読んだ積もり

読んだ積もり

読書記録メインに、日々のかけらを綴る




このブログは、最初は英検1級に向けての勉強の軌跡を残そうと思っていました。


その後、ひと段落して、読んだ本についての記録を書こうと思いました。



書いてみるとあれもこれも詰め込みたくなってしまって、、


ただ今、テーマ増殖中です。




主に読書、音楽、映画、アート、舞台、食べ物、そして、家族のことになると思います。




読書:     ビジネス書から西洋古典までなんでも


音楽と映画: 60-70年代が好きです


アート:    美しいものは何でも


舞台:     鑑賞と出演


手帳です。

未だにアナログ人間なので、予定はすべて紙の手帳に記入する。覚えておかなければならないものでもなんでも紙の手帳に記入していく。

それも長年見やすく使いやすかったフォーマットだからこそ、自分のバタバタしたスケジュールが管理できていたのに。。。

毎月の目標と振り返りが書ける欄、覚えておくべき情報をかける欄、過去数十年の自分史の記録欄もあって、本当に気に入っていたのに、来年からこの形式の手帳がなくなってしまうと。。。

(書き込んだ手帳をなくしたわけではありません。そうしたらもっと打ちひしがれていると思います)

 

 

パニックになり、レイアウトだけ似ているものをデイリー版と通常のウィークリー版と両方買ってしまいました。

まあ、来年はデイリーの記録とプラニングの両方が必要にはなるんですが。

 

何が気に入っていたって他にはこんな手帳ありませんでした。

「毎月の目標」

「今年の目標」

「過去年表」

「未来年表」

「人生のたなおろしノート」

「年間スケジュール」

「読書メモ」

その他いろいろな統計学的情報も載っていて、、

最近自分用の「バランスシート」も使い始めたところでした。。。

 

これは小さなことですが、人生なにごともフレームワークが用意されたところにのっかるだけじゃダメですね。

自分のフレームワークを使ってそれを年々Upgradeしていくくらいじゃないと。

 

今までのこの手帳のフレームワークを拝借しつつ、自分に合っている手帳を作らねば、、、

やはり自分で考えて自分で作らないといけませんね、ほしいものを。頼っていてはその会社がそのモノを製造しなくなったら終わりが来てしまいます。

 

今日はショックなことが他にもあり、こっちは今もじわじわ来ています。ですので、別タイトルで書いておこうと思います。

この日記が「王様の耳はロバの耳」ではないんですが、、、

 

 

 

この数が月はとても大変だった。

もちろんレバノンにいる友人たちのことを思うと日常的な大変さで文句を言ってはいけないと思うのだけど。

本当にこんなことになる前に行って会えてよかった。危険にされされている多くの命と人々の住まい、レバノンの歴史的建造物、心が痛みます。

 

元夫の入院。

通院していて予約をとっていた病院から救急外来を断られ、、前回この方がコロナになった時も思いましたが、日本の救急医療は本当にひどい状況だと思います。救急車呼んでからずいぶん待たされ、救急車に乗ってから2,3時間待たされ、、、

救急隊員の方たちにはものすごく感謝していますが、受け入れ体制には不安を感じます。

主人が、よく言っているのは、医師免許を持っているのに研究に残りたいという人の多さ。本当に医師として人を救おうとしている方たちはまだまだいるのだと思いますが、一方で臨床を恐れる人たちが多いとか、、、

とにかく今回は近くの病院で受け入れてもらい、なんとか歩けるまでに回復してきて少し安堵しています。

 

そして久々の自身の体調不良。

数週間も気分が悪い日が続き、特に午後から夜にかけて辛いので、夜の仕事は本当に苦痛でしたが、ここ数日だいぶましになってきました。

数々の人たちへの報告。まだ終わっていませんが、、、

 

あまりにも気持ちが悪い日々が続き、院に行くまでにある程度文献を読んでおきたかったのに、研究が進んでいませんが、だいぶ回復してきたので、これから挽回できれば、と。

 

そして2つの資格更新の手続き。

こちらもなんとか取り戻したいです。

 

この忙しいのに、、入ってくる今の仕事の研修。。。

唯一の休みである日曜日に月1回のペースで入れてくるのは勘弁してほしい。

 

もちろん昼間の仕事も、私の願ったようにはいかずで、無情ともいえる人員配置とされていまったのですが、しばらく上司には一言も口をきいてあげない措置をとりまして、溜飲を下げました。最近はちょっとだけ話しかけてあげています。(えらそうにいってますね、私)

 

しかし今一番の悩みの種は、通院が重なって仕事を早退したり休んだりが増えてしまっていること。

3つのうちの値が1つ、しかも1ポイント上回っただけで、糖尿病とされて、1日7回血糖をはかれ、、、と。

当然仕事の合間にできるわけもなく、1日3回が限界。

しかも、これ私のやり方が悪いのか、やたら失敗するんです。血液量が足りないって。

血圧計るだけならまだしも、この血糖値測るのは勘弁してほしい。

まあ、案の定いつ測ってもわりと正常値なんですけどね。

最初に採血したときは、とにかく常に食べていないと気持ち悪くなってしまう状態だったので、ジュースもがぶがぶ飲んでいたし、、この異常事態を考慮してほしかったもんです。

 

そんな中、夫は新しいプロジェクトをいろいろ考えているらしく、私もまだまだ隠居できなさそう。

今年はかなりロックンロールですが、おそらく来年も。

 

でもまあ、こうした中で、下の子がお父さんを心配して優しいメッセージをくれたり、上の子が幸せそうに近況を語ってくれるのを聞くとなごみます。

 

気持ち悪さの中で読んでいるヌーボーロマン、今回は読み終われるかな。

 

 

 

 

 

 

 すべての物事には、時間の経過が必要である。

久しぶりにピアノで曲を弾くとそのことを再認識する。体や指が覚えているだけなので、先の方のメロディを考えるととたんにつっかえる。今この時の瞬間に体を動かすことに集中していないと1曲を終わらせられない。

 

 先でも後でもなく今この時に生きる。ピアノのようにつっかえないから、他のことでは結構先のことを考える。でも、そこに至るまでのプロセスに気を抜くと、その時はやってこないから、とにかく今努力するしかないし、必要なことを必要な期限までにしなければならない。

 

 そして、先のことを考える脳みそも、自分が無我夢中で頑張ってきたからこそ、機能したわけで、だから、「経験と時間」こそが人類の歩みと言える。きっと誰か哲学者が言っていることだと思うけど、、プラグマティズムだったかな。

 

 これから先も予想外のことは起こると思うけど、一応、今日は一つの出来事が成就した日として、記念に書いておきたいと思う。

 

 小学生のころに京都大学の有名な教授に大胆不敵にもファンレターを出した。そして、大胆不敵にも将来は先生のように立派な研究をして、本を書くと豪語していた。ハローキティの便せん封筒でそんな手紙を書いたのだが、なんとも素晴らしい教授で、お返事をくださったのであった。そして、「是非本を出してください、私の生きているうちに」と。残念ながら教授は亡くなってしまって本は間に合わなかった。

 本を書くどころか、せっかく飛び込んだアカデミーの世界も出産というリアル経験によって、ほぼ3年半ほどで潰えてしまい、そしてその後必死にOL生活を送ることになったわけだ。学部に行けたことだけでも感謝して、といったん人文的な世界にはお別れを告げ、ひたすら日々のパンのために働いた。

 子育ても、もっとうまく、もっと子供の視点に立ってできただろうに、と後悔することばかりだが、時間を経過して、子供たちは立派な大人になってくれた。そこで、もっと自分に合った仕事の資格をとって転職をしたり、久しぶりに自分の本当の興味の対象であった国を1か月間訪れたりした。

 そして、いろいろな時間と経験を経て、3月から再びアカデミー世界に戻りたいと考え始め、そこに到達するために日々仕事と並行して頑張ってみた。これも一つ一つのプロセスをこなしてきたと思う。そして今日は大学院の合格発表の日だった。

 東大に招かれていたのに、家族を守るために学業をあきらめて畑仕事に従事した伯父、こちらも家族のために高校をトップの成績で卒業してからすぐに就職した父、そして私の知らないところでも多くの人たちが生活のために学業に専念できなかったことがあったと思う。

 だから、謹んで、与えられたチャンスを生かしたいと思う。精一杯頑張らないといけないと思う。

入学手続きや授業料支払など、また一つ一つのプロセスをしっかりフォローしていかなければ。研究の準備と並行して。今年は資格の更新が2つもあるが、これとうまく兼ね合いを見つけたスケジューリングにしないと。そしていつか時間が許されるのなら、亡くなった京大の教授に宣言した通り、本も出せたらよいと思う。

 

 実はもう一つプロジェクトがあり、こちらも来年の5月ぐらいに一つの節目を迎える予定である。今はそのために非常に体調も左右されがちだが、でもしっかりと立て直して、そちらと大学院と両方に向けて準備を進めようと思う。

 

 行動しないと結果は生まれない。行動しないと未来は考えられない。

と、改めて認識した日であった。

 

 

誰もが幸せな国があるとしたら、素晴らしい。

そこに生活する人たちに一切不満はない。

日々前をむいて暮らしていく。

 

でも、人は本当にユートピアを求めているのだろうか。

結局は、人はいつの日か終わりがくるかもしれないユートピアへの不安を抱きながら人生を走り去ろうとするのではないか。

 

もし世の中に嫌な人がおらず、心地よく、みんながよい人で全く戦争が起きないのなら、人間はどのように変わっていくのだろうか。今よりも一瞬一瞬を大事に生きられるのだろうか。

 

こんなことを考えている間に、また一つ大きな災難がのしかかってくる。ユートピアからは大幅に後退してしまった。

 

人は人でなくなるときに、悲劇が起こる。

人でなくなる時とは狂気だ。

それが身体が原因であるにしろ、精神が原因であるにしろ、狂気は狂気である。尋常の沙汰ではなくなる。

 

狂気を見た時に、普通でいられるだろうか。私はやっぱり肝っ玉が小さいと思う。

その時は大丈夫とおもっていても、後から後からトラウマのようにその場面を思い出しては戦慄する。

 

時々思う。

いつまでも愛し続けて思い続けていれば、いつかそんな思いは通じるのだろうか。

それがわかるようになるには、人生はあまりにも短い。

そして多くの子供たちはゆっくり育つ。

 

今よりさらに寿命が短かった昔の親たちは、自分の苦い思いを子どもに言わずに吞み込んできたのだろうか。

 

悩みすぎている。

人間関係は元家族であっても完全に切り離せるのだろうか。

 

数か月前に、山本有三記念館を訪れて、それで改めて著作を読んでみようと思ったのですが、時の映画となっていたジブリの作品と同じタイトルだったことで、こちらを読み直しました。

 

山本有三は目が悪くなってしまって、それを吉野源三郎に託したと。

若い世代に送られた日本少国民文庫の最終巻。

 

改めて読んだ時、やはりマンガには出せない言葉の迫力がありました。

人は、自分が「そうあるべきではない」と感じた時に悩む、ということ。

「心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。」

 

人として、かくあるべきでない状況に直面するからこそ、不快感を感じ、苦しむ、というのは非常に腑に落ちてくるくだりです。

 

人が人に、いつでも尊敬の念をもって接する、そんな社会を築いていくには、どうしたらよいのだろうと常に考えてしまいます。

 

「志」と「配慮」、これを大事にしていきたいと思います。

 

最近の私は、今までと違う段階にあって、小学校、中学校、高校のころに読んでおくべきだった本をがむしゃらに読んでいます。どこにつながっていくかはわからないのですが、生きている間に自分の中の集大成ができればいいと思っています。

 

昨日は珍しく夜遅くに一人で電車。

ショックだったのは、ある家族連れを見た時。ディズニーランドがえりで疲れている若いお父さん、お母さん。それぞれ一人ずつお子さんを抱いていました。

空いている席が一つしなかったのですが、お父さんは何も言わずさっさと座ってしまいました。

私の感覚だと、奥さんに先に腰掛けさせてあげてから自分は後で席を見つけるとか、、

 

よっぽど疲れていたのでしょうか。でも、お父さんがお母さんを守る、という構図を押し付けちゃいけないんでしょうかね。

 

待機児童、待機児童と言いますが、私は自分で子供が育てられなかったから、子育てをさせてもらうほうがいいと思います。もし少しでも収入が得られるのなら。

お母さんはやっぱり子供を育てて、そして政府も会社もお母さんのその頑張りを認めて「子育て」をしっかりとしたキャリアとして評価して、来るべき時がきたら正社員としてその人たちを会社に迎い入れさせるべきですし、子供を育てている間は、お母さんが正社員として働いているぐらいの金額を支給するべきだと思います。

お金を払って、他人に我が子を預けて、自分は他の場所でその間子供と離れてお金を稼がなければいけない、、、何か騙されています、この世の中。

 

若い人たちが、家族を築いて、子供を育てて、次の世代へバトンタッチするまで頑張ろうと思えるような社会をつくるには、自分で子育てができる環境を作る必要がある、と私は思います。

 

教育だけでもないし、政治だけでもない。何か現在の社会は病んでいる。

夜の電車でみんながうなだれてスマートフォンを見ている姿を見て、手遅れにしたくない、とものすごく思うわけだったのです。

 

 

 

 

全盛期で子供たちを育てながら働いていたころよりは随分落ち着いた、と思っていたけれど、まだまだ配慮がない人にいらだってしまいます。悟りを開くにはまだ早いのか。。

 

今朝は娘の誕生日で、いろんな昔のことを思い出して涙がにじむようにメール書いたりしていました。

 

そして、昼頃、職場の無神経な人の言動にいらっとしました。

元々自分の話ばかりしているし、この人おかしいなあと思っていたのですが、案の定ものすごく変な人で、自分でもそれに気づいていないから、困ります。

 

行き帰りの乗り物の中でも、かまわず人にぶつかっている輩、本当に腹が立ちます。

「すみません」の一言すら言えない日本人。

歩道を自転車で乗り入れてくる無神経者にも腹が立ちます。交差点をスピード下げないでやってくる者もいて、本当に危ない。

 

いつから日本はこんなに無神経で思いやりのない国になったんでしょう。

 

昨日、ここ最近で一番力をいれていたことの一つの区切りがついて、今日からまさにまた新たなフェーズでがんらなくてはいけないのに、感情にじゃまされるの、困りますね。

 

一つ言えるのは、理解力があまり発達していない人にいい思いをさせると、増長して勘違いしておかしなことになる。

 

人に親切にするのは、相手を見つつコントロールしないとだめですね。

やってもらうのが当たり前になっていないかどうか、自分自身も常に気を付けていたいと思います。

主人と出会えたことで沢山の幸せをもらっている。

私をこんなに大切にしてくれる人はいないし(亡くなった父の再来)、私の家族をこんなに大切にしてくれる人も他にはいない。

そして、いろいろな小さな事件が毎日あれど、それはただただ私の小さな器量からなるストレスであって、もし彼か、今の仕事か、ということになれば私は仕事を捨ててもいいと思っている、ぐらい、かけがえのない人だ。

 

2人で将来の計画について話すたびに、今の生活がふっと全て他のものに入れ替わってしまっても、私はなんとかやっていけるんじゃないかとさえ思っている。それぐらい、多くのものを与えてくれている人だ。

 

結婚してからの自分にとっての大きな収穫の一つは、ヨーロッパで生まれ育った人の視点から、今の世界を見渡せるようになったことだ。

 

非常にセンシティブな内容にはなるが、私たちが10代のころくらいからなんとなくあてがわれてきた第二次大戦周辺の概念がかなり操作されているもののように思えてきている。

私がブーム的にドリュ・ラ・ロシェルに興味を持った時があったが、「フランス・ファシズム」という名称をひどく訝っているふうだった。

 

私が生きてきた日本の社会では、ファシズムといえば、「ヒットラー」「ムッソリーニ」がセットで浮かび上がる。ヒットラーとムッソリーニの違いについては、興味をもたない限り「一緒くた」、そこに日本も入っていて第二次大戦は3国とも負けた。

独裁、帝国主義、全体主義、それとユダヤ人虐殺というイメージに直結する。

 

しかし、家人のいう「ファシズム」とはイタリアのムッソリーニを中心とした政治運動である。

ドイツのファシズム、フランスのファシズムというのはピンとこないようである。

 

何か今日本まで到達してきて当たり前のように語られている西洋史の概念が胡散臭くてしょうがない気がして、最近発売された「ナチスは良いこともしたのか」を読んでみたが、もやもやは全く解消されなかった。

それが最近乱読の種に読んだ数十冊の本のうちのひとつ、「ファシズムの正体」by 佐藤優によって、だいぶすっきりした。

やはり、人々にとって良い政治の側面もなければ、人々は党首を支持しないわけである。

佐藤氏の本は、核心をついている部分があるし、よい参考資料も紹介してくれているけれど、やはりこれだけ言論の自由がある日本でも、今の世界が直面しているすべての矛盾の結果を指摘するにはいたらず、むしろ迎合が好まれているようだ。

 

ファッショと右翼とは全く一緒ではないし、すべてを右と左で分けて考えるのは危険だ。

かなりファシズムの実像をとらえていく良いきっかけはもらったが、果たして今のこのポピュリズムや、トランプ元大統領の話になると、また似て非なるもののバリエーション化で考えていかなければならない。

とにかく推し、があったとしても、そのすべてに負の部分もついてくるのが面倒くさい。

 

ただ言えるのはファシズムよりも大きな疑問。

なぜ聖書に旧約聖書が入っているのか、という点。

世界には、大きな勘違いの一緒くたが当たり前として通っていることが多すぎるように感じて、ちょっと辟易している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、三島由紀夫についてよく考える。

右や左やよくわかっていない者でも、その潔さには尊敬と畏怖を感じる。

ただあまりにも惜しい。

これはやはり日本人の根本なのだろうか。死を選ぶライフスタイル。

彼の思想をもう少し深く知るためにはやはり小説を再読するしかないと思う。

 

吉田松陰の言葉をたどりながら生きていくのには、あまりに不真面目で、息苦しくなってしまっていた私は、しばらく彼の本を置いたままに、日常生活に振り回されて、あまり読書という読書をしていなかった。

 

ハウツー本の類や、写真入りのガイドブックは、仕事や通勤の合間合間に目を通すだけでよいけれど、本当はもっと面白い本がよみたい。

せっかく日本には名作が沢山あるのだから、漱石、太宰、それに三島は死ぬまでに完読しなければ。

 

今はマンガが沢山あるから、ついついマンガで済ませてしまう読書もあるけれど、この前「君たちはどう生きるか」を読み直して、やはりマンガではだめだな、、と感じた。

マンガは素晴らしいものが、昔は沢山あった。

だから、マンガの絵と言葉が一体になって、ものすごい力を出していたんだと思う。

今書店に並ぶマンガの本はどれも三流な感じがする。面白いのかもしれないし素晴らしいのかもしれないけれど、何か惹きつけるものを感じない。手を触れたいとも思わない。

 

年をとるにつれ、若者たちの興味があることについて関心がもてなくなるばかり。

マンガだけではなく、音楽も素敵なものとして耳に残らない。

以前は、自分の親たちと自分たちのほうが、自分たちと子供たちのジェネレーションギャップより大きいと思っていた。

当然人間の質は私たちの世代で各段に落ちたと思う。苦労を知らないから。

 

でも、今は考えが変わった。実は自分たちと子供たちの世代のギャップのほうが、より大きくなり始めているようだ。

家庭を持つ、子供を持つ、ということが普通でなくなった世代。インターネットとスマホネイティブの世代。

 

そして、そうした新しい人間たちに、古い人間たちはもう何も残そうという気力がなくなってしまっている。

 

例えば建築。

中野サンプラザもなくなる。昭和の日本を代表する建物もあの形では残せないのだし、同じ形での復旧もしないようだ。

昭和の思い出の店が閉まっていく。

山の上ホテル、鷗外荘、学士会館、、、なぜ引き継いでいけないのか、、次の世代に。

 

表象を残さないだけでなく、ライフスタイルもつぶされていく。

この前ルミネの本屋がなくなってもうルミネカードの意味はないのかとショックを受けていたが、京王の本屋も少し前にしまっていたようだ。

昭和を懐かしむどころではなく、自分の生活にとってなくてはならない本屋がどんどんなくなってきているというのは本当に恐ろしい。そして、どうしてもなくてはならないと思っていたデパート。百貨店の閉店は止まらない。現存している百貨店も中身はもはや百貨店のものではない。100円ショップやニトリやヨドバシだ。

 

原宿だって昔はもっと夢があった。

同潤会もあったころはよかった、あそこにあのアパートがあっただけで街が美しかった。

表参道ヒルズはあんなに都市の真ん中にあって空虚だ。

完璧でもなく、ビジネスがすべてでもない空間が人にとってはまだ人間として生きる場所でありえたのだ。

人間を整理しすぎると、生活は途端に優雅でなくなる。

 

何かが音をたてて崩れている。

おそらく人が少なくなったから、情熱を持った人口も更に減り、

不在感だけが街に漂っているからなのだと思う。

 

今の若者たちは、もうアメリカやヨーロッパに行ってみたいとはあまり思ってないようだ。

私が小さいころには、アメリカは自由で広大な国、ヨーロッパは伝統を大切にした街並とおしゃれで知識のある人々の国、というような漠然としたイメージがあった。

今の子供たちの関心はもっぱら韓国のようだ。

正直何が面白くてどこがかっこいいのか理解不明のアイドルたちががじゃがじゃいるらしい。

私は新大久保の街を歩くととても気分が悪くなるが、あそこを歩いている多くの人は非常に楽しんでいるらしい。

 

各国のイメージはこうして変容しながらも、おそらくどんどん子供たちの中で国の特徴が薄れていっているのではないだろうか。やたらとタブーを作ると民族や国家の素晴らしい部分も弱まってしまう。

やたらと自由を奨励すると、自由になるべきではなかった精神が大腕を振って闊歩して人間の品格を下げる。

 

とにかく極端な方向にはふれないで、現状をもう少し維持できたらいい。

ただ日本が日本でなくなる日は、他の外国人の文化のほうが強力になっていく日は、わりと近い未来だと思う。

そのとき、気づいてもおそくなり、日本人はマイノリティーとして、どんな位置づけで嘗て自分たちの国だったところに暮らしていくのだろうか。ひとり、またひとりと古き良き日本人が亡くなっていって、私たちはその零れ落ちるキラキラした心をすくえないままに途方にくれている。

 

年末にひいた風邪、おそらくインフルエンザが、結局なかなか治らなくて、仕事を休んだりしておりました。

インフルエンザは熱が下がればいいというものではないのですね。

副鼻腔炎のヘビーなタイプに罹患してしまったようで、耳鼻科に行きましたが、先生の治療と処方が大変適切だったようで、先週無事初仕事をクリアしました。

 

さて、来週からまた週7日仕事になってしまうのですが、嵐の前の休日で、今日はゆっくり起きました。

そして冷蔵庫で料理できていなかった野菜、キャベツ、ビーマン、ネギ、お肉はさすがにフレッシュなものを使いましたが、それ以外にありとあらゆるものを使いきりました。

 

ちょっとだけ残っていたウスターソース

古い鮭の瓶詰(味見したら大丈夫だったので)

ラーメンについていてとってあったゴマ。

古くなって固まった納豆

大事にいただいていたけどいつの間にか忘れてしまっていたフランス製の赤いマスタード

飲み残しの赤ワイン

しばらく続けて飲んで飲まなくなった健康飲料 MBP

冷凍してあって忘れていたカヌレ

冷蔵庫にしまってあったチョコパイ

 

すっきりすっきりしました。

呼吸もだいぶ楽になって、仕事についても前向きに取り組めるようになって、やはり健康は大事です。

 

ちなみに、上記の古い食材、お菓子以外はみんな一緒に料理しましたが、赤ワインとマスタードが効いて、なんとなく料理としての形になりました。

 

一方で、読書はなんだか新しい本が読みたくなって、買ってしまいました。

吉田松陰については、何冊か読んで、何か芯くってない読書をしているような気がして、引き続きオリジナルの文がもっと掲載されている本を探したい。

また、中村天風、という人、本やで1つの棚のほぼ半分を割いて、売り出ししていましたが、あんまりにも売り出しムードが強くて読みたい気持ちがなえてしまいました。

 

新聞については電子の効力(紙の新聞形式ビューアーで)に目覚めましたが、本はやはり紙がいいという昭和なこだわりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒涛の年末だった。

休みがなかった11月と12月。

仕事がピークだった12月の日曜日を過ぎたあたりで、ちょっと怪しい風邪模様。

その後はなんとかだましだましやってきたけど、最終出勤日には悪寒。

あえて、インフルの人となりました。

 

久しぶりの悪寒、高熱、節々の痛み。

私ひとり実家にも帰れず、なんともさびしい年末となってしまいました。

まあ、苦しかったけど、今日はだいぶいい。

なんでも出口の光はあるんだと思って過ごしたい。

少しピアノが弾けたり、気になっていた洗濯物をやっつけたり、日々のことができるありがたみを感じる。

 

日常生活が通常に送れるありがたみを噛みしめているけれど、そんなのは現代人の贅沢で、吉田松陰は

「人一日此の世にあれば一日の職を食らいい日にの衣を着、一日の家に居る。何ぞ一日の学問、一日の事業を励まざるべけんや」と言っている。

昔のすごい人は本当にすごかったんだと思う。

一つ一つの文章が本当に隙間がなく、すべて学問と精神世界に向けられている。

現代のすごい人はすごく頑張るけど、どっかでものすごく気晴らしもしているんじゃないかと思う。

でも、こういう息の詰まるような鋭い思索をする風土もあったのだと勉強になる。

便利なことや楽なことにばかり流されてはいけない。

とは思いつつ、やはり今は病気から早く完全回復したい。。

 

最近毎日新聞を読んでいたつもりだけど、あまり嫌な刑事事件のニュースがにないなと思っていたら、ネットのニュースではたくさんありました。読んでいて苦しくなったのは、75歳のだんなさんが74歳の奥さんを殺してしまった事件。二人の生活の様子が細かく書いてあって、なぜ歯車が狂ってしまったのか、、なぜ幸せが壊れてしまったのか、、せつなくて。

 

そう家族をみな実家に帰したので、一人でいるものだから、熱が下がってきたら映画なんかも見てしまいました。

「禁じられた遊び」まだ見たことがなかったんですよね。

これも苦しくなりました。主人がいうところのフランスがフランスらしかったころのフランス人たちの名演技ですね。

 

そして最後にとどめで号泣するしかないビデオがユーチューブにありました。天才バイオリニストの渡辺茂夫さんのエピソードでした。海外留学はその直後には成功か失敗かわからないものです。私も帰ってきたときには自分の留学という選択は失敗だとも思っていました。でも今は違います。ただ、彼の選択した道はあまりにもつらすぎて。

 

おかげ様で年末に沢山熱も涙も放出し、すっきりしたような気がします。

そういえば、留学といっても全然違うタイプですが九鬼周造、この人も気になっています。

以前にも読書会でテーマになっていて彼の「いき」とはということについて数名の方と一緒にディスカッションしたのですが、今は彼の人物像に興味があります。こちらはかなり留学をエンジョイされていたようですが。ヨーロッパで最初から数か国語をあやつる、なんともハンデなしのスタートです。

最近読み始めた「日本的なもの、ヨーロッパ的なもの」の中の1章に彼が出ています。

やはり「いき」とは色気という要素なしにはありえないのですね。写真からはあまり遊ぶような人には見えなかったのですが、なかなか遊び人だったようで。漱石とは反対タイプのようです。

 

私は未熟でまだまだ知らない素晴らしい日本の作家がいて、そういえば今頃大岡昇平を読みました。「パルム」かな?フランス文学の訳者さんだったような印象であまり私の中で戦争の作家というイメージがないままにここまで来てしまっていました。

慌てて「野火」から読み始めました。今「事件」を読んでいます。「事件」についてはもう最初からなんとなく結末が見えているような気もするのですが、その誠実な筆致が読書を後押ししてくれています。

 

これは改めて読んでいる「美しい日本人」から大岡さんの本を読まなくてはいけない、と思ったからなのでした。

 

そのほかにも並行して、「フランスの高校生が読んでいる哲学者」「Atomic Habits」金太一先生の「ホンモノの日本語を話していますか」エマニュエルトッドの著作など沢山書きたいことはあるのだけれど、今日はそろそろまた熱が出ると困るので、やめておこうかと思います。

 

2024年、政治的な意味では、世界は予想できる方向にしか進まないと思うけれど、思惑を超えたところで何か感動があるような年になってほしいとは思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.

ほぼ備忘録ですが、熱が出た後、なぜか決まってポテトチップスか唐揚げが食べたくなるんです。

小さいころから。

熱が出始めたころは、ナシや桃、果物オンパレードと水分補給だけなのですが、よくなってくるころに、なぜか消化悪いのでは、、と思うのですが、ポテチが食べたくなり。。

 

そんなわけで今日はアマゾンでポテチを大人買いしてオレンジジュースと一緒にいただきました。

今日中に届けてくれるのがカルビーではなくて、湖池屋だけだったのですが、湖池屋ポテチ、おいしくなりましたね。

ポテチなんてティーンエイジャー以来あんまり食べなくなってしまって、ましてやカルビー派だったので湖池屋のものはカルビーがポテチを発売する前の透明の馬車の絵が描いてあったかな??そんなパッケージのアブラギッシュの塩まみれのしょっぱすぎるポテチの印象しかなかったのですが、、、今日ジュースと一緒にいただいたのはとってもおいしかった。

 

今しか食べたくないから、あとは娘や家族、職場の人にもらってもらおうかな。。12袋も入っていました。。。

まあ、コンビニに買いに行く元気がなかったのだからしょうがない!

吉田松陰様には叱られてしまいそうな衝動による行動でした。

 

湖池屋透明ビニールのパッケージ、湖池屋のサイトにありました。

「イケイケGoGo湖池屋、ポテトチープス」というコマーシャルソング聞いたことがあるような気がする。