映画-CAN -25ページ目
<< 前のページへ最新 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25

マイ・ブラザー

韓国四天王・ウォンビン。彼は脚本選びがうまいと思う。

「ガン&トークス」「ブラザー・フッド」そしてこの「マイ ブラザー」
どの作品も正直面白いと思った。
ビデオメーカー
ガン&トークス
ジェネオン エンタテインメント
ブラザーフッド プレミアム・エディション
兄は生まれつきある障害があった。夫を亡くした母は兄の手術費を稼ぐため金の鬼になった。
母は体の弱い兄を溺愛し、体が丈夫な弟は欲しい物さえ買ってもらえなかった。
弟は喧嘩ばかりして母を困らせた。
弟は、勉強が出き母に愛される兄に嫉妬した。
兄は、自由で力強くて男らしい弟を羨ましがった。
そして二人は恋もした。やがて別々の道を歩き始めた。
しかしその先に待ち受けていたものは……

兄弟(姉妹)がいる人は誰もが一度は思った事があるのではないだろうか。
自分は兄弟(姉妹)より親に愛されていないのではないか…

愛されたい…僕はここにいる。僕を見て欲しい。
若き日々、この抑え切れない感情をウォンビンは見事に表現している。
裏腹な心と言葉。彼は目で演技する事が出来る数少ない俳優だ。
彼の目には真実が見える。言葉とは違う本当の心の声が。
どうも私はウォンビンの涙に弱いようだ。

そして弟と対象的な兄。兄は母に溺愛されたいわけではない。
兄は母や弟を守りたいのだ。強くなりたい、兄は叶わぬ願いを抱く。

兄を演じるのはシン・ハギュン。
「ガン&トークス」ではクールな殺し屋を演じている。
同一人物とは思えない壊れそうな心をの兄を見事に演じている。

ウォンビン。兵役に行って暫く見れない事がとても残念だ。
しかしきっともっと素敵な俳優となってかえって来てくれると
信じている。


(2004年・韓国映画)

(芝田 佳織)

星になった少年 Shining Boy & Little Randy

象はどんな遠くにいても仲間の気持ちや危険を察する事が出来る。
人間はこんなに近くにいても気持ちを伝える事が出来ない。
だから僕は象になりたいんだ……

柳楽優弥……第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門ノミネート最優秀男優賞受賞。

彼ほど目力のある俳優はそういない。
将来映画界を背負っていく存在になろう事は誰もが疑わない事実だ。
その彼が演じるのは日本で初めて象使いになった少年。
実話を元に作られた作品だ。

タイでは象(白象)は仏様の前世だったといわれている。
だから象は神のようにあがめられているのだ。

象は確かに神秘的な存在だと思う。象は本当に涙を流す。
まるで愚かな人間を悲しんでいるかのように。

哲夢の家は動物プロダクションを経営。
両親は再婚で、動物臭いと学校では苛められている。複雑な家庭、孤独な心。
そんな時、小象ランディが家にやってくる。
ランディを一人前の象にするため象使いの修行を受ける事を決意し、哲夢は一人タイに旅立つ。

通じない言葉、よくわからない奇妙な食事。
そして何よりなかなかなついてくれない象のファー。
帰りたい、でも帰るわけにはいかない。
言葉はいずれ話せるようになる。
でも一生懸命頑張っていたら言葉以上のものが生まれる。人の間にも、象との間にも…
そして日本に戻りランディーを育てていく哲夢だが……

ランディを厳しくしつける哲夢に母親は言う。
「ランディがかわいそうじゃない」
「愛するだけじゃ駄目なんだ。もしランディが誰かを殺してしまったら?その時、誰が守ってあげれる?
そのためにはルールが必要なんだ」

現代の親には耳が痛い言葉じゃないかな。
可愛がるだけじゃ駄目なんだ。
厳しくても正しい事を教えていかなくちゃ結局その子を守ってあげられなくなる。
だから目を背けちゃいけない。
どこまでも向かいあわなければならない。
それが本当に愛することになるのだと。

最初から結末も披露されている映画。
それでも泣ける。
それは孤独な少年、哲夢の気持ちが痛いほどよくわかるから。
象ランディーのかわいさだけに頼らない
家族の心を是非見て欲しいと思う。


(2005年・日本映画)

(芝田 佳織)

恋する神父

「デオ・グラシアス…」=「神よ、感謝します」

その言葉にはもう一つの意味がある。
恋人達が使う暗号。人に聞かれると恥ずかしい。でも伝えたい。
だから「デオ・グラシアス」… 「(たとえ、どこで、どんな姿でいても)あなたを愛しています…」

真面目で気弱な神学生、ギュシク。
神に仕えることを夢見ていた彼の前にアメリカ帰りの奔放な娘・ボンヒが現れる。
ガサツで勝手な彼女のせいで退学の危機を迎えるはめになった彼は神父より苦行をしいられる。
「ボンヒに洗礼をうけさせろ」
その使命によりいた仕方なくボンヒに近寄るギュシク。
しかし本当の彼女は意地っ張りで強がりで、泣虫で心の優しい女の子だった。

ギュシクの胸に初めて芽生えた想い。
「デオ・グラシアス」…

神に仕える、それは生涯独身を通す事。
一人の人を愛してはいけない。
彼が神父となる「聖職授任式」は目の前に迫っていた…

女性にもてる男の条件。それは

弱いだけの男<強いだけの男<人前では強く自分の前だけは弱い男

じゃないだろうか?
クォン・サンウはまさに女性が最もほっとけないタイプの
「人前では強く、自分の前だけは弱い男」がよく似合う。
普通183センチの筋肉男が泣くと「怖い」「キモイ」と思うはず。
なのにサンウは「かわいい」「抱きしめたい」なのである。

「弱さ」
今までの俳優はどちらかと言えば隠してきた要素。
ヒーローのように強く、たくましくどんな時にもへこたれない。
しかし今求められているのは「弱さ」を演じられる俳優。
人はいつも強くいられるわけではない。
ロボットやクローンにはない「弱さ」
そこが「人間らしさ」、「愛すべきもの」なんだと思う。

サンウには「弱さ」がある。そこが彼の最大の魅力だ。
監督のホ・インムも彼を抜擢した理由としてこう語る。
「明るくいたずらっぽい面もあれば、憂いや翳りも漂わせるこどが出来る二面性に惹かれたから」と…

脚本は「冬のソナタ」のユン・ウンギョン。
「冬ソナ」の時もポラリスのネックレスがとてもうまく使われていた。
今回もすごくうまいなと思った小道具がある。
それはギュシクが「一番愛する人を入れなさい」と父に渡されたロケット。
はじめは両親の写真が入っていた。神学生の現在は神の絵が…そして愛してしまったボンヒに贈った時、
そのロケットの中に入っていたのは?
これはボンヒの写真、なんかじゃない。
中身は見てのお楽しみ?でもそこがうまいんだ、とっても…。

恋をしてはいけない人が恋をしてしまう話。
そう書けばよくある話だと思う。
大体そんな話はラストがわかりきってしまう事が多い。
でもこの話は最後の最後まで「どうするの?どっちにするの?」と思わせる。
簡単な話だからこそ力がいる脚本。
ラストまでひっぱるその力に「勉強になります!」と脱帽の一言である。


(2004年・韓国映画)

(芝田 佳織)

ロボッツ

「誰にでも輝くチャンスはある」
「夢を諦めるとその夢は一生自分を苦しめる」

これらの言葉は『だから夢を諦めるな』という言葉が後に続くと思われる。

「夢を諦めるな」

とてもシンプルな言葉…
しかし大人になると最も実行できない言葉…
だから子供達に最も伝えたい言葉…じゃないかな?

この作品が世界中で大ヒットした、と聞くとまだ人間も捨てたものではないと思える。
「新しいものが一番」と、どんどんアップグレードされていく現代で
家族の大切さ、思いやる心、勇気…
決して古くならないものもあるって事を知って欲しい。
そして壊したり、なくしてしまうと簡単にアップグレードできないものもあるって事を…

とてもシンプルな映画だけど、シンプルでいいんだと思う。
そのシンプルな事が一番大切な事なのだから。

監督はアカデミー賞最優秀短編アニメーション賞を受賞した経歴を持つ、クリス・ウェッジ。
「アイス・エイジ」の時はちょっと人間の顔が怖かったので子供が見るアニメとしたら
ロボットを主役して大成功じゃないかな。
相変わらず脇キャラがとても動きがあってうまいなって感じがする。

余談であるが最近、よく映画館で観る俳優といえばダントツ「モーガン・フリーマン」
と思っていたが「ユアン・マクレガー」もすごい事を発見。
「エピソード3」「アイランド」そしてこの「ロボッツ」の主役・ロドニーの声優。
ユアンはそう目立つ俳優ではないが何でもこなせるマルチ俳優として地位を確立させつつある。

可愛い子には旅をさせろ…
というがまさにロドニーは旅に出て成長していく。
そもそも発明好きな設定が物語りの伏線になっている。
大人になるとその発明は出来なくなるんじゃなくてしなくなる。
「人には限界がある。現実を見ろ」なんて言葉を知ってしまうから。

でも可能性は無限大だと信じれる、そんな大人もいていいんじゃないかな?
私はこの作品を観てまだまだ頑張ろう、そう思えたから。。。

(2005年・アメリカ映画)

(芝田 佳織)

アイランド

“「アルマゲドン」「パール・ハーバー」の”、というより、“「ザ・ロック」の”マイケル・ベイ監督最新作という事で、心待ちにしていた「アイランド」。
大作を得意とする監督の力技がプラスに働き、ラストまでテンションを落とす事なく、一気に見せてくれた。

大気汚染が進んだ近未来の地球。
わずかに生き残った人々は、安全が確保されたコミュニティで、管理された生活を送っていた…。

そう、ホントに何もかもが管理されているのだ。
朝起きたらいきなり部屋の壁に、「○○をしなさい」と指示が映し出される。
トイレで用を足したら、それがそのまま尿検査になっている(これは便利だな)。
服は、お揃いの白のツナギ。
こんなスタイル丸分かりの服、御免こうむりたいよねぇ、まったく。

皆の望みは、最後の楽園「アイランド」の移住者に、抽選で選ばれる事。
移住話に潜む怪しさに、ただ一人、リンカーン(ユアン・マクレガー)だけが勘付き、次の移住者に選ばれたジョーダン(スカーレット・ヨハンソン)と逃亡を図る。

ここからはサスペンス的な要素に加え、アクションも加速!
「スター・ウォーズ」のスピーダー・バイクのような乗り物を操り、追っ手から逃れようとするシーンは、必ず大画面で見ておくべき。
思わず「ユアン、フォースを使え!」と叫びたくなってしまう(よっ、夏の大作ひっぱりだこ!)。

ビジュアル・エフェクトはもちろんスゴイけど、案外、オーソドックスな映像部分での頑張りが見えたのも好印象。
コミュニティのシーンでは、細長く続く廊下のショットを多用し、どこまで行っても出られないような閉塞感を演出。
転じて、リンカーンとジョーダンが逃亡してからのシーンでは、二人を下から仰ぐショットで、バックに青い空の拡がりを強調する事により、開放感を感じさせる。
LAの高層ビルのガラス窓にも映り込んでいる青い空は、かなりのインパクト。
監督のこだわりが有ったんじゃないかなぁ。

それにしてもスカーレット・ヨハンソン、良い女優になったもんだ。
子役時代、これほどのベッピンさんになると予想した人、いる?
あらゆる年代の俳優を相手にしても、しっくり来るのもスゴイ。
トム・クルーズからサイエントロジーにしつこく勧誘され、「MI:3」のヒロインを降りたという噂を聞いたが、彼女ならそれくらいどうって事ないだろう。
今やそれだけの勢いを感じる女優だから。

(2005年・アメリカ映画)

(川口 桂)

奥さまは魔女

ニコール・キッドマン。38歳。
彼女ほど離婚して輝いた女性はいない。(トム、ごめんね)
そう思っていたのに「奥さま役?」
私のそんな心配は無用だった。
ニコールが演じるのは「奥さまは魔女」の リメイク版・サマンサを演じる女優・イザベル(本当は魔女)。
「魔女役の女優が実は本当の魔女だった!」という設定なのだ。

イザベルは「普通の恋がしたい。魔法に頼らず『君が必要だ』と言ってくれる男性とめぐりあいたい」と魔界から降りて来る。

仕事も家庭も崖っぷちの映画俳優、ジャックは「奥さまは魔女」のリメイク版、ダーリン役で再起を図っている。自分を際立たせる為にサマンサ役に無名な女優を探していた。
そしてイメージにぴったりのイザベルと出会う。
「君が必要だ!」
そのジャックの言葉にイザベルの心は動かされる。
劇中で夫婦役を演じながら段々接近していく二人。
魔女と人間の恋はうまく行くのか??

監督は「恋人たちの予感」「めぐり逢えたら」「ユー・ガット・メール」のノーラ・エフロン。

この作品の素晴らしさは「キャラクターの面白さ」に尽きる。
ウィル・フェレル演じるジャックのアホキャラに
マイケル・ケイン演じる女たらしの魔法使いパパ。
シャーリー・マクレーン演じるド派手な大物女優。
そして実際のサマンサと同じ「クララおばさん」と
「アーサーおじさん」を持っているイザベル。
これらのキャラが織り成す会話だけで笑いが止まらない。

「魔法があれば全て叶えられる?」
その答えとなるべきイザベルがパパに言う台詞があった。

「涙を止める魔法はないの?」
「それはないんだよ」

魔法を使って相手を自分の方に向かせても
それは本当の自分を愛してくれているわけじゃない。
じゃあどうすればいい?

「将来、サマンサになりたい」 そう思った女性は多いはず。
でも魔女には魔女の悩みがあり人とそう変わらないのかもしれないぞ?
魔法なんかでうまくいったら恋愛なんて面白くないじゃん!って思えるこの作品。
是非是非ご覧あれ。

(2005年・アメリカ映画)

(芝田 佳織)



人気テレビドラマ「奥さまは魔女」が、この夏、映画版になって帰って来た。
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
奥さまは魔女 1st Season DVD-BOX


もし私が男だったら、サマンサみたいなお嫁さんが欲しいなぁと思ったものである。
ヒロインのサマンサは、女性としての可愛らしさを、いっぱい持ってるキャラクター。
エリザベス・モンゴメリーは、まさにハマリ役だった。

これだけ一人の女優のイメージが定着してしまった役をやるとなると、白羽の矢を立てられた女優も大変だ。
果たして、クール・ビューティのニコール・キッドマンに、サマンサ役が務まるのだろうか?
ニコールで魔法物と言えば、サンドラ・ブロックと共演した「プラクティカル・マジック」なんて駄作も有ったなぁ。
何だかマイナス面から入ってしまったが、観る前のこんな疑念は、「なんだ、ニコールってラブコメもいけるんじゃん」という感想に変わる事になる(メグ・ライアンが10歳若かったら、こんなニコール見られなかったかも…)。
それまでのイメージを覆す、実にコケティッシュな演じっぷり。
役者だから当たり前なんだけど、喋り方まですっかり違っていたし。

相手役のウィル・フェレルは、「サタデー・ナイト・ライブ」出身のコメディアン。
今思えば、なのだが、私が彼を初めて見たのは、5年前の大統領選のさなかにやっていた、ジョージ・ブッシュ候補のモノマネだった。
ブッシュのおバカっぽさを見事に再現していて、芸達者である事は、すぐに分かった。
しか~し! ベン・スティラーのように、本国ではマネーメイキング・スターだけれど、日本ではイマイチ…って雰囲気もプンプン漂っている。
彼の今後に注目したい。

さてさて、テレビ版のファンにとっては、リメイク版は満足のいく仕上がりになっているのだろうか?
これは私の意見だけれど、シャーリー・マクレーンが期待したほど活躍の場面を与えられていない事や、クララおばさまのトボけた味が出ていなかった事、隣り夫婦のキャラクターがオリジナルの足元にも及ばない事など、小さな不満が幾つか残った。
だけど、ちょっとしたくすぐりが随所にちりばめられているところは、さすがノーラ・エフロン監督、手堅いよなぁ。

(川口 桂)

アマロ神父の罪

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
アマロ神父の罪
聖職者と呼ばれる人々は、紛れもなく清らかなのだろうか?
自らを神の僕(しもべ)だと言う者は、一切の邪念に惑わされる事も無いのであろうか?

メキシコの田舎町に赴任してきた、若き神父アマロ(ガエル・ガルシア・ベルナル)。
彼は、神父にも婚姻が認められるべきだという思想を持ちながらも、司教に特別に目を掛けられるほど将来を嘱望されており、神に仕える事に悦びを覚えていた。
まるで罪など知らぬかのような人生。
それが一変してしまうとは…。

寄付金を利用した汚職に加担している神父や、ゲリラ活動の疑いを持たれた神父。
彼が選んだ世界に見え隠れする罪悪。
そんな中、アマロは敬虔な娘・アメリアと出逢い、二人は互いを求める欲望に身をまかせてしまう。

宗教とは縁遠い私の解釈では、アマロが神父の立場を忘れてアメリアを愛してしまった事は、それほどの罪ではない。
それは、これから起こる事件の引き金に過ぎず、彼女を愛した結果、アマロは自分を試される局面を迎え、罪とは何なのか、身をもって知る事になるのだ。

この物語は、困っている人々を助けたい一心で神父になったアマロの、あまりにも皮肉な結末を描きながら、人間全般が罪深い生き物だと示唆しているように思える。
彼を取り巻く人々のどこかしらに、必ず闇の顔が覗いているからだ。
完璧な人間など、この世にいない。
邪(よこしま)なものは、入り込める機会を常に窺っていて、隙あらば取り憑こうとしているのだ。
神父だから、信者だから罪深いのではなく、誰もが犯しかねない罪が、ここには有る。

(2002年・メキシコ映画)

(川口 桂)

チョ・スンウは韓国のトム・ハンクスだ!

何をいきなり?な発言、お許しあれ。
しかも、彼の出演作は「ラブストーリー」「H[エイチ]」しか観ていないのだ。
お許しあれ。

韓国のアカデミー賞で主演男優賞を受賞したスンウの姿を見て、フッとそう思った。
新作の「マラソン」もまだ観てないけれど、予告編を観る限り、主人公がフォレスト・ガンプっぽく見えるからかなぁ?

ホントに何の根拠も無いが、何故かそんな雰囲気を感じてしまう。
トム・ハンクスって、笑いの中にもホロッとさせるような役どころを得意としてるでしょ。
「芸達者な癒し系」のイメージ。
決してハンサムではないけれど、どこか憎めなくって、人を惹き付ける魅力が有るのが共通点かと。

「ラブストーリー」の中に、私が衝撃を受けたスンウの演技が有る。
それは、自殺未遂した親友の病室に駆けつけるシーン。
親友の婚約者を愛してしまったスンウは、彼女の前で必死に笑顔を作ってみせる。
でも、笑顔の下に哀しみが滲んで…。
こんな演技が出来るなんて、すごい俳優さんだ。
レントラックジャパン
ラブストーリー


「マラソン」での受賞は、きっと助走に過ぎないと思う。
本物のトム・ハンクスに負けないぐらい、いろんな賞を獲っていくんだろうけど、それを超えたところで評価されるような俳優になれるのか、注目していきたいと思う(なら、もっと作品観ろよ!)

(川口 桂)

フライ,ダディ,フライ

こんな台詞があった(完全に覚えてるわけではないけど) 「人間って60兆の細胞で出来ている。 そのいくつを使わずに死んでいく?」

大人になり明らかに細胞を使わなくなった。 書かなくなった。走らなくなった。 笑わなくなった。考えなくなった。 日々、同じ細胞しか使っていない。 ほんの一部の……

主人公はごく普通のサラリーマン。 妻と娘を愛しそこそこ出世できそうで、 マイホームもローンで購入した。 唯一の楽しみは娘の成長。 しかしその楽しみが奪われた。

顔が腫れるまで殴られた娘。 殴ったのは議員の息子で学生ボクシングのチャンピオン。 反省の色なし、金で解決するという お決まりの悪い奴。 許せない! しかし権力・力の前にあまりにも ごく普通のサラリーマンは無力である。

彼は相手に素手で勝つため、一人の高校生から 喧嘩の特訓を受ける事になる。 外に出る事を恐れてしまった娘をむかえに行く為。 そして、自分の誇りを取り戻すためにも。。。。

「恐怖心」。 人間は強いものを恐れる。子供の頃はデカイ奴や 悪そうな奴、目に見えるものだった。 社会人になり、恐れるものは増える。 権力、圧力、出世の断絶、風評… 目に見えないものが一番怖い。 でも岡田君扮する高校生は言う。 「恐怖心とは喜びや悲しみと同じ感情にすぎない。 そんな目に見えない(だっけ?存在しないだっけ?) ものに支配されるな!」と…… そうなんだ。 恐怖心って相手に負けてるわけじゃなく 自分に負けてる事なんだ。

主人公は、会社の送り迎えをしてもらっていた。 走るなんて数年ぶりで、最初は老夫婦の 散歩にもついていけない。 しかしノルマの5周を走りぬいた時、 1本のミネラルウォーターを美味しそうに飲んだ。 最近、水をあんなに美味しそうに飲んだことないな~ と思った。 たかが水、でもその大切さ、美味しさを 忘れていたような気がした。

いくつの細胞を使えるかわからないけど 出来る限り使ってみたい。 その為にはじっとしていちゃだめなんだよね。観終わった後、後ろで一人の女が泣いていた友達に 「えー!この映画のどこに泣くとこあった?」 としつこく聞いていた。 悪いね、私もかなりの回数&量 泣いたっちゅうねん。 その女に言いたい。 「この映画の泣くところがわからん君の 細胞はかなり死んでるで!」

マジでいい映画でしたよ。

(2005年・日本映画)

(芝田 佳織)
<< 前のページへ最新 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25