくブログリニューアルしました。

キッカケ続き9

私は、平日どうしても時間が取れなかったので、土曜日の授業だけを受けました。
常時10人前後の方が受講しており、学生や、外資系金融機関に勤務されている方、
また、現役の不動産屋さんもいました。飲物の持込が自由で、今までの雰囲気とは違って
自由な雰囲気の授業でした。

最初に受けた授業は、セールスパーソン向けの授業でした。
セールスパーソンとは、日本の宅建主任者のようなもので、このライセンスがないと
不動産の仕事が出来ないというものです。

先生は、詳細の内容を説明する前に日本とアメリカでの物の考え方が全く違う事を述べ
まずアメリカの物の考え方を理解するように教えられました。
例えば、警察に追われている泥棒が目の前に立入禁止の立て札がある芝生に出くわした時、
日本の泥棒は、そこで立ち止まり捕まってしまうが米国の泥棒はその芝生に入り逃げてしまうというものです。

皆さん理解出来ますか?。



キッカケ 続き8

私は、この一言に一筋の光明を感じました。

大学卒業後、電機メーカーに就職して十数年働いてきました私はもともと
サラリーマンには向かない気質で、且つ組織が肥大化した歴史の長い会社で古い体質が残り、村社会のような職場の中で業績も悪化し、周りの人達が自分の保身だけを考えるような所で、この会社の将来への希望を全く失っていました。

”ここで、勉強をして明るい未来にしたい。”私はここで授業を受ける事にしました。

キッカケ 続き7

先生は、H.P.の写真とは違い、普段着を来てラフなスタイルで学校の先生とは思えない様な感じで、あまり緊張せずに話しが出来ると思い私は素直に就職してから
これまでの経緯と自分の現状にゆきずまっている事を話しました。

すると先生は、自分の履歴を話し出しました。先生は日本の大学を卒業後、化学会社に
就職をして、その後アメリカのカリフォルニア州で化学工場を立ち上げ大成功をして一財を
築いたが、先行きに不安を感じ工場を売却してフリーの身になり、そこで工場立上時に覚えた不動産の知識を活かしてビジネスをしたいと思い、不動産ブローカーになる事を目指し合格したが、結局その間仕事をせず贅沢な生活をした為、全財産を使い果たし日本に戻る事になった。日本では最初に賃貸不動産屋を開業したが、年収で200万円しか上げることが出来ず。不動産屋は諦めて、これまでの経験から体得して来た事を通じて新しいビジネスマンを作りたいとの思いで、この学校を始めたとの事でした。

その当時、日本はバブル崩壊、阪神大震災が発生、その後長期信用金庫や銀行が
相次いで倒産したり、これまでつぶれるとは予想だにしなかった大企業が倒産するような日本経済がどん底の時期でした。

そのような世の中で先生は、これから必要となる人材、成功する人材は今迄のように
決められたレールの上に乗ってうまくやれる人材ではなく、能動的に自分のレベルUPを
行い、自ら自分の道を切り拓いて行く人間であると言われました。

キッカケ 続き6

建物の3階の住人の玄関をかねた入口のドアを開けてそのまま階段を上がった所に
ありましたが、そこは事務所を改造した寺子屋の様な所でした。
部屋内が見えない二つあるドアの内一つを開けると狭い事務所に先生がいました。
この学校に先生は一人しかいませんでした。

不動産業界に転職したキッカケ 続き5

今迄の資格学校のカリキュラムは、試験日までに年間のカリキュラムがきっちりと
決められ、受講期限は試験日迄で、若し試験が不合格であったり、途中で挫折して
最挑戦するのであれば再度授業料を払って再受講しなければなりませんでした。
しかし、この学校ではいつでも・どこからでも受講開始日は本人が決めることができ、
一旦受講料を払うと、試験合格迄は勿論の事、さらに試験合格後も受講ができるというこれまでの資格学校ではお目にかかれなかったシステムでした。これであれば、途中
何らかの事情で参加することが出来なくなっても、授業料を払いなおさずに、受講を
続ける事が出来、仕事を持ちながら勉強する身にとってはかなり受けやすい
カリキュラムになっていました。また、ここで教えている内容・勉強方法を習得すれば
アメリカの海外資格試験に今迄よりも時間・金銭をかけずに取る事が出来るという
内容でした。私は、これを見て興味と半身半疑な気持ちをもって、この学校を
たずねる事としました。
そこは、外から見ると看板がかろうじて掛かっておりこんな所に学校が本当に
あるのかなというような古ぼけた建物の一角に有りました。

不動産業界に転職したキッカケ 続き4

検索キーワードを海外資格でエンターしました。
すると今まで聞いたことのない資格の項目を発見したのです。
何か興味を持ち、クリックすると、アメリカのカリフォルニア州の不動産ブローカーライセンスを
取る為の学校のサイトでした。冒頭のページは、校長の写真とコメントが
載っており、どこにでもある資格学校のサイトと比べても決してパットしないデザインでしたが、しかし、学校の方針やカリキュラムの内容は、私がイメージしていた
これまでの資格学校とはかなり違った大変目新しいものでした。

不動産業界に転職したキッカケ 続き3

CPAを諦めたので、再び興味を引くようなものを探し始めました。
検索画面にキーワードを入れると、瞬時に自分の欲しい内容に関係したデーターが
一覧でき、数時間の間に莫大な情報を入手する事ができました。
これがなければ、入手できた情報量はごく限られたものしか得られませんでした。
この時にインターネットは本当に便利なものだと感激しました。
そのおかげで、インターネットがなければ出くわさなかったであろう、興味の引いたサイトに
出くわしました。

不動産業界に転職したキッカケ 続き2

まず、CPAの資格学校のカリキュラムと合格率を調べました。するとかなりな時間と
授業料を支払って、合格率は非常に低い事が判りました、しかもアラスカ州だとか
ハワイ州だとか、競争率の低い所で受験する事を薦めていました。
アメリカは、各州毎に試験があり、アラスカ州で試験に合格しても、アメリカ全体で
通用するというわけでなく、他の州で仕事をしたければその州の試験に合格しなければ
いけない事が判りました。アラスカ州で試験に合格してもアラスカ州でしか
仕事ができない、つまりアラスカ州のような所で合格しても、会計士の仕事は
殆どないのです。当然、日本では、日本の公認会計士の資格しか通用しません。
そう言った理由で、結局多大な労力と時間をかけても挫折される日本人が多いという
現実を知り、CPAは諦める事にしました。

不動産業界に転職したキッカケ 続き

まず、思いついたのはCPAでした。その理由は、大学時代に会計関係のゼミを専攻
していた事と入社して約4年間経理部で仕事をして、実務経験があり、
スタートがし易いと考えたのと、仕事で英語に慣れており、やはり海外の資格が
格好良く見えたからでした。そこで早速、当時まだ高かったノートパソコンを買い、
インターネットを通じてCPAの資格学校やCPAの実情を調べる事となりました。
しかし、CPAの現実は、イメージしていたのとは全く違ったものでした。