もずくスープね -9ページ目

いやな感じ 或いは、楳図かずお新居問題

吉祥寺に建築中の楳図かずおの新居に対し、「紅白ストライプ模様の建物が、高級住宅街の景観を損ねる」として近隣住民が建築工事差し止めを東京地裁に申し立てている件は、すでに皆さんもご存知のことであろう。2chによると、猛反対している近隣住民というのはたった2名だけなのだそうだが、そのうちの1人と思われる老婦人が、テレビの取材に対して「これは色彩の暴力であり形の暴力。生活を破壊し、精神を破壊するもの」と大袈裟に話しているのは、私も確認した。

また、建物の一角に、まことちゃん(というより、実は、マッチョメマンなのだが)の目をイメージした丸窓が設置される計画に対して、「あの丸窓から、毎日あの方の顔が見えるのは、耐えられません」と老婦人は別のテレビ局の取材で話していたらしい。よほどの、楳図かずお嫌いと見受けられる。

なお、楳図かずおは既に長野県にも同様の別荘を建てているが、テレビ取材によると、そちらのほうの近隣住民は、別荘に対して誰も異を唱えていないし、むしろ「けっこうではないか」とまで述べている。私もテレビで見て、どうして景観を破壊するほどの建物であるものか、と思った。

かくいう私は、その昔、マッチョメマンやまこと虫のグッズを少年サンデーの懸賞で当てて喜んだり、楳図かずおライブに足を運び「エム、エイ、ケイ、オー、ティー、オー、まことちゃん!」などと一緒に盛り上がっていたほどの、わりかしポジティヴな楳図ファンであり、「吉祥寺が駄目なら、ぜひうちの近所に引っ越してきて欲しい」とまで願う者であるから、とてもニュートラルな立場で物を言える立場にはないことは重々承知ではある…が…そのことを差し引いて考えても、吉祥寺の“近隣住民”のエゴの暴走ぶりというか、暴力的なまでの非寛容には、なんとも“いやな感じ”(by高見順)がするのである。加藤紘一代議士が実家を放火で燃やされた時に漏らした感想「とてもいやな気がしました」にも通じる、その、まさに、いや~な感じが。

その“いやな感じ”の源泉とは、表現とか創作とか思想に対して、強硬手段で弾圧を加えようとする非寛容さね。あるいは、そうした非寛容な動きに同調したり、深く物を考えぬまま妥協したり屈してしまう安易な人々が、この世の中に少なからずいるという事実ね。けっこう、私の身の回りにも、そういうこと、よくある。ま、現実的には「とかく人生しち面倒くさい」もんだからって、自分に直接的に害毒が降り注ぐこと以外の物事になんざいちいち深く係わっていられないっちゅーもんだろうけど。自分とて概ねそうだし…。しかし、そういう風潮が、ますます非寛容という名のエゴをのさばらせるってことを、反省的に常に意識しておきたいものです。

ときに、そんな騒動の起こっている吉祥寺市のお隣なり、三鷹市に一昨年作られた「三鷹天命反転住宅」に、先日行ってまいりました。2005年10月に完成したこの“分譲マンション”は、現代美術の大家・荒川修作とマドリン・ギンズが、「身体の知覚を呼び覚ます」ことを目指してデザインした、奇抜きわまる前衛建築です。
http://www.architectural-body.com/ja/  参照)。
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その一室で7/25~8/5「モーフィング展」なる服飾美術の展示会が開催され、その関連企画としてダンス公演が行われるということを「REALTOKYO」での乗越たかお氏の文章で知ったのだった。「これは天命反転住宅を味わうには最良のチャンスだ」と考え、慌てて駆けつけたという次第。私が行った日には、JOUさんというダンサーが、起伏が激しく一筋縄ではゆかない室内空間をフルに使って「ボレロ」を踊ってました。
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それにしても、原色に塗られた円筒形や球体や立方体が積み重ねられた外観は、並外れたインパクト。件の楳図かずお邸など、これに比べれば全然おとなしい。もし、これが吉祥寺の高級住宅街とやらに建てられようものなら、楳図かずおを訴えた老婦人などは卒倒しかねないね。しかも、作り手が天下無双の前衛芸術家・荒川修作っつーことで、粗雑な既成常識なんかで「景観を壊す」などと攻撃したら、それに対する理屈の反撃も怖そう…。

私は、岐阜県養老郡にある「養老天命反転地」という、これまた、荒川修作+マドリン・ギンズによって作られた公園に、行ったこともあります。不意をつく非予定調和的な刺戟に満ち溢れたアヴァンギャルド空間は、実際に怪我人を続出させながらも、生きることを前向きに考えさせてくるエネルギーが与えられると、非常に評判がよろしい。このスリリングでユーモラスな遊戯空間の成果を、居住空間として凝縮させたように見えるのが、「三鷹天命反転住宅」の室内空間なのです。室内があちこちデコボコだったり、球体ルームでは足をすべらせて頭を打ちそうだったり、トイレにドアが無かったり、などなど合理に反した室内設計なのだが、だからこそ「老人もボケない」ということだ。
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私は、そういう環境思想を大いに支持する。現実の空間・環境・建築においても、常にある種の違和感、ある種のノイズが、非寛容で暴力的な「平板化」=「管理強化」に抗っている状態が望ましいと思っている。もともと、ガウディーだとか、郵便配達夫フェルディナン・シュヴァルが築いた「理想宮」だとか、日本の幻想建築家・梵寿鋼(http://www.vonjourcaux.org/ )なんかも大好きな私であればこそ、そうした考えが脳内に根付いていることは至極当然なのであるが、なんといっても、その原点というか原風景にあるのは、こども時代に読んだ『天才バカボン』で、パパの作ったヘンテコな家である。皆さんも読んだことがあるであろう、近代的合理性とは真逆の、狂気の建築。そういえばホラー漫画家・伊藤潤二(楳図かずお賞受賞作家!)に『四十壁の部屋』(恐怖の双一シリーズ)という傑作もありまして、互須さんという謎の大工による恐怖の(狂気じみた)リフォームぶりも、痛快無比でした。もちろん、こうしたものを100%現実化してくれ、とまでは言わない。

ただ、そんな、幼心を甦らせるような、ちょっとした逸脱的建築物が時おり現実の生活空間に闖入してくることの楽しみを、強硬に拒絶する非寛容な官僚主義的社会へと世の中が進んでしまうのだとしたら、人々はどんどん生気を失い、ある者はボケてゆき、ある者はキレるという、殺伐とした時代になってゆくしかないような気がする。そんな時代の街並みは、それこそ景観としてどうなのか。息苦しく、ときめきのない、退屈な「美しさ」に支配されるだけなのではないか。

ミュージカル「SPRING AWAKENING」

このあいだの日曜日の夜(というか、日本時間では月曜日の朝)、ミュージカル「SPRING AWAKENING(春のめざめ)」が、第61回トニー賞における、最優秀ミュージカル作品賞・最優秀脚本賞・最優秀演出賞・最優秀楽曲賞・最優秀振付賞・最優秀編曲賞・最優秀照明賞・最優秀ミュージカル助演男優賞の、計8部門を制覇した。既に各種メディアで報じられているのを目にした方々も多いであろう。

この作品、実は、わたしも先々月、或る用事でNYを訪問した際に、観ている。それも、1回観ただけでは飽き足りず、本来予定していた別の観劇をキャンセルし、当日券を買って、もう1回観てしまったほどであった。つまり、短い滞在期間の中で2回観たのである(そのうち1回は出待ちをして俳優たちからサインを貰う、というミーハー的行動さえとった)。もしこれで、自分がNY在住だったりしたら、きっと毎週観に行っちゃうだろうな…というくらい、この作品の虜となってしまった。これまで少なからずミュージカルを観てきたわたしではあるが、「SPRING AWAKENING」の魅力は別格であり、現在のところ最もフェイバリットなミュージカル作品だと断言できる。



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ミュージカル「SPRING AWAKENING」は、19世紀ドイツのフランク・ヴェデキンドによって書かれた同名戯曲を原作としている。そのストレートプレイ版のほうは、例えば日本では1998年に、TPTによってベニサンピットで上演されている。この時の演出は串田和美。出演は、馬渕英里何(ウェンドラ)、大森南朋(メルヒオール)、北村有起哉(モーリッツ)、田中哲司(オットー)らであった。大森や北村はこれが初舞台だったという。これはこれでなかなか素晴らしいキャスティングだと思うが、残念ながら、私は観ていない。しかし、それが上演されたベニサンピットという会場は、なかなかに「SPRING AWAKENING」向きではないかと思った。いずれ、将来、ミュージカル版「SPRING AWAKENING」を日本でやる時が来るとしても、最初はベニサンで試演すればよい。アメリカ本国でのミュージカル「SPRING AWAKENING」も、最初はオフブロードウェイで発表されたという経緯もあることだし。

さて「SPRING AWAKENING」、そのストーリーは苦悩に満ち溢れている。性に目覚め始めるティーンエイジャーたちが、大人社会によって過酷な抑圧を受け、そこからさまざまな悲劇が巻き起こってゆく、という物語だ。ミュージカル版ではこれらが、ときに攻撃的、ときに官能的、ときにユーモラス、ときにスリリング、ときにしんみり、ときにトリッキー…といった具合に、多彩な表現でテンポよく展開されてゆくので、観客の心は少しも退屈することなく作品世界の中にグイグイ引き込まれてゆくのだ。

もし間に合えば、現地本番から5日ほど遅れの6月16日(土)20:00~22:30に、NHK BS2で放送される「トニー賞授賞式2007」を観ていただきたい(司会&現地レポートは、嬉しいことに、新妻聖子さまである!)。その中で「SPRING AWAKENING」も、4分半程度の短いパフォーマンスを披露するのであるが、作品のエキスがいい感じで凝縮されているので、公演未見の人にはうってつけである(この放送が見れない人は、手っ取り早く http://www.youtube.com/watch?v=DgkdoIz5tmE  で確認するのもよいだろう)。

それを見てくれればわかるのだが、楽曲たちが、いずれも驚くほど名曲揃いなのが凄い。さすが最優秀楽曲賞に輝くだけのことはある。サントラCDは、日本でも既にタワレコなどで購入可能なので、気になる人はぜひ入手して聴くとよい。ポップで耳によく馴染むナンバーばかりであるが、一曲一曲に緻密な技巧が埋め込まれていて、聴き込めば聴き込むほどに、味に奥行きが出てくる。みんなとても歌がうまいことにも唸らされる。中でも極め付けのポップチューンといえばやはり「BITCH OF LIVING」であろう。公式サイトの中でプロモビデオも見られる。というか、これはもう必見である。パンキッシュなのに、コーラスワークが美しい、という上質さにも好感が持てる。 http://www.springawakening.com/spring_awakening_video.php

「BITCH OF LIVING」のPVを見て何よりも印象的なのは、その斬新で切れ味のよい振付けであろう。日本にも来日したことのある、黒人ダンサー、ビルTジョーンズによるものである。他の場面でも強烈無比な振付けを次々に施していて、これはミュージカル界における「振付け革命」といってよいだろう。当然ながら、今年のトニー賞では最優秀振付賞に輝いた。

さて、「SPRING AWAKENING」について語るべきことはまだまだ尽きないのだが、とりあえず本日はここまでとさせていただきます。ま、なにはともあれ、6月16日(土)NHK BS2、見るべし!

くまきりあさ美「クワガタは語られるものにあらず」…

一昨日、6月6日(火)、残業が長引いた為に深夜帰宅、すぐさまテレビをつけると、テレビ朝日でちょうど『アドレな!ガレッジ』が始まったところだった。何とはなしに眺めていると、今回のタイトルは「くまきり『アドレな!』卒業!新アシスタントオーディション!」。

番組レギュラーのくまきりあさ美が、何かのドラマに主演することになり、女優に専念すべく、今回限りで『アドレな!』を卒業するのだという。そこで、急遽、若手グラビアアイドルたちを集めて、くまきりの後任を選ぼうという企画。というわけで、総勢8名が、それぞれの得意技を披露して競い合うことになったのだが、ガレッジセールやブラックマヨネーズらが大喜びしながら審査を進めてゆくのに対して、くまきりだけは非常に不機嫌そうな眼差しで若手たちを眺め、しかも、いちいち口出しをするのだった。

たとえば、或るアイドルがサッカーボールを自らの巨乳でトラップしてみせる。すると、なぜか、くまきりもこれに対抗して、自分の胸(彼女もそれなりに巨乳であるのだが)で大きな風船を割ってみせ、「これができるか」と若手アイドルに迫る。また、体の柔らかさを見せつけるアイドルがでてくると、今度はくまきりがカリビアンな衣裳に着替えて対抗、謎のリンボーダンスを超バカっぽく踊って見せる。“エアギター”が自慢だというアイドルに対しても、くまきりはビキニに着替えて意味不明の“エア熱湯風呂”を文字通り“熱演”してみせるといったアンバイ。

やがて、“昆虫好き”のアイドル、大網亜矢乃が登場、クワガタムシについてマニアックな知識を語り始めるのだが、ここで再び、くまきりが口をはさむのである。「クワガタって…語るもの?」…ならば、どうするものなのか、という空気が流れ始めると、彼女、スタッフに本物の生きたクワガタを持ってこさせる。それを掴み上げるや、「ゴリさん、やって」とゴリに渡す。「真ん中で」と注文。ゴリは「じゃ、いきます。鼻の真ん中でいいんだね?」と確認しながら、まるで電源プラグをコンセントに差し込むような手際良さで、クワガタの両刃を、くまきりの左右の鼻の穴にうまくヒュッと差し込み、手を離す。途端、クワガタはくまきりの鼻の中央をきつくギュッと挟む。

「痛たたたたたたたたたたたたた!!!!」

鼻輪をぶら下げたような状態でクワガタに鼻穴を挟まれつつ、くまきり、あまりの痛みに絶叫し、もがく。痛たたたたたたたたた!!!!

……こ、こ、これは見事過ぎる! かくも、くだらない絵がかつてあったろうか。“崖っぷちアイドル”くまきりの心意気、ここに極まれり、といった世紀の大爆笑シーンである。 ……で、

「ほら」とくまきりあさ美は、涙目になりながらも勝ち誇るのだった、「大網さん。クワガタは語るものじゃなくて、挟まれるの」と。可笑しい~~~~~。その後も、同番組内で彼女は、いろいろな過激なバカバカしさで若手アイドルたちと張り合った挙句、若手にはとても「アドレな!」をまかせるわけにはゆかない、との理由で、ドラマ主演は断り、番組卒業を撤回すると宣言するのだった。左様、もちろん、これは最初からそういう筋書きが仕組まれた「やらせセミドキュメンタリー」だったわけである。素敵じゃないか。

※この時の模様は、その後、下記などで閲覧ができるようになった。
http://av.blog123.fc2.com/blog-entry-73.html

とにもかくにも、自らの鼻をクワガタに挟ませたくまきりは、圧巻であった。上島竜兵や出川哲朗あたりしかやらないであろう禁断の領域に踏み込んだ彼女。なんという神々しさ。なんという輝かしさ。これによって、くまきりは何かの頂点に立ったことは確かである。その何かが何なのかは何ともわからない。そして、なにがしかの賞を、くまきりは授与されるべきだと思われてならないのだが、そのなにがしかが何なのかも、もちろん言い表すことは不可能である。ただ、その言及不可能性に対して、人は“愛”を注がずにはいられなくなる。


くまきりあさ美