インサイダーから見るヨーロッパ、そしてモヤモヤの解決 | 読んだ積もり

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主人と出会えたことで沢山の幸せをもらっている。

私をこんなに大切にしてくれる人はいないし(亡くなった父の再来)、私の家族をこんなに大切にしてくれる人も他にはいない。

そして、いろいろな小さな事件が毎日あれど、それはただただ私の小さな器量からなるストレスであって、もし彼か、今の仕事か、ということになれば私は仕事を捨ててもいいと思っている、ぐらい、かけがえのない人だ。

 

2人で将来の計画について話すたびに、今の生活がふっと全て他のものに入れ替わってしまっても、私はなんとかやっていけるんじゃないかとさえ思っている。それぐらい、多くのものを与えてくれている人だ。

 

結婚してからの自分にとっての大きな収穫の一つは、ヨーロッパで生まれ育った人の視点から、今の世界を見渡せるようになったことだ。

 

非常にセンシティブな内容にはなるが、私たちが10代のころくらいからなんとなくあてがわれてきた第二次大戦周辺の概念がかなり操作されているもののように思えてきている。

私がブーム的にドリュ・ラ・ロシェルに興味を持った時があったが、「フランス・ファシズム」という名称をひどく訝っているふうだった。

 

私が生きてきた日本の社会では、ファシズムといえば、「ヒットラー」「ムッソリーニ」がセットで浮かび上がる。ヒットラーとムッソリーニの違いについては、興味をもたない限り「一緒くた」、そこに日本も入っていて第二次大戦は3国とも負けた。

独裁、帝国主義、全体主義、それとユダヤ人虐殺というイメージに直結する。

 

しかし、家人のいう「ファシズム」とはイタリアのムッソリーニを中心とした政治運動である。

ドイツのファシズム、フランスのファシズムというのはピンとこないようである。

 

何か今日本まで到達してきて当たり前のように語られている西洋史の概念が胡散臭くてしょうがない気がして、最近発売された「ナチスは良いこともしたのか」を読んでみたが、もやもやは全く解消されなかった。

それが最近乱読の種に読んだ数十冊の本のうちのひとつ、「ファシズムの正体」by 佐藤優によって、だいぶすっきりした。

やはり、人々にとって良い政治の側面もなければ、人々は党首を支持しないわけである。

佐藤氏の本は、核心をついている部分があるし、よい参考資料も紹介してくれているけれど、やはりこれだけ言論の自由がある日本でも、今の世界が直面しているすべての矛盾の結果を指摘するにはいたらず、むしろ迎合が好まれているようだ。

 

ファッショと右翼とは全く一緒ではないし、すべてを右と左で分けて考えるのは危険だ。

かなりファシズムの実像をとらえていく良いきっかけはもらったが、果たして今のこのポピュリズムや、トランプ元大統領の話になると、また似て非なるもののバリエーション化で考えていかなければならない。

とにかく推し、があったとしても、そのすべてに負の部分もついてくるのが面倒くさい。

 

ただ言えるのはファシズムよりも大きな疑問。

なぜ聖書に旧約聖書が入っているのか、という点。

世界には、大きな勘違いの一緒くたが当たり前として通っていることが多すぎるように感じて、ちょっと辟易している。